南部アフリカ アフリカ 東アフリカ ボツワナ 北アフリカ
南アフリカ共和国
プレトリア ヨハネスブルグ ソウエト
スタークフォンテン ケープタウン


南アフリカ共和国は1961年に成立
しました。これは人種差別を非難する
英国から離脱したことによります。
独立は1910年です。
アパルトヘイトは1960年代〜1980年代

まで続き、1991年にアパルトヘイトの
関連法が廃止されました。
1994年全人種参加型の総選挙が
行われ、マンデラ政権が成立しました。
首都はプレトリア(南アは行政、立法、司法の
中心が別の都市に分かれていますが、
プレトリアに行政府のあること、大使館も
プレトリアにあることからここを首都と認識
されています)ヨハネスブルグの方が名前が
有名で、こちらを首都と間違えるケースも
多いようです。ちなみにケープタウンには
立法府があります。
治安は全体にあまり良くないと言うことで、
ツアーの場合、夜間外出は禁止、昼間でも
出来るだけホテルの近辺以外は出歩くなと
指示されました。

            
プレトリア
南アフリカの行政府のある首都です。
市内には70、000本ともいわれるジャカランダが植わっており、
9〜10月には市内全体が紫色になるそうです。11月初めでも
まだあちこちでジャカランダの花を楽しめました。
プレトリアの市庁舎と
街路樹の
ジャカランダです。
盛りは過ぎて
いましたが、
まだ花が付いて
いました。
市庁舎の正面
英雄プレトリュウス
の像(奥)が立って
いました。
市庁舎の横の通り
ポール・クルーガー
通りはジャカランダの
並木になっていました。
知人が「プレトリアは
上から見ないとだめだよ」
と言ってましたが、
その意味が良く判ります。
今回残念ながら
高い場所から街を
眺める機会が
ありませんでした。
プレトリア駅です。
朝早くから人が出入り
していました。
小高い丘にある
開拓者記念碑です。
裾野はジャカランダの
波でした。
駅と記念館は
こんな位置関係に
あります。
まさに南の国の桜という
風情です。
歩道は紫の絨毯敷き
です。
プレトリア市内の
朝の通勤ラッシュです。
結構自動車が
多かったです。
奥はチャーチスクエアで
遠目に見える像は
ポール・クルーガーです。
(南アの前身トランス
バール共和国の大統領)
スクエアには時間の
関係で立ち寄れません
でした。
プレトリアの街の
遠景です。
プレトリアは高度1300m
程の所にあります。
人口は約230万人強
です。
左手の大きな建物は
プレトリア大学です。
プレトリアから
スタークフォンテン洞窟
へ向かう途中にあった
小綺麗な住宅街です。
暫くして現れたのは
こんな風景です。
格差社会を如実に
表していました。
小さな家が密集する
地域でした。
ヨハネスブルグ
ヨハネスブルグは南部アフリカで最大の都市です。1886年に
金鉱脈が発見されて以来多くの人を集めて形成されてきた都市です。
また、アフリカ最大の金融センターです。しかしながら、治安の悪さは
世界一ともいわれ、街中をうろつくことはできませんでした。
市内にはジャカランダが結構多く、プレトリアにも引けを取らないくらいの
場所もありました。今回はプレトリアと空港の往復のみで市内には
金の加工場に立ち寄った以外はちらっと車窓から見るだけでした。
タンボ国際空港
(旧ヨハネスブルグ
国際空港)の
1階ロビーです。
思ったほど人は
多くありませんでした。
タンボ空港です。
空港のバス
ステーション
です。
殆ど全ての観光バスが
荷車を引っ張っています。
荷物の紛失を避けるため
でしょうかね。
市内には入ると立派な
ジャカランダの木が
花を付けていました。
夕方の街並みが
ちょこっと見えました。
正面はサッカー場です。
少し街外れに
なるのでしょうか。
車両も少なく
閑散としています。
金加工店の近くにタワーが
見えました。
市内を走った時にも
同じような塔が
見えましたが、名前は
判りません。
ここもジャカランダの並木道
です。
砂丘ではありません。
金鉱山から出た砂の山
です。
上空から見た
金鉱山です。
あちこちに同じような
風景が見られます。
更に上空からの
ヨハネスブルグ(右手)です。
左手は黒人居住区の
ソウェト地区です。
ソウェト地区
ソウェト地区はヨハネスブルグの南西10km辺りにある黒人居住区
です。1976年アパルトヘイトに反対し、言葉のおしつけに反対した
学生たちが起こした「ソウェト蜂起」は13歳の少年の射殺から
大暴動に発展しました。
また、ソウェト地区にはネルソン・マンデラの生家があり博物館に
なっています。
マンデラファミリー博物館 (*)は画面にポインターを置くと
別画面がご覧いただけます。
黒人居住区でも
この辺りは結構瀟洒な
家が並んでしました。
その一角にマンデラハウスが
あります。
マンデラが生まれ育ち、
ロペン島での拘留後戻った
家です。


