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2020年1月から日本全土を巻き込んだ、コロナウィルス騒動の最中、安全な場所として、自然の豊かなところを 日帰りで訪れ、外房の海、広い公園などへ行きましたが、3月初めには上総、下総にある手掘りのトンネルを見に行きました。 市原市南地区の月崎にある「永昌寺トンネル」と大多喜町養老渓谷近くにある「向山トンネル」です。 手掘りのため、トンネルの幅は狭く、永昌寺トンネルは崩落危険のため通行禁止で、向山トンネルも通常の道路として 利用されていますが、トンネル内での駐車は禁止されています。 永昌寺トンネルは永昌寺参道の地下を抜けています。向山トンネルの近くには養老川が流れており、現在は崩落した 弘文洞跡があり、夫々、覗いてきました。 |
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永昌寺は千葉県市原市の南寄り、小湊鉄道「月崎駅」の近くにある曹洞宗の寺院です。その麓の山に掘られた トンネルは手掘りの「観音彫り」により作られた隧道で、入り口は将棋の駒の形をしています。 長さは150m弱です。現在は崩落の危険性があるとのことで、入り口に通行禁止の立て札があります。 車両ではないとの理解でトンネル内を徒歩で通り抜けてきました。 |
永昌寺近辺の地図です。 県道81号市原天津小湊線が県道172号大多喜 里見線に交わるところからすぐに永昌寺トンネルの 入り口があります。 トンネルを過ぎたところに永昌寺への参道が坂道になって つながっています。 この坂道は車で登ることができ、永昌寺の境内には 駐車場も設けられています。 永昌寺から172号線を進むと、小湊鉄道の「月崎」駅に でます。この駅は国の文化財(建物)に指定されています。 一日に2便ほどの蒸気機関車が通るのですが、この日の 時刻表記載の時間には来てくれませんでした。 恐らく、特定日があるのでしょう。 |
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永昌寺トンネルの県道172号線より入り口に立っている 看板です。 長さ142m、幅員3.1m車両の行違いはできません。 近くにある柿木台第一トンネルも 下図のごとく、将棋の駒のような 五角形のトンネルになっています。 知識不足で当日は足を運べません でした。写真は資料からの拝借です。 |
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将棋の駒の形の入り口です。 岩をくりぬいて作られており、手掘りです。 |
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道路は一部舗装されていますが、極僅かの区間です。 中央部辺りで崩落の危険性があるようですが、 歩いている分にはそれ程感じません。 |
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洞内の電灯の明かりで五角形の姿が 綺麗に見えます。 |
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反対側の出入り口は崩落防御のためか、天井が波板で サポートされています。 |
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反対側は厚いコンクリートで作られており、恐らく、 当時のものではなく、新しく補強されたものでしょう。 |
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出入り口の5mほどの区間がコンクリート補強されています。 この道を後ろ側に進むと600mほどで柿木台トンネルに 出られます。車の走行が難しいので、年寄りにはやや 厳しいですが、ここを含め手掘りトンネル3基が見られます。 |
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県道172号から坂道を登ると永昌寺に出ます。曹洞宗の寺院です。 入り口から総門へ向かう道には十六羅漢が並んでいます。総門の奥に本堂があります。 |
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月崎駅は永昌寺から徒歩10分ほどの所にある小湊鉄道の駅です。1926年(大正15)の開業で現在は無人駅となっています。 ただ、トロッコ列車の停車駅となり、季節により土日は駅員が滞在するときもあるようです。 駅舎と旧プラットホームは国の登録有形文化財となっています。 |
月崎駅の駅舎です。現在出札口はなく、 反対側のお店で切符の販売をしています。 |
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こちらのプラットホームは現在使用されていませんが、 駅舎同様、国の登録有形文化財に指定されています。 ホームには人形さんが置かれており、乗降客を 送迎しています。 |
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複線のように見えますが、現在は奥のプラットホーム に沿う線路は使用されていません。乗降は手前の ホームだけが使用されているようです。 |
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駅舎内には「チバニアン」の正式決定を 祝賀する張り紙があります。 チバニアンへはこの月崎からも行けるようです。 |
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駅前には河津桜が満開状態でした。 朝夕は乗降客がいるようで、自転車置き場は 結構な台数が置かれていました。 |
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向山トンネルは二階建てトンネルとして有名なようで、元のトンネルの下部を掘って繋げたため、途中から二階建てのように 見えます。元のトンネルの向山トンネルと新しく掘られた共栄トンネルの二つの名前を持つトンネルです。 |
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共栄・向山トンネルを出たところに養老川にかかる共栄橋があります。共栄橋の先で道が二手に分かれ、右手の道は 歩行者専用道になります。 |
共栄橋から弘文洞跡方面を眺めています。 養老川に両側の樹木がきれいに映っています。 |
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橋を渡ったところに行き先案内板があります。 左手は水仙畑からバンガロー村へと向かいます。 右手は観音橋(0.9km)から養老渓谷駅(2.1km) に出られますが、現在は弘文洞跡から先は通行止めに なっています。 |
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養老川沿いに歩きます。川面の眺めが素晴らしいです。 |
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川岸は浸食された状態がよく見えます。 | |
川岸の道はここで終わり、先へは右の岸へ渡らないと 進めません。 橋の代わりにこの様な足場が設けられています。 |
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反対側に渡ってすぐのところに弘文洞跡の看板が あり、過っての様子を写真で表示しています。 弘文洞は1979年(昭和54)5月24日未明、 頭頂部が崩壊して、現在にいたっています。 写真は崩落前の様子を示しています。 頭頂部がつながっていますが、現在は谷になっています。 |
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屋根部分が崩落した後は、切り立った崖になって 谷を形成しています。 落ちた部分の石などがそのまま残されています。 |
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崩落した部分が多分このあたりだと思われます。 | |
養老川をもと来た方向へと戻ることになります。 | |
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