東京都の風景   関東の風景   日本の風景    トップページ
大田区
大田区は東京都の最南端に位置しています。区内に羽田空港を有し、また、特殊技術を有する
中小企業が多いことでも有名です。大田区は大森区と蒲田区が合併し大田区となったもので、
太田道灌に由来する太田区の表記は間違いです。
大田区の面積は60.6㎢で、東京都23区では最も広い区です。
羽田空港の拡張で面積も広がっています。

人口は約70万人あります。都内では3番目の多さですが、人口密度は
面積が広いので、約12千人/㎢と都内では19番目の低さですが、
全国平均との比較では約33倍となっています。


馬込近辺は大正・昭和の作家が多く居住していたこともあり、
現在馬込文士村としてその痕跡を求めて歩く人も多くなっているようです。

日蓮がその生涯を終えた池上本門寺には徳川家由来の親族の墓や、
力道山など有名人の墓が沢山あります。


なんと言っても、大田区では東京国際空港でしょう。現在もまだ面積を
広げつつあり、日本一の国際空港の位置を不動のものにしています。
大森駅周辺
大森駅は大田区に入ってすぐの駅で,傍に大森貝塚の碑があります。
ただし、大森貝塚公園は品川区にあります
大森駅前にある天祖神社です。
祭神は天照大神八幡太郎義家が
奥州征伐の折ここで戦勝祈願したと言われて
います。

下は大森駅前から入る参道石段です。

天祖神社参道のすぐそばに
馬込文士村散策のみちの標識が
有ります。
これに沿って階段を上がるとレリーフの並んだ
道に出ます。
馬込文士村に住んだことのある作家たちの
レリーフが飾られていました。
何人の作家や画家たちがお分かり
になりますか?

こんなに大勢が住んでいたこと
ご存知でしたか?
レリーフの幾つかを並べてみました。

左は断髪のモダンガールとなった女性作家達
(左上は吉屋信子)

右は昭和初期の作家たちで、生活の不安から
麻雀やダンスにのめり込んだそうです。
左は室生犀星、萩原朔太郎の周辺に集まった
作家たちです。
北原白秋、三好達治、衣巻省三等の名前が
有ります。

右は女性作家の(左から)片山広子、宇野千代、
村岡花子、吉屋信子、佐多稲子です。
とにかく坂道の多い大田区です。
ここは「闇坂(くらやみざか)。
.
この辺りには昔八景園があり
その樹木が鬱蒼と茂っていた為
薄暗い坂道で、この名が付いたそうです。
厳島神社です。

祭神は市杵島姫で、かっては小町神社と
呼ばれていたそうです。
弁天池に囲まれた可愛い神社です。

神社内には立ち入れませんでした。

この近辺には室伏高信が住んでいたそうです。




弁天池の傍にある山王花清水公園です。

小じんまりした公園ながら、よく手入れされ
公園内には弁天池の源泉である「御神水」
があります。

御神水です。

馬込
馬込には東、西、中、北、南馬込があります。
文士が住んでいた地域は南馬込が中心となります。
大田区郷土博物館です。
馬込文士村散策の北よりの拠点となります。

館内には地域の歴史とともに馬込在住の
文士たちの資料展示がされています。

博物館の南側には佐藤朝山の旧居跡が
残されています。
万福寺です。

山門は茅葺です。
創建は1192年源頼朝の家臣であった
梶原景時の手になると言われています。
景時の墓が万福寺に有ります。

寺の傍には室生犀星が住んでいました。

画面にポインターを置くと景時の墓を
ご覧いただけます。
万福寺境内にある室生犀星の句碑です。

「笹鳴きや
      馬込は垣も
             まだらにて」  犀星

刻字は犀星の自身の文字だそうです。
南馬込の街並みです。

昭和初期に文士たちがうろついた
街並みとは様変わりなのでしょうが、
なんとなく文学の香りの有りそうな雰囲気を
感じるのは独りよがりなのでしょうか。
閑静な街並みにたたずむのは
三島由紀夫邸です。

