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カンボジアはシアヌーク国王の下で1949年に フランスより独立しましたが、1970年に ロン・ノル将軍によりクメール共和国が樹立 されました。しかし、その後ポル・ポト政権が 出来ましたが、1979年にベトナムの侵攻で ポル・ポト政権は崩壊。国際連合暫定統治 の後、1993年に民主選挙が実施され、 立憲君主制を採択。シアヌークが国王に 復帰しました。 現在は息子のノロドム・シハモニが国王と なっています カンボジアにはアンコールワットとプレアビヒア寺院 の2か所の世界遺産がありますが、タイ国境に 近いプレアヴィヒア寺院はタイとの紛争地と なっています。 |
今回はベトナム(ホーチミン市)より直接シェムリアップへ入りました。
そのため、カンボジアの首都プノンペンには立ち寄れませんでした。
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カンボジアの北に有る街です。 アンコール遺跡群があることで有名ですが、 街はごく小さなところです |
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何と言ってもカンボジアと言えばアンコールワットでしょう。 12世紀ごろに建設され、その後密林の中に埋もれていた ものを1540年に再発見され改修が行われました。 |
聖池に映る伽藍です。 1632年には日本人の 森本某が訪れ仏像を 寄進し、柱の墨書が 現在も残っています。 カンボジア国旗の象徴も アンコールワットです。 |
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日の出を迎える アンコールワット 大勢の観光客が 早くから集まってきて 日の出を待っていました。 ポインターを画面に置くと 日の出がご覧頂けます。 |
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アンコールワットへの入口 西大門と参道の両側に 広がるお濠です。 濠の幅は200mあります。 アンコールワット周辺部は 水路がきめ細かく作られて いたそうです。 参道の右寄りは修復され 歩きやすくなっています。 左寄りは未修復で 路面の崩れた所もあります。 画面にポインターを置くと お濠の写真を ご覧頂けます。 |
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西大門の前に有る 七頭のコプラ(蛇神ナーガ) の石像です。 守り神になるようです。 |
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西大門をくぐると目の前に 長い参道が現れます。 この両側の欄干様の 物はコプラ(蛇神)の 胴体です。 両側に有る建物は 経蔵です。 |
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経蔵です。 | |||||
堂宇の周囲を囲んでいる 第一回廊です。 東西200m、南北180m あります。 回廊の壁面には 色々な彫刻が施されて います。 いずれも物語になって います。 特に有名なのは 「乳海撹拌」で不老不死の 薬を巡るお話が 描かれています。 ポインターを画面に置くと 回廊の内部を ご覧頂けます。 |
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第一回廊より高い位置に 第二回廊があります。 回廊は東西115m、 南北100mあります。 彫刻などはなく、 算盤の玉のような柱で 窓が飾られています。 |
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第二回廊を上がると 塔屋のある第三回廊に でます。 第三回廊は最近になって 登ることが許されましたが、 この日は登るのが禁止 されていました。 祭りごとの日に当たると 登れないそうです。 登れなかった方が良かった かなと思う程の急階段 でした。 |
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第一回廊に彫られている 彫刻群です。 夫々にストーリーがあり、 いずれも戦いの図です。 部族同士の戦い 皇子と猿軍団が魔王と 戦う図、乳海撹乱の図 などです。 いずれもちょっと見難い ですが、 お好きな方は下の 入口から入ると 壁面の彫刻群が ご覧頂けます。 |
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回廊の外壁などの 大理石に彫られた 神女などの彫刻です。 詳細をご覧いただく場合は 下記をクリックしてください。 |
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南大門へのアプローチ道路 にはナーガ(蛇神)を引っ張る 阿修羅の像が並んでします。 ポインターを画面に置くと 城壁を取り囲む濠と 阿修羅の像がご覧頂けます。 |
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南大門の塔屋には 観世音菩薩の像が彫られて います。 五つの門ではこの南大門が 一番原形をとどめています。 |
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南大門を奥へ進むと バイヨン(寺)があります。 バイヨンはクメール語では 「美しい塔」の意味だそうです。 バイヨンの塔には全て人面 が彫り込まれています。 中央祠堂を取り巻く塔屋も 全て人面が彫られて います。 ポインターを画面に置くと 彫刻の状態がご覧 頂けます。 |
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バイヨンにも回廊があり 第一、第二回廊で形成 されています。 これは第二回廊です。 壁面にはレリーフが 彫り込まれています。 |
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第二回廊を上がった 第三層にはテラスがあり 幾つもの人面を彫った 塔が並んでいます。 |