ハウスの内部は下のボタン
から入れます。

 ハウス内部
マンデラハウスの内部を
案内してくれた
ガイドのおばさんです。
マンデラハウスの
近くにあった
教会です。
観光客目当ての
露店も結構出ていました。
へクター・ピーターソン記念館
「ソウェト蜂起」の際に13歳であったヘクター・ピーターソンが最初に
警官の銃弾に倒れ、これを機に暴動化し、176人の死者を出すに
至りました。アパルトヘイト政策の終焉と全人種総選挙のスタートと
なった事件でした、これを記念し、記念館が作られています。
ヘクター・ピーターソンの
記念碑です。
この辺りが暴動の現場に
なっていたようです。

*後ろの塀の左端には
 ピーターソンが抱きかかえ
 られている写真が
 埋め込まれています。
ヘクター・ピーターソン
記念館(博物館)です。
内部は撮影禁止と
なっています。
「ソウェト蜂起」の時の
写真展示、ビデオ放映
などが行われています。
手前の広場に草の生えた
一列の線がありますが、
これは、ピーターソンが
撃たれた場所からここまで
一直線に示している
ラインです。道路を横切って
長々と続いていました。
近くにいた現地の生徒たち
です。
小綺麗にしています。
現地の女学生たち
です。
記念館から眺めた
ソウェト地区です。
中央は彩色された
火力発電所の蒸気塔
です。
ここからは綺麗な街に
見えます。
スタークフォンテン洞窟
1896年に金鉱山探索者によって発見された洞窟で、
ヨハネスブルグから30km程北西に行ったところにあります。
1924年の調査で初期人類の頭がい骨が発見されて
います。その後もこの近辺では初期人類の骨が出ており
この地が人類の発祥の地であると言うのが通説に
なっています。世界遺産に指定されています。
道路から洞窟への
入口に立っていた
標識です。
洞窟の周囲はこんな感じの
原野です。


*この標識の下の方に
アフリカから人間の一歩が
始まったことを表した絵が
描かれていました。
また「Cradle of Human
kind」(人類の揺りかご)
の記載もあります。
原野の中に一棟この展示館が
建っています。
見学受付もここで
行われます。


*洞窟のある周辺は
広々とした原野です。
右にある建物が
展示館です。
入場証はリストリングになって
いました。
展示館の内部です。
写真展示と一部発掘品の
現物とレプリカがあります。


*この近辺で発掘された
 原始人類の頭蓋骨が
 並んでいます。
 ほぼ完全な形で発見され
 た260万年前のものは
 コピー品で実物は
 プレトリアの博物館に
 保管されているそうです。
展示場から徒歩5分ほどの
所に洞窟の入口があります。

洞窟までの間の道にも
展示がありました。
左は330万年前の
アウストラロピテックス・
アフリカヌス(アフリカ
猿人)の足跡です。
右は260万年前の同じ
猿人のほぼ完全な頭蓋骨
から予想される頭部の
絵です。ミセスPLESの
名前がついています。
洞内は結構急な坂の
連続です。

