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ロベン島へは
ケープタウンの
専用桟橋から
このフェリーで
渡ります。
毎日午前1回
午後2回往復
しています。
ロベン島での
観光の間
この船は待機
しており、
観光終了後
同じ船で
ケープタウンへ
戻ります。
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ロベン島の
船着き場です。
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このバスで島内を
廻ります。
島内のガイドは
元囚人ではありません。
我々のバスは
女性のガイド
でした。 |
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島内の刑務所です。
国旗の立っている
所が正門に
なっています。
この刑務所は
黒人の囚人のみ
収容され
白人の場合は
プレトリアの
刑務所に収容
されていました。 |
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刑務所の横にある
墓地です。
島内で亡くなった
人たちが此処に
葬られます。 |
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囚人が石灰石を
切りだしていた
現場です。
マンデラもここで
労働をしていました。
掘削場には洞穴があり
トイレになっています。
ここには監視員が
入ってこないので
囚人の息抜き場、
囚人同士の
歓談場になって
いたそうです。
また、高等教育を
受けた囚人が多く、
無学の囚人に
ここで色々教育も
行ったそうです。 |
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この石積は
マンデラが出所の後
1995年2月に
ここを訪れた際、
1個の石を積んだら、
集まった元囚人も
一人ひとりと石を
積み上げた結果だ
そうです。 |
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石積みの教会です。
1895年の建設。
ハンセン氏病
隔離施設の中で
唯一現存する
建物です。
管轄が教会のため
残ったそうです。
他の建物は伝染を
恐れ全て壊された
そうです。 |
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ロベン島で
最も古い建物の
教会です。
1841年の建設。
現在の建物は
改修されたもので、
結婚式などに使われて
いるそうです。
*裏画面は
教会に貼られて
いたプレート
です。 |
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刑務所の職員が
住んでいた住宅です。
現在も利用されて
います。 |
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島の小学校です。
1894年の設立。
両翼は1990年ころに
増築されています。 |
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島の北端から見た
テーブルマウンテン
です。
ここからの眺めが
一番美しいと
言われています。 |
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イスラム聖人廟
です。
1969年の建立です。
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刑務所の入口にある
国旗掲揚台です。
右手が入口になります。
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囚人の労働場所で
内庭になっています。 |
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独房棟です。
マンデラも
ここに収容されて
いました。
*マンデラの収容
されていた部屋の
内部です。
当時に与えられた
道具と同じものだ
そうです。 |
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集団房棟です。 |
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集団房棟内での
説明です。
説明員は元囚人で
当時の状況を説明
してくれますが、
説明は訛りのある
英語で、ツアーの
添乗員が通訳
してくれましたが、
十分な理解には
至りませんでした。 |
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集団房の一部です。
ここには60名位
収容されていた
そうです。
寝具は当初上の写真
のマットが与えられた
だけだそうで、その後
ベッドが使えるように
なったそうです。
正面のキリストの絵は
囚人が当時描いた
物だそうです。
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ロベン島の船着き場
の壁に埋め込まれて
いる写真です。
当時の囚人の様子が
写されていました。 |
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船上から見た
ロベン島北端部と
テーブルマウンテンです。 |
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テーブルマウンテンから
望遠で撮った
ロベン島の全景です。
ちょっと見難いですが…
刑務所は右端の
部分になります。 |
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