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京都の北西部は嵯峨野から高雄方面の地域と京福電鉄北野白梅町を 中心とした区域の二つに分かれます。 いずれも有名な寺院仏閣、神社などなどがある地域です。 嵯峨の地域は嵐山の渡月橋より北部、保津峡から清滝川を北上する地域で 野宮神社(ののみやじんじゃ)、落柿舎、二尊院、祇王寺、滝口寺、化野念仏寺、 愛宕寺(おだぎじ)、愛宕神社へと向かいます。 北野地区は妙心寺、仁和寺、龍安寺(りょうあんじ)、鹿苑寺(金閣)と続きます。 高雄の高山寺含め、じっくり見ようと思えばこの辺りで2〜3泊は必要でしょう。 子供のころからこの近辺はあちこち回っていますが、まだ行けていない場所も 結構あります。 家内の実家は等持院にあります。 |
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京都嵯峨野と言えば、春夏秋冬それぞれに素晴らしい景観をもつ場所が沢山あります。 おそらく、嵯峨野だけでも一冊の写真集では足りないでしょう。とりあえず、最近歩いた所をご紹介します。 2007年10月に北京駐在時代の俳句仲間と嵯峨野を吟行しました。 |
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おたぎねんぶつじと呼びます。1200羅漢で有名なお寺ですが、化野念仏寺の方が一般観光客にはなじみがあり、 ここまで来られる方は少ないのではと思います。創建は8世紀中ごろ、称徳天皇が開基されています。 興廃を繰り返し、1981年から一般の人が彫った石像を奉納させることで有名になり、現在もその羅漢像は 増え続けています。色々風体の変わった羅漢さんが並んでいます。 |
愛宕寺(おたぎじ)の山門です。 山門は江戸中期の建造と言われています。 |
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山門から本堂への参道に並ぶ羅漢さんたちです。 釈迦の涅槃時に立ち会ったとされる羅漢の数が五百人で あったことから、五百羅漢という言葉が一般に知られていますが、 その百年後に七百人の羅漢達が結集し、 教えを正しく伝えるために勉強会を開いたといわれます。 愛宕寺はこの時の数に合わせ、五百躰の完成後に 第二結集として七百躰を追加し、 1991年(平成3)に千二百羅漢の寺となりました。 |
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本堂に向かう右手には表情豊かな羅漢さんが 列をなしています。1200羅漢像です。 一つ一つ眺めていると心が和んで来ます。 |
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参拝者が自らのイメージで彫りあげた羅漢さんは 一体一体に独特の表情があります。 奥は多宝堂で左にみえる像は伝教大師です。 |
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左は多宝堂です。 多宝堂の中には石のお釈迦さまが 安置されています。 右上には虚空蔵菩薩が安置され、 この周辺は奉納された羅漢さんの 山になっています。 |
三宝の鐘は「仏、法、僧」の三文字が彫られています。 | 本堂は重文に指定されています。鎌倉中期に再建されました。 |
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愛宕(おたぎ)寺から嵯峨野道を通って嵐山への道筋の風景を以下に並べてみました。 |
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今更、金閣寺でもないでしょうが、やっぱり京都の代表的寺院の一つ。ただし、ここはやっぱり秋と冬。 特に冬の雪はこの金閣を一段と映えあるものにするようです。ちなみに、家内の実家はこの近くです。 |
鹿苑寺(ろくおんじ)の参道です。 相国寺の塔頭寺院の一つです。 舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。 |
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参道の傍に「船形石」があります。 |
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舎利殿(金閣)です。 二層と三層は、漆(うるし)の上から純金の箔が張ってあり、 屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(こけらぶき)で、 頂上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰が輝いています。 一層は寝殿造で法水院(ほっすいいん)、二層は武家造で 潮音洞とよばれています。 三層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(くっきょうちょう)とよばれ、 三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物です。 |
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金閣の裏手から見る池の様子です。左手の池が メインの池です。 この手前には銀河泉があり、 義満がお茶の水に使ったと伝えられており、 今も清冽な清水が湧き出しています。 画面にポインターを置くと「銀河泉」をご覧頂けますす。 |
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有名な金閣寺垣です。 竜門滝の左側山畔に石段があります。 その両側に低い竹垣があり、これが金閣寺垣と称され 小竹垣の代表とされています。 |
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