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1565年にセーターティラート王の命により、建立された寺院です。セーターティラートが王位を継承後、 王国の首都をルアンプラバンからビエンチャンへと遷都した時に、エメラルド仏を旧王都から移し安置したのがこの寺院です。 その後のシャムとの戦争でこの寺院は焼失し、エメラルド仏もタイに持ち去れました。現在、タイのエメラルド寺院にこの仏像が 置かれています。 現在の寺院はフランスの協力で1936年に再建されたものです。博物館となっており、僧侶はいません。 |
本堂です。 堂内は撮影禁止になっています。 ラオスの寺院は殆どが内部撮影が 禁止されています。 また、昇殿には靴を脱ぎます。 |
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本堂の入口の扉です。 大きな柱の前には観音像のような 仏像が並んでいます。 金綺羅金の飾りで蔽われています。 |
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外廊には数多くの仏像や石碑が 並んでいます。 博物館になっているようです。 |
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反対側の外廊にも色々な 仏像や石碑が並んでいます。 画面にポインターを置くと 同じ廊下を奥から眺めた画像も ご覧いただけます。 |
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本堂の裏側には隣に建つホテル 「AKARYN」が見られます。 寺院との併存にマッチした建物に なっています。 |
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左は正面入り口の外廊の様子です。 高さのある門になっています。 右は門の入口に立つ石仏(左右各1体)です。 |
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本堂の入口にある龍の飾りです。 ナーガ(蛇神)かと思いますが、 手に魚を捕まえているので、 龍だと思われます。 中国の龍とも、日本の龍とも 何処か異なるスタイルです。 画面にポインターを置くと 龍の拡大した画像をご覧頂けます。 |
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この像はラオス人の若い男女で 元は、この前にフランス人の像があり、 そのフランス人にラオス人が礼品を 奉げている物だったそうです。 独立後、ラオス人男女の像だけが 残され、フランス人の像は撤去された そうです。 |
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木の根に彫刻された工芸品です。 色々な動物が彫刻されています。 |
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境内に置かれているこの壺は ラオス北部ジャール平原から持って こられたと言われています。 この謎めいた石壷は墓か石棺であるとの 説が有力だそうです。 |
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寺院に入ってすぐの所に 郵便ポストがあります。 四角の箱にラオスの名所が プリントされています。 パトゥ-サイ(勝利門)にも 設けられていました(下図)。 |
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