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テラスに有る四面像のうち 日本人に最も有名なのは 左の「クメールの微笑み」と 右の「京唄子さん」でしょう。 似てますねぇ。 |
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ピミヤナカスです。 10〜11世紀に建造された 宮殿です。 クメール語では空中楼閣と 言うそうです。 現在修理中で入場は 出来ませんでした。 バイヨンの北側にある王宮 の中心に有ります。 ポインターを画面に置くと 宮殿の拡大写真をご覧 頂けます。 |
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王宮を取り囲んでいた塀と 北への門です。 |
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王の浴場です。 女性用の浴場はこれより 大きくなっています。 左手の人の大きさと比べて 見るとその大きさが実感 出来ます。 |
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三島由紀夫の戯曲 「癩王のテラス」で有名に なった場所です。 テラスには石像が置かれ、 業病に侵された王を弔う 為の種々の彫刻が周辺に 施されています。 この石像は複製品ですが、 王の像という説のほか種々 の説があるそうです。 ポインターを画面に置くと テラスの壁面に彫られた 仏像群をご覧頂けます。 |
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癩王のテラスの横に有る 「象のテラス」です。 ご覧のように象の彫り物が ずっと続いていることから 象のテラスと呼ばれている ようです。 王宮の前庭で王様が 閲兵などを行った 場所とのことです。 ポインターを画面に置くと 塀の彫刻がご覧いただけ ます。 |
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アンコールトムの東側の 勝利の門です。 南大門同様に観世音菩薩が 塔屋に彫られています。 |
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遺跡群の中で北東部の一番奥まったところに有ります。 「女の城」を意味するクメール語のようです。 |
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バンテアイスレイは967年に 着工されたヒンドゥー教の 寺院遺跡で規模の小さい お寺です。 入口もこじんまりしています。 |
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リンガ(参道の両側に立って いる石柱)の並ぶ参道です。 赤い砂岩で作られている為、 寺院全体が赤っぽくなって います。 リンガは男性のシンボルを 表し、シバ神のために 建てているとのことです。 |
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中央祠堂の全景です。 女の城らしくこじんまりと 纏められています。 |
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中央祠堂への入口です。 破風には細やかな彫刻が 施されています。 |
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この寺院の彫刻で有名 なのは「東洋のモナリザ」 と称されるこれらの デバダー像です。 現在は壁面には近づけない ようになっており、6〜7m位 先からしか撮影できません。 バカチョンカメラではこの レベルしか出ませんでした。 ふくよかで柔らかな線は 遠くから見ても 素晴らしいものでした。 |
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中央祠堂と南経蔵です。 中央祠堂の左の塔の 彫刻が上の右二体です。 |
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王の沐浴用の池だそうです。こんな大きなところで??? |
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王が沐浴するために作られた 池だそうですが、石畳と 獅子の石像、蛇神の欄干で 構成されています。 一般の人がここで水浴びを していました。石鹸付けて・・ |
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スラスランの真向かいに有る パンテアイ・クディです。 塔の形状から仏教寺院と 判るのだそうです。 時間的に内部参観は出来ず、 外からの眺めのみでした。 |
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遺跡群の中でも樹木による浸食の激しい寺院として有名です。 12世紀末に仏教寺院として建てられ、のちヒンドゥー教の寺に改修されて います。 |
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ガジュマルに巻き込まれた 寺院の一部です。 歩く木としても有名な ガジュマルに巻き込まれれば 石造りの建物はひとたまりも ないでしょう。 |
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太い木の根っこが塀の屋根を 支えているのか、壊しに かかっているのか 見た目には判りません。 |
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自然の強さを感じざるを 得ない風景です。 |
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シェムリアップより10数キロ離れた場所に有るこの遺跡はアンコールに 王都が移る前の都であった場所です。この地域に幾つかの遺跡があります。 |
