|
|
|
|
|
|
|
デリーはインドの首都です。デリーはその発展の段階でオールドデリー、ニューデリー、ニュー・ニューデリーの 3地区に分かれます。政治の中心は英国の統治時代に計画的に作られたニューデリーにあります。更に、インド 独立後、ニューデリーが広げられニュー・ニューデリーとなっています。日本では首都をニューデリーとしています。 |
インド大統領官邸 英国統治時代の 総督府です。 |
||||
インド国防省です。 | ||||
財務省の建物です。 | ||||
インドの国会議事堂です。円形です。 | ||||
官庁街の道路は放射状に 延びていますが結構静かな環境です。 |
||||
インディアゲートです。 ニューデリーの中心の東側にあります。 国会議事堂をはさんで西側が大統領府に なっています。 |
||||
インディアゲートを北に行くとオールドデリーに 出ます。 街並みががらっと変わります。 英国の統治の前からある街並みです。 画面にポインターを置くと別の街並みも ご覧頂けます。 |
||||
オールドデリーとニューデリーの間にある レッドフォート(赤い城)です。 ムガール朝時代の建築の集大成となっています。 赤砂岩で造られているので、赤い城と呼ばれて います。 インドの建物で赤い色が多いのは この砂岩が使われているためで、 白い大理石は海外からの輸入となっています。 (*画面にポインターを置くと正門の眺めが ご覧いただけます) |
||||
城からオールドデリーに入ったところに 公衆便所がありました。 剥き出しのままのトイレでした。 2010年の写真ですが、2014年にも 同じ場所に同じものがありました。 |
||||
デリー南寄りにあるクタブミナール(Qutab Minar) です。世界遺産です。 13世紀初頭に建てられた赤砂岩製の塔で 72.5mあります。 元はバラモン教の寺院だったところに イスラム式の寺院を建てたものです。 |
||||
アーチ型の煉瓦で出来た門の遺跡は イスラム式の門で、その左に残っている構造物は バラモン教寺院跡です。 イスラムがバラモンを征服したという意味で 敢えて、バラモンの遺構を利用したと 言われています。 バラモン寺院の柱は色々な彫刻がされています。 |
||||
残されているバラモン教寺院の遺構です。 ポインターを画面に置くと塀の彫刻を ご覧頂けます。 |
||||
柱一本一本に細かい細工が施されています。 | ||||
天井にも細かい石細工が施されていました。 色々な色の石の組合せです。 |
||||
最初の塔より更に高い大きい塔を作り始めた のですが未完のままで残されていました。 |
||||
インドの女学生でしょうか、大勢女性が 来ていました。 (*) 家族連れも多かった です。 |
||||
デリーで観光客に最も人気があると 言われているフマユーン廟です。 世界遺産に登録されています。 この形状はイラン・イスラム建築方式で タージ・マハルの原形となっているそうで、 ここも全てが左右対称に作られています。 1565年の建造です赤砂岩に一部大理石が 使われています。 |
||||
普通に池の前にたってもこの景色は見られません。 カメラを水面一杯に降ろしてカメラ目線でのみ、 この反射映像が見られます。 二回目も同じ試みをしましたが、 人が多かったせいもあり、なかなかうまく 撮れませんでした。 |
||||
ドームの中央には棺が安置されています。 これは棺のみで遺体はこの真下の 地下に埋葬されています。 タージ・マハルも同じ方式です。 ところでインドの世界遺産を見るには 外国人はすべて250ルピー(約500円)掛ります。 インド人は5ルピーです。 |
||||
コルカタからデリーまでの飛行機で ヒマラヤ山脈を遠くに眺めることができました。 朝日に輝くヒマラヤ山脈を眺め続けていました。 |
||||
デリーの有名なカレー店「モチ・マハール」で 昼食にカレーを食べました。 左の取り分けた状態でサフランライスに野菜、 ラム、豆のカレーです。 右の上は調味料と小さい玉ねぎのピクルス。 下はナンとシャシリック(羊肉)と タンドリーチキンです。 美味でした。 |
||||
左はお店の正面 中はラムと野菜のカレー 右は食後の口直しに 食べる「アニス」という ハーブの種と氷砂糖です |
||||
デリーで見かけたインド女性です。 ポインターを画面に置くと頭に荷を載せた 別の女性もご覧頂けます。 |
||||
ジャイプール アグラ ファテープル・シークーリー コルカタ アジア | ||||