川越市
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川越市は人口35万人の都市で、江戸時代には親藩・譜代の川越藩の
城下町として栄え、小江戸の別名も持っています。城跡・神社・寺院・
旧跡・歴史的建造物が多く、文化財の数では関東で鎌倉市、日光市に
次ぐ多さです。歴史街づくり法により、国から「歴史都市」に認定されており、
埼玉県内では川越のみとなっています。

川越は関東でも最大石高の城下町であり、商業も盛んで、川越商人により
建設された川越鉄道は西武鉄道のルーツとなっています。

更に、火力発電所、水力発電所が設けられ、埼玉県内で最初に電灯が
ともった都市でもあります。

川越藩の殖産政策で色々な産業が興されましたが、武蔵野台地での
サツマイモの栽培が盛んとなり、川越芋として江戸では評判になり、
以降、「芋の川越」が定着することとなりました。
現在でも芋菓子などの生産販売が盛んです。

2015年4月に川越に立ち寄りました。
川越市役所です。改修中で建物はすっぽりと
シートで覆われていました。
市役所の向かいにある川越城中ノ門堀跡です。

中ノ門堀は敵が西大手門(北側)から攻めて
きた際、本丸方向へ直進させない役割を
持っています。

明治以降、川越城の施設、建物が取り壊された
中で、唯一残った堀跡です。

画面にポインターを置くと堀の状況を
ご覧いただけます。

市役所の東寄りのある美術館、博物館です。
ご覧の建物は博物館になります。
博物館の南には川越城本丸御殿が
あります。

川越城は、扇谷(おうぎがやつ)上杉持朝が
1457年(長禄1)に太田道真・太田道灌父子ら
家臣に命じて築城させた城です。

現在川越城の名残はこの本丸御殿くらいに
なっています。

本丸御殿の詳細は下記からお入り
頂けます。

本丸御殿
本丸御殿の隣にある三芳神社です。

806〜808年(大同年間)の創建と伝えられて
います。平安初期になります。
江戸時代以降は徳川の直営神社となっていました。

本殿、拝殿の原型は1624年(寛永1)に川越城主
酒井忠勝が神社再興に着手した時のもので、
以降、何度か修復され、1936年(大正11)に
屋根が銅板葺に改められ現在に至っています。

この神社は童謡「とおりゃんせ」の発祥地と
言われています。作詞者は不詳ですが
野口雨情の作との説もあります。

画面にポインターを置くと拝殿がご覧いただけます。
三芳神社の西寄りにある川越城富士見櫓跡
です。
川越城には天守閣はなく、この富士見櫓が
天守閣の役割を果たしていたそうです。

奥の高台に櫓が作られていました。
現在は石碑が立っています。

画面にポインターを置くと
櫓跡をご覧いただけます。(石碑だけです)
川越市松江町にある「いちのや」は
1832年(天保3)創業の鰻屋さんです。

お昼にここでうな丼を食べました。
団体だったのでちょっとさびしい鰻の量ですが、
まあこんなもんでしょうねぇ。

画面にポインターを置くと
うな丼の様子をご覧いただけます。
デザートに果物も出ました。
鰻屋さんから東へ少し歩くと
成田山川越別院に出ます。

川越別院成田山本行院と称し、本尊は
不動明王で1853年(嘉永6)の創建です。
通称は川越不動と呼ばれています。

お寺の創建には逸話があり、農村出身の
石川照温は30歳頃に盲目となり、自ら命を
絶とうとしたところ、不動明王が見え、それを
きっかけとして仏道に目覚め、成田山新勝寺の
お不動様を熱心に信仰したところ、不思議にも
目が見えるようになったと言う事です。
そこで、下総の国(現在の葛飾区)で廃寺と
なっていた本行院を成田山別院として
当地に再興したのが始まりと云われています。
本行院の本堂です。
毎月28日には蚤の市(骨董市)が開かれ
賑やかになるそうです。
成田山別院の向かいにある川越歴史博物館
です。

時間の関係で内部には入りませんでした。
街歩きには相当の時間の余裕が必要です。
成田山別院を南へ行くと
川越大師喜多院の参道へ出ます。

喜多院は天台宗の寺院で川越大師と
呼ばれています。
喜多院慈恵堂です。

喜多院は平安初期の830年(天長7)に淳和天皇
の命で円仁(慈覚大師)が建立し、
当初は無量寿寺と号しました。

境内にある多宝堂です。

喜多院には客殿、書院、庫裏、山門など
国指定の重文が数多くあります。
これらの拝観は有料となっています。
喜多院から県道へ向かう途中にある
古いお豆腐屋さんです。
昔ながらの製法で作っています。
「大正浪漫夢通り」と名付けられた街並みです。
大正時代の建物が並んでいます。

季節柄鯉のぼりが通りに靡いています。
大正浪漫夢通りにあるはんこ屋さんです。

蔵造りとは異なる木造の建物が大正ロマンを
感じさせます。
仲町を東西に走る通りの家並みです。
この辺りの家も蔵造りになっています。
左手は観光案内所です。その隣は鰻屋さん。
その右奥はお茶屋さんです。

家の屋根にある外灯にはお店を表わす漢字が
一字書かれていまいした。
画面にポインターを置くと外灯を拡大して
ごらんいただけます。
お茶屋さんの家と倉と車庫です。

同じ通りの並びにある普通の民家です。
立派な蔵造の二階が有ります。
1階への荷重が大変なものでしょうね。
同じ通りにある山崎美術館の建物です。
この日は休館日で、外観だけで中には
入りませんでした。
蔵そのものが美術館になっています。
中央通り(左から右に通る道路)の
仲町交差点です。

ここから右手が蔵造りの街並みになります。
仲町交差点を北に行くところにある
洋館建てのお店です。

右手の建物は1936年(昭和11)に建てられた
川越最初のデパートです。
1階窓の上部はステンドグラスになっています。
今風ではない洋館づくりの家もあります。
中央通り仲町交差点から札の辻交差点まで
蔵造りの街並みと称し、「重要伝統的建造物群
保存地区」に指定されています。
1893年(明治26)の川越大火の後、耐火建築
である蔵造が採用され、現在も30軒以上の
蔵造りの家が並んでいます。
現在のりそな銀行川越支店ですが、
1918年(大正7)に保岡勝也の設計で
第八十五銀行本店として建設された
ルネサンス様式の建物です。
登録有形文化財です。
蔵造りの代表的な家並みです。
川越市の蔵造の家として紹介される
ことが多い家です。
川越のシンボル、時の鐘です。
江戸時代寛永年間(1624〜44)に
川越藩主酒井忠勝によって建てられました。

現在の建物は1893年の川越大火の後に
再建されています。

現在も6時、正午、15時、18時の鐘が撞かれて
います。

画面にポインターを置くと
別角度からの塔をご覧いただけます。
大沢家住宅です。
重要文化財に指定されています。

川越市内で最古の蔵造りの商家で、
1792年(寛政4)に豪商、近江屋半右エ門が
呉服太物を商う店舗として建てたものです。

現在は民芸品の小松屋として使われています。
石の門構えに蔵造を折衷した建物も
ありました。

創作ちりめんのお店です。
札の辻交差点から仲町方面を眺めた
風景です。
ここまでが保存地区になっています。
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