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ロレイ遺跡は893年に建造され、 煉瓦製のため相当痛みが 激しい状態です。 それでも壁面の彫刻は しっかりと残っていました。 デバーダのリンク中に 含まれています。 この遺跡の中には僧侶の学校 が設けられており、若い僧の 卵が大勢いました。 画面にポインターを置くと ご覧頂けます。 |
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プリア・コ―遺跡はアンコール 遺跡群の中で最古のもので、 879年に建造されています。 壁面の彫刻はやはり綺麗に 残っています。 ここは神女ではなく武将の 像が多いです。 |
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バコン遺跡です。 881年に建造され周囲には 濠も作られています。 正面高い塔の中心に へこみがあり、ここに立つと 幸せになれると伝えられて いるそうですが??? 一応ここに立ってみました。 |
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塔の裏側です。 左手の新しい建物は僧侶の 宿舎だそうです。 正面の通りを突き抜けると 堀端に出ます。 堀端にはカーラが彫られて います。 ポインターを画面に置くと ご覧頂けます。 |
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トンレサップ湖はカンボディア最大の湖、いえ東南アジア最大の湖で、 シェムリアップから10km程の所に有ります。湖上には水上生活者が 大勢います。 |
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トンレサップ湖は乾季と雨季では その大きさが4倍になります。 乾季で琵琶湖の約4倍あります。 湖上には水上生活者が 沢山おり、生活の施設が 湖上に色々作られています。 現在は観光収入が相当 あるようです。 |
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乾季は水量が少なく、 写真のような観光船に乗り、 正面に見える水路をとおって 湖へ出ます。 乾季と雨季では水面の高さが 10m程も違うそうです。 |
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水上生活者の村です。 |
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これは学校です。 陸上生活者も通学するそうです。 |
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教会もあります。 入口には catholic church chong khnies と書かれています。 chong khniesは 村の名前だろうと 思います。 |
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観光客に物を売る家族が 小舟で移動します。 子供たちの遊び相手は ニシキヘビで 犬並みに扱っています。 別に見世物にするわけでは ないようです。 子供の写真はポインターを 画面に置くとご覧いただけます。 |
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警察の派出所もあります。 旗の立っているのはお役所です。 |
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遺跡はまだまだありますが、似たようなものなので、遺跡は以上として シェムリアップの雰囲気をお伝えします。 |
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ホテルのロビーで 毎日朝からこの楽器を 演奏してくれていた お嬢さんです。 別のホテルでも 同じようにやっていました。 →ポインター |
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村の家は高床式の二階建て 自転車は必需品で 水道ではなくポンプでの 給水です。 見た目以上に小奇麗に 住んでいるようです。 |
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オートバイに荷を積んだ 女性の行商人と 村のお嬢さんたちです。 →学校帰りのお嬢さんたちも にこやかです。 |
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カンボジアの民族舞踊の 一場面です。 →同じく民俗舞踊です。 ストーリーがあるので しょうが詳細は判りません。 |
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カンボジア料理の一例です。 左上はお昼のセットメニュー 籐で編んだかごに入った 洒落たランチです。 左下は右2品とのセットメニュー サラダとかぼちゃの蒸した物。 右上は牛肉煮込み 右下はデザートの果物 いずれも結構美味でした。 |
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ホテルの庭は花盛り。 プリムラも満開でした。 →陶器の置物と花の バランスが良かったです。 |
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シェムリアップ市内に有る シアヌーク・イオン博物館です。 イオングループが支援して建てた 博物館で、日本が発掘支援した 遺跡発掘品が陳列されています。 |
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市内のオールドマーケットの 野菜売り場です。 旧正月前で品数も豊富で、 大勢の買い物客が来ていました。 → 肉売り場にはブタの頭も ありました。 |
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魚は淡水魚がメインのようです。 → 目の前でさばいています。 |
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