須坂 小布施
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須坂、小布施は長野電鉄の沿線にある街で、長野駅から15分〜20分です。
須坂は明治以降製糸業で発達した街で、蔵造りの家が多く、蔵の町とも
言われています。江戸末期にこの地で藩のご用達として商売を始めた
田中本家はその後豪商として須坂藩をも上回る財力を持ちました。
その邸宅は現在「田中本家博物館」として一般公開されています。
写真に(*)があるものは画面にポインターを置くと別の写真がご覧いただけます。

須坂
田中本家博物館 須坂駅から徒歩20分ほどの所にあります。
100m四方の屋敷には20の土蔵が周りを
囲んでおり、回遊式庭園は当時の藩主も
ことのほか愛でたとのことです。
田中本家の正面玄関です。(*)
主庭です。左のモミジが紅葉する時が美しいので、秋の庭と呼ばれています。(*)
内庭ですが、右手にある夏椿から夏の庭と呼ばれています。
ちょうど夏椿が落花の時でした。
庭の外周りには蔵が並んでいます。この蔵の一部を改造し田中本家が日常
使用していた調度品や衣類、おもちゃ等と書画骨董を展示しています。(*)
この門は当時の須坂藩主が田中家の庭をしばしば訪れる時に使ったもので、
お忍びの門と呼ばれていたそうです。
母屋の建物ですが、焼板塀と土壁、障子の白が美しい。(*)
須坂市街 須坂市内には沢山の土蔵造りの家が残って
います。新しい家も土蔵風に造られています。
古い土蔵造りですが、田中家親族の居た建物で、庇の部分が五層に
なっています。この部分が厚いほど裕福な家だと言われています。
市内にある造り酒屋です。
新しい街並みも土蔵造りとなっています。(*)
市内にある傘鉾会館には須坂祇園祭で使われる傘鉾が展示されています。(*)
 須坂クラッシック美術館(木曜休館) 休館で中に入れませんでした。
 明治初期に建てられ母屋、上店、土蔵、長屋門の四棟からなっています。
小布施

小布施は長野駅から長野電鉄で20分。須坂からは6〜8分の所に
あります。街はこじんまりとしており、徒歩でほとんど回れますが、
急ぐ場合は駅前などにレンタサイクルがあり、これで回ると結構時間の
節約になります。日曜・祝祭日には市内バスが運行され、一日券は
300円です。ただ、一時間に一本程度なので、時間に余裕のある方には
便利かもしれません。
小さな街の割には美術館などの施設は多く、北斎に因んだ「北斎館」、
北斎の面倒を見た「高井鴻山記念館」、「中島千波館」、「栗の木美術館」
「現代中国美術館」などなどがあります。
また、小布施は小林一茶がしばしば訪れており、街のあちこちに一茶の句碑が
建っています。
我々は3時間の余裕しかないため、自転車を借りて回りましたが、
思ったほどは見学できませんでした。

岩松寺
開創は1472年雁田城主常倫公、開山は不琢玄珪
禅師。ここの見ものは本堂天井に描かれた葛飾北斎の
手になる「八方睨み鳳凰図」です。
また、当地で亡くなった福島正則の霊廟があります。
 岩松院仁王門です。参道を上がると正面が本堂です。(*)
 本堂の天井に描かれている葛飾北斎の手になる「八方睨み鳳凰図」です。
 堂内撮影禁止で小布施観光ガイドからの転載です。
 本堂裏にある福島正則公の霊廟です。(*)
 この池は「痩せがえる 負けるな一茶 ここにあり」の句で有名な、
 蛙合戦の池だそうです。句碑も池の傍に立っています。
浄光寺
浄光寺は岩松院の南、雁田山の麓にあります。
ここの薬師堂は国の指定文化財となっています。
 浄光寺山門です。参道は雁田石が無造作に置かれていますが、
 石段は一直線に揃っています。(*)
 重文の薬師堂は2007年に屋根の葺き替えが行われました。
小布施街中 小布施の街は徒歩で10分程度の範囲に纏まっています。
その中に美術館、博物館、記念館が幾つもあります。
 北斎館です。館内撮影禁止です。
 北斎館から高井鴻山記念館へ抜ける「栗の小道」です。小道には
 びっしりと栗の木片が埋めてあります。 
 「高井鴻山記念館」入口です。 記念館内部は 下をクリックしてください。 
 
 小布施では一茶の句碑が多いですが、この梅松寺は一茶がたびたび句会
 を開いた寺で、住職も一緒に作句したそうです。
 この寺の句碑は「侍に蠅を追わせる御馬哉」
小布施駅にも一茶の句碑がありました。「いがごてら 都へ出たり 丹波栗」
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