デリー(2)
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Agra〜Noida
アグラからノイダまでの165kmは片側3レーン(全6レーン)の遮蔽型の高速道が
通じています。これによりアグラ〜デリー間は2時間程度で走れます。
高速道の料金所です。
自動化はされておらず、各ゲートに
係官が待機しています。
結構暇そうです。

画面にポインターを置くと
事務棟をご覧いただけます。
「ヤムナ(Yamuna)高速道へ
ようこそ」の掲示があります。
高速道のパーキングエリアには
多数のトラックが駐車しています。
この日は日曜日で休みなので、
運転手は皆さん休暇のようです。

画面にポインターを置くと
タンクローリーの後ろに
「Horn Please」の表記が
あります。「Blow Horn」と
書いてある場合も多いです。
これは危険回避のために
後ろからどんどん警笛を鳴らして
ちょうだいとの意味だそうです。
高速道路でツーリングする
ハーレーダビッドソンに乗車する
集団がいました。
インドでもおじさんライダーが
いるんですねぇ。
日曜日で、インド共和国60周年記念日
でもあり、デリー市内でパレードが
あるとの事で(安倍総理も参加)
デリーの近辺で車両のチェックが
あった為、渋滞がひどかったです。
予定通りの道を走れず、スケジュール
変更となりました。
フマユーン廟
ムガル帝国の第2代皇帝フマユーンの墓廟。インドにおける代表的イスラム建築の
ひとつで、その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えたといわれています。
環状道路からフマユーン廟へ向かう
道路から望める
「Rahim Khane Khanam Tomb」
です。
詳細は判りませんがフマユーン廟に
よく似た作りになっています。
同じく道路のロータリー内部に
造られている建物です。
説明を聞いたのですが、メモしておらず
詳細は不明です。
フマユーン廟への入り口の道路です。
更にもう一つのゲートがあります。
上のゲートの入り口部から
フマユーン廟が綺麗に見えます。
フマユーン廟です。
赤砂岩をメインとして作られて
います。
フマユーンの死後1565年に
ペルシャ出身の王妃が墓廟の
建設を命じ、ペルシャ出身の
建築家親子によって9年がかりで
建てられています。
この廟はムガル帝国の墓廟の
典型となっており、タージ・マハルなども
ほぼ同じような作りになっています。

1993年世界遺産に登録されています。
タージ・マハルと異なり、ここは
内部の写真撮影も自由です。

これはフマユーンの墓です。
遺体はこの中にはなく、この下の
地下に埋葬されています。
内部の作りです。
大理石がふんだんに使用されて
います。
この部屋は王妃、王子の墓です。

左が王妃の墓でセンターにあります。

フマユーン廟の近景です。
イスラームの紋章が埋め込まれ、
表門4面は同じスタイルの
ファサードを持っています。
テラス部分には棺桶が
沢山並んでいます。
いずれも宮廷の貴族など
宮廷人の墓のようです。
前庭は四分庭園で正方形の庭が
四つあります。
チヤハルバーグと呼ばれる
ペルシャ式の庭園でインド内では
最古のチヤハルバーグです。
クトゥブ・ミナール
クトゥブ・ミナールは1200年ごろに奴隷王朝の建国者であるクトゥブティーン・アイバクによって、
イスラーム・モスクに付属して建てられたものです。ヒンドゥー様式とイスラーム様式が
混在した様式となっています。モスクはヒンドゥ―教・ジャイナ教の寺院などを破壊し、
その石材を転用して建造されたものであり、建築に携わった職人もヒンドゥー教徒で
あったと推測されています。1993年に世界遺産に登録されています。
クトゥブ・ミナールは世界一高い
ミナレットで、高さ72.5mあります。
基底部は直径14.3mあります。
頭頂部は直径2.7mになっています。
元の高さは100mほどあったのが、
落雷などで頂上部が何度か修復
されて低くなったそうです。

クァット・イスラーム・モスクは
元のジャイナ教寺院やヒンドゥー教
寺院を解体した石材などを利用して
建設されたインド最古のモスクです。
左:モスク内にある錆びない鉄柱です。
  ガイドは古代ステンレスと言って
  ましたがどうやら純鉄の柱のようです。
  製造年ははっきりしませんが、5世紀頃
  と言う説もあります。モスクを作る時に
  ジャイナ教などの寺院から持ち込まれた
  もののようです。

右:ジャイナ教寺院跡とイスラム寺院の
  アーチ門の間隙から眺める
  クトゥブ・ミナールです。
ジャイナ教寺院の石柱の彫刻です。

左のアーチはイスラム教の
右の柱列はジャイナ教の寺院の
跡です。
今回我々のグループが入場した時から
出口へ向かうまでこの二人の女性が
付かず離れずにずっとついてきました。
何となく胡散臭く、ずっと注目して
いましたが、結局何事も起こらず
出口付近で離れて行きました。
油断大敵かな。
日曜日で家族連れが多かったです。
大通りのセンターラインの
柵が洗濯物干し場になっていました。
こんなお店もあります。
店主は見当たりません。
骨とう品なのでしょうかね。
レッド・フォート
ムガル第5代皇帝シャー・ジャハーンがラホール出身の建築家ウスタード・アフマドの指揮
で建造した巨大な城で、完成したのは1648年です。赤砂岩で造られた要塞はレッドフォート
(赤い城、またはラールキラー)と呼ばれています。2007年に世界遺産に登録されています。
2014年1月26日にインド共和国
60周年記念行事として
デリーでパレードが行われました。
日本の安倍総理も参加したようです。

このパレードのおかげで我々の
午前中のスケジュールが変更され
フマユーン廟を先に訪れ、昼食、
そのあとクトゥブ・ミナールを見学、
パレードが終わったころを見計らい
ニューデリー市内に入りました。

インディアゲート付近にはまだ
多くの人が集まっていました。
レッド・フォートの南側の通りから
眺める城の景観です。

とにかくどこへ行ってもハトが多い。
城の西側から見た正門です。
パレードが有ったので内部には
入れませんでした。
レッド・フォートの周囲には
パレード見物に来た人々が
名残惜しそうにうろついています。
屋台なども出ており、腹ごしらえを
する人たちも多いです。
正門前に屯する人々です。
内部への入場はできません。
ティラック・ブリッジ近辺で
地下鉄が見られました。
この辺りでは高架を走っています。
インドの猿神「ハヌマーン」が
立っていました。
不死の神としてインド人の信仰を
得ているそうです。

インドでおさるの土産を探したら
この神様の置物ばかりでした。
ガンジー公園の近くにあった
塑像です。
左端にガンジーがいるのですが、
写りませんでした。
インド共和国60周年パレードに
参加したインド軍の一隊です。
ラクダ部隊です。
ラクダもカラフルに飾られ、
兵隊さんも着飾っていました。
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