原始人類がここで
生活していたのでは
ないそうで、天井の
隙間から洞内に
落ちた人の遺骨が
ここで発見されたと
言うことのようです。
天井の低い場所も
多くて、頭を岩に
ぶつけるケースも
多いようです。
自分は5回もぶつけて
しまいました。
鍾乳石も発達
していました。
洞窟を出たところには
ロバート・ブルームの
銅像があります。
彼はアウストラロピテクスの
化石を堀り続け、1947年に
260万年前のほぼ完全な
メスの頭蓋骨を発見しました。
人類発祥の証明です。

この銅像の鼻を撫ぜると
幸せになり、左手を撫ぜると
知力が向上するとのこと。
但し、両方撫ぜると何の
ご利益もないらしい。

鼻を撫でてきました。
ライオンパーク
ライオンパークはヨハネスブルグ都市圏の西側ウエストランド郡にある
サハリパークです。ライオンを中心に数百頭の動物がいます。
白ライオンと子ライオンに触れることが出来ることで有名なのだそうです。
ライオンパークの
ビジターセンターです。
パークの動物たちですが、
なんとなく元気がありません。
野生の動物を見てきたせいで
しょうか。
左上はホワイトライオンの家族
左下はチーター
右上は雌ライオン
右下はホワイトライオンの子供に
触れることが出来ます。
遠足?でしょうか。
大勢の小学生
(9歳と言ってました)
が来ていました。
キリンに餌を与えられる
場所が作られています。
子供たちは本当に
嬉しそうに餌を与えて
いました。
階段の途中にいる女の子の
髪の編み方が
素晴らしかったです。
細い一本一本のラインは
三つ編みにされていました。
「写真撮っていいかなぁ」と
声をかけたら
こんな騒ぎになりました。
片言の日本語で
こんにちは、さよなら〜と
言ってくれました。
人懐っこい子供たちでした。

*裏画面も子供たちです。

ライオンよりも子供たちに
会えたのが印象に残りました。
ケープタウン
ケープタウンは1652年にオランダ人によって開かれた街で、南アフリカで
白人が初めて入植した最も古い都市です。ここには南アの立法府があります。
ケープタウンはケープ半島の北にあり、
テーブル湾に面した港町です。
港を中心に再開発されたウオーターフロントは
400以上のショップやレストラン、映画館、水族館、
ホテルなどが集まるエンターテイメントスポットと
なっており、ここだけは治安の心配もさほどせずに
散歩や、ショッピングが出来るようです。

ケープタウンの南にのびるケープ半島には多くの動物が
生息しています。また、この地のみに繁殖する植物も
数千種類あるそうです。
半島先端の喜望峰はB.ディアスにより発見され、「嵐の岬」
と命名しましたが、その後ポルトガル国王の命名でポルトガルに
希望をと言う意味で「喜望峰」名付けられたそうです。
バスコ・ダ・ガマはこの岬を廻ってインドを発見しました。
ここより右寄の海はインド洋、左は大西洋で、まさに大洋を
二分する地点です。

ケープタウンの12kmほど沖合にロベン島があり、
ここには刑務所があって、ネルソン・マンデラが1964年から
1990年まで収監されていました。世界遺産になっています。

カーステンボッシュ植物園は自然世界遺産に登録されて
いる植物園で、基本的にはアフリカ固有種のみを集めて
います。
ケープタウンと言えば
やっぱりテーブルマウンテン
(1,086m)でしょう。
市街の東寄りから眺めた
ものです。
右端はシグナルヒル、真中は
ライオンズヘッドです。
テーブルマウンテンの左は
デビルズピークです。
(1,001m)。山の裾野に
広がるのが市街地です。
ケープタウン市街地から見た
テーブルマウンテンです。
市内の住宅街は
綺麗な邸宅が並んでいる
地域もあります。

テーブルマウンテンの詳細は
下記からお入りください。

   テーブルマウンテン
市内から見たデビルズピーク
です。

ケープタウン市街の
中心地です。
市内のストリートです。
日曜日で人も車も
殆どありません。
ウオーターフロント
地区です。
正面の赤い建物は
時計台です。
右はクロックタワー
センターです。