瀟洒な洋館で庭も広く、三島文学の
発祥の場所として感じるものがあります。

表札は今もそのまま残されています。
宇野千代と尾崎士郎が共に過ごした家が
有った場所です。

画面にポインターを置くと
現在も宇野姓の方が居住されている家を
ご覧いただけます。
書家の熊谷恒子の旧居です。

現在記念館になっています。
熊谷恒子はかな書道界の巨匠と
称されていますが本格的に書道を
志したのは35歳の時だそうです。



川端龍子記念館です。

龍子の作品を収蔵しています。

館内は撮影禁止で作品の写真は
撮れませんでした。

川端龍子昭和33年作
「やすらぎ」
龍子記念館から西馬込駅方面に向かう
途中に馬込桜並木通りがあります。
この年は3月30日でもまだ7分咲き位でした。
池上
池上は大田区の中央にあります。東急池上線の池上駅があります。
池上と言えば本門寺と梅園。今回は本門寺を訪ねてみました。
池上本門寺の総門です。
元禄年間の建立で扁額は本阿弥光悦の
書になります。
写真では見難いですが、「本門寺」と
書かれています。



扁額です。

参道石段は加藤清正の寄進に由るものです。
96段あり、別名を此経難持坂
(しきょうなんじさか)と言います。

ポインターを画面に置くと階段上からの
眺めをご覧頂けます。



仁王門です。
1977年(昭和52)の再建です。


下は仁王像です。
1979年(昭和54)に新造されています。

大堂です。
本堂とは呼びません。

元は清正が母親の供養のために1606年
建立しましたが、現在の大堂は1964年の
再建です。
天井には川端龍子の絶筆となった龍が
描かれています。
五重塔は1608年の建立で空襲から遁れ、
幕末以前の関東地区の五重塔の中では
最も古いものです。
国指定の重文です。
経蔵(1784年建立)も戦災から免れました。
大田区の文化財に指定されています

日蓮を荼毘に付した場所に建てられた宝塔です。
1828年建立。
屋外で木造の宝塔は珍しいそうです。
外回りを修理中で本来は朱色の塔です。
東京都の文化財です。
本殿です。昭和44年の復建です。
法事がここで行われます。
大堂での法事は余程の地位の
人物以外は無理だそうです。
本殿の仁王像はアントニオ猪木を
モデルにしているそうです.



本門寺には有名人の墓が沢山あります。
その中でも案内板のある墓は
この力道山の墓だけでした。

右の銅像の左腕をさするとパワーがもらえる
との風説によりその部分がピカピカに
光っています。
本門寺本殿の奥にある松濤園は
小堀遠州の作と伝えられいます。
一般公開は期間限定となっていますが、
朗峰会館のロビーから外観だけ眺められます。
羽田
東京都の国際空港(東京国際空港)のある場所です。通称羽田空港。
日本最大の空港で、世界でも4番目に多い旅客数を扱っています。
羽田空港の見取り図です。

空港は1931年(昭和6)に開港され、
1952年(昭和27)に占領軍からの
返還により「東京国際空港」として利用
されました。
1993年(平成5)に羽田空港は
リニューアルされ、ビッグバードという愛称で
現在に至っています。

この間には一旦成田空港へ移牒された
国際線も一部羽田空港に離着陸が
認められ、国際線旅客ターミナルが
2010年10月に完成しました。


国際線ターミナルの様子です。
正面奥にはB滑走路があります。
国際線ターミナル屋上から見る
国際線待機場所です。
正面奥は第1旅客ターミナルです。

左手の塔は旧管制塔、右が新管制塔です。
高さは116mあります。
D滑走路完成に伴い、従来の管制塔では
見通しが悪いため、新しく建てられました。
旧管制塔はお役御免となっています。
国際線ターミナルの5階にある
展望台です。
国際線ターミナル4階にある
江戸小路のレストラン街です。
国際線ターミナル4階にある
「江戸小路」の広小路正面の
江戸舞台です。
国際線ターミナル屋上から見られる
空港西寄りの眺望です。

川は多摩川です。奥に見える橋は
「大師橋」です。
対岸は川崎市になります。
D滑走路完成により、新規に作られた
管制塔です。
高さは国内最高の116mあり、
2010年(平成22)供用開始されています。

左の建物は空港第1ビルです。

機体はD滑走路へ向かっています。
D滑走路から飛び立った機中からの
羽田沖東京湾の眺望です。

左手はB滑走路で、正面はお台場方面
になります。
                       東京都の風景    関東の風景    日本の風景  トップページ