|
元のページへ戻る |
2020年の初めころから、中国で発生した新コロナウィルスの世界蔓延で、日本でも緊急事態宣言が発せられ、 不要不急の外出を控えるよう指示が出され、近隣の散歩以外は外出もままならず、古いホームページの記事をリニューアル することにしました。第一弾として、トルコの風景を更新し、第二弾に退職後最初に訪れたポルトガルを選びました。 訪れた時期は、まだ、ホームページ作成もしていない時期で、カメラもデジカメ、マニュアルの二台持参しましたが、 人物が主体で風景はそれ程の枚数は撮っておらず、又、その後作成したホームページもごく簡単なページになっていました。 その少ない枚数の中からさらに何枚かを選んでページの再生を試みました。 |
ポルトガルの旅程 7泊8日の旅でした 2004年1月23日(金)11:35成田空港発 ロンドン経由 20:20 リスボン着 1月24日(土)午前 オビドス散策、 アルコバサ、ファティマ経由 コインブラ着 1月25日(日)午前 コインブラ市内観光、 午後 ポルト歴史地区観光 1月26日(月)午前 ボルトからバターリアへ、 観光後、ナザレ散策し リスボン着 1月27日(火)午前 リスボン観光 1月28日(水) 自由行動でエヴォラ歴史地区を訪問 1月29日(木)午前 ロンドン経由 1月30日(金) 午後 成田空港着 |
ポルトガルの地図です。 リスボンからポルトへとおよそ400km北上し、 ポルトから海岸沿いをバターリアへ 戻り、ナザレ経由リスボンへと戻りました。 自由行動を利用して、エボラ歴史地区を 訪れました。 |
|
城壁で囲まれたオビドスの町へ入るには まずは「ポルタ・ダ・ヴィラ」という大きな 城門をくぐります。 門の内側に青い壁(アズレージョ)の スペースがあります。 祈祷室の役割を担っており、聖書の場面が 描かれています。 首都リスボンの北部に位置する人口800人 程度の小さな村オビドスは、「谷間の真珠」 または「中世の箱庭」とも称され、かつての ポルトガル王妃がこの地を愛したことから 「王妃の村」として代々の皇后直轄の地と なった経緯のあるエリアです。 |
|
左は門内の様子で、見張りのお婆さんが 編み物をしていました。 1380年に完成した門で、オドビスの街の 南側にある二重構造の城門で、オビドスの 街に入るには必ずこの城門を通ります。 右は街中にある「サンタ・マリア教会」です。 小さいながらも美しい教会で、外観は ヨーロッパの普通の教会といった感じ なのですが、中の壁面は全てアズレージョで 施されており、優雅な雰囲気を醸し出して います。このアズレージョは17世紀の ものだそうす。祭壇や彫刻、ステンドグラスも 美しいものでしたが、残念ながら画像が 残っていません。 |
|
入り口を抜けると城壁の上にでます。 そこからのオビドスの町全体を 眺めることができます。 右手の少し小高い場所にある 黒っぽい塔が「オビドス城」です。 正面手前にある白っぽい尖塔が 「サンタ・マリア教会」です。 |
|
「オビドス城」はオビドス村を囲んでいる 城壁の突き当りに位置します。 強固な要塞のように見えるオビドス城は ポルトガルの7不思議のひとつとされます。 |
|
右手はオビドス城の傍にある 「サン・ティアゴ教会」です。 現在内部は書店になっています。 |
|
オビドスからアルコバサへ向かいました。 オビドスから30kmほどの距離です。 「アルコバサ修道院」です。 アルコバサ・サンタ・マリア修道院は、 1153年初代ポルトガル王 アフォンソ1世によって建築された ものです。当時、キリスト教社会で シトー派の影響力が高まっており、 王にはこの地をシトー派に贈ることで 地位を向上させる狙いがありました。 |
|
修道院の内部の様子です。 画面にポインターを置くと 別の個所もご覧いただけます。 |
|
アルコバサからファティマへ向かいました。 「聖母ファティマ聖堂」です。 ファティマはアルコバサから 35kmほど離れた場所にある 聖堂です。 1917年5月13日、ファティマの |
|
ファティマからコインブラへ向かい コインブラで宿泊しました。 「コインブラ大学」です。 コインブラ大学 は、13世紀に設立された 世界最古の大学のひとつです。 ポルトガル屈指の名門国立大学とされて います 内部の様子も撮影した記憶がありますが、 写真が残っていません。 コインブラではあちこち見ましたが、 殆ど写真を撮っていません。 |
|
コインブラから2時間ほどかけて ポルトへ向かいました。 ポルトの街の様子です。 ポルトでは歴史地区を見学しましたが、 残念ながら殆ど写真を撮っていません。 カメラは2台持参しましたが、 このころはHPの作成もしておらず、 出来るだけ写真は撮らない様に していました。今になると、残念な 事です。 |
|
小雨煙るポルトの街です。 首都リスボンに次ぐポルトガル第二の 都市です。ポルト都市圏では、人口は 約160万人です。 ポルトの創設は 5世紀より以前にさかのぼり、 ローマ帝国時代からの港町でした。 手前の川は「ドウロ川」です。 イベリア半島を流れる重要な川の1つです。 左手の教会はポルト大聖堂で、 中央の大きな建物はホテルです。 |
|
4日目はポルトからバターリアに向かい、 ナザレ経由リスボンに戻りました。 「バターリア勝利の聖マリア修道院」です。 14世紀の終わりごろ、ポルトガルでは 王位の継承戦争が起こっていました。 王位を奪おうとする隣国のカスティーリャ 王と、ポルトガルの王族ジョアン1世が 争った結果、1385年のアルジュバロータ の戦いでジョアン1世が勝利し王位を 正式に継ぐこととなりました。 ジョ アン1世は勝利を記念してこの地に |
|
ナザレの海岸です。 風が強かったですが、殆ど他の観光客は 見かけず、海浜はカモメと独占です。 |
|
ケーブルカーで展望台まで上がりました。 曇り空ですっきりした眺めには なりませんでしたが、ヨーロッパ大陸の 西端の海を楽しみました。 この後、リスボンに戻りました。 |
|
リスボンから朝一でロカ岬に向かいましたが 霧で見通しが悪く、ユーラシア大陸 最西端の海は見られませんでした。 そのまま、シントラに向かいました。 「シントラ宮殿」です。 ロカ岬の近くにあるシントラ国立宮殿は、 シントラにある宮殿です。 少なくとも15世紀初頭から 19世紀後半にかけポルトガル王家が 住み続けており、ポルトガル国内で 最も保存状態の良い中世の王宮です。 |
|
「ベレンの塔」です。 リスボンのベレン地区にある塔で、 |
|
左は「発見のモニュメント」です。 リスボン市西部ベレン地区の |
|
エヴォラの「古代ローマ神殿跡」です。 エヴォラ歴史地区の一角です。 世界遺産に登録されています。 神殿は1世紀にローマ皇帝 アウグストゥスを祀るために建造されました。 女神ディアナを祀ったものであるとも 言われるため、ディアナ神殿とも呼ばれ ています。 終日のフリータイムを利用して エヴォラ歴史地区をいろいろと 回りましたが、残されている写真は 僅かです。 |
|
日付は1月29日になっていますが、 日本時間なので、こちらではまだ 1月28日です。 「エストレモスの城壁」だと思います。 これも確かではありません。 エヴォラ近辺での撮影には 間違いありません。 この後、リスボンに戻り、翌日ロンドンへ むかい、ロンドン経由1月30日夕刻に 日本に戻りました。 |
|
ポルトガルの風景 欧州の風景 | 世界の風景 |