*時計台がご覧いただけ
ます。
ウオーターフロントから
眺めたテーブルマウンテン
です。
左に小さく赤い時計台が
ご覧頂けます。
ウオーターフロントを
散策する観光客は
結構多かったです。
ウオーターフロントの
ヴィクトリア入江の
乗船場からこのような
船に乗って約30分で
ロベン島(Robben Island)
へ渡れます。
ロベン島の刑務所です。
ロベン島の詳細は
下記からお入りください。

  ロベン島


   
ケープ半島
ケープタウンの南に延びる
半島で、東側はインド洋、
西側は大西洋に接してます。
先端のケープポイントで
両方の海が1つとなります。
今回はケープタウンから往き
は大西洋沿いにチャップマン・
ピーク・ドライブを通り、途中
インド洋側にでて、喜望峰に出、
帰りは半島の真中をまっすぐに
カーステンボッシュ植物園に
出ました。
ケープタウンの西にある
クリフトンの
メイデンス入江から
眺めた
十二弟子(山の名前:峰が
12並んでいる)です。
ここは高級住宅街だ
そうです。
上と同じ場所からの
キャンパスベイの
眺めです。
この日は曇り空で
海が良く写っていませんが
綺麗なコバルト色です。
水温が低く、夏でも泳ぐ人は
殆どいないそうです。
ドイカー島への
乗船場へ向かう途中の
スモールライオンズヘッド
です。
ホウトベイにある
ドイカー島には
こんな船で約20分ほど
航行します。
ドイカー島です。
ここは野生のアザラシが
生息しており
シールアイランドとも
呼ばれています。
ここへの途中から
今回の旅で唯一の
スコールに遭遇しました。
丁度アザラシを見ている
間だけの雨でした。
雨の中沢山の
アザラシ親子が
遊んでいました。
さっきの雨がウソのような
ホウトベイの景観です。
チャップマンピークロード
という海岸線を走る
道路からの眺望です。
湾の一番奥が乗船場に
なっています。
左の岬を廻った所に
ドイカー島があります。
道路から眺めた
ドイカー島です。
観光船が接岸中です。
黒い粒粒はアザラシです。
半島を横切って
フィシュホークと言う
街に出ました。
この海はインド洋です。
大西洋と異なり、
水温も高く泳ぐ人が
多いようです。
ここの湾では
地引網を曳いていました。
フィシュホークから少し
南下したところにある
ボルダーズ・ビーチ
です。
この海岸には
南アにのみ生息する
ケープペンギン
(ジャッカスペンギン)
が集まっています。
体長は60cmくらいで
小柄なペンギンです。
喜望峰自然保護区は
花の季節に入って
いました。
色とりどりの花が
咲き始めていました。
車窓からで
焦点が絞り切れてなく、
見難いですが、
殆どこの地の固有種ばかり
だそうです。
岩山の頂上が
喜望峰
(Cape of Good
Hope)です。
右上は喜望峰
右下は正面が
喜望峰で、右の海は
大西洋、左の海は
インド洋になります。
ケープポイントです。
アフリカ大陸
最南端の灯台です。

喜望峰、
ケープポイントの
詳細は下からです。

ケープポイント
カーステンボッシュ
国立植物園の入口です。
この植物園は世界で
唯一の世界遺産の
植物園になっています。
南アフリカの固有種のみを
集めた植物園です。
この植物園の園内は
26のセクションに
分けられています。
今回はごく短時間の見学で
ほんの一部しか見ることが
出来ませんでした。

園内の様子は下記から
どうぞ。

   園内
夕暮れのケープタウン
ライオンズヘッドが
浮かび上がります。
シグナルヒルから
ケープタウンの夜景を
見ました。
左はウオーターフロント
真中が中心街です。
正面の山が
デビルスピークです。
右寄りにライトアップ
されているのが
テーブルマウンテンです。
朝霧の中の入江です。
宿泊したホテルの
近くにある潟です。

地名もLagoon Gate
と言います。
ケープタウン市街から
空港へ向かう途中に
有ったバラック群。
市内との格差の大きさを
感じさせる風景です。
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