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王宮の概念図としてウェブサイトから拝借した王宮の地図です。 現在残っている建物は左図で茶色の建物のみです。 今回、時間の関係で見て回れたのは黄色い線の行程のみでした。 王宮は阮朝13代(1802〜1945)の宮殿として使われ、 中国北京の紫禁城を模したものと言われています。 城内はベトナム戦争時の解放軍の拠点となっていたため、 殆どの建物は破壊され、残っているものも完全なものは少ないと 言われています。 日本の援助と韓国の技術で復元作業が進められているそうで、 いずれは復旧した王宮が見られるかもしれません。 今回訪問時は午門は修復作業中で門の上にも登れませんでした。 |
王宮東寄りの外堀に架かる橋と 體仁門です。 門から先が王宮の城内になります。 |
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橋のふもとから眺めた国旗掲揚台 (フラッグ・タワー)です。 外堀に沿って城壁が取り巻いています。 |
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城壁の中へ入ると 大砲の陳列館があります。 東と西の両側にあるようです。 |
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城内の広場を通って 国旗掲揚台(フラッグタワー)とその前の 広場へ出ます。 |
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国旗掲揚台広場から 入場した門(體仁門)の方向を 眺めています。 左は大砲の陳列館です。 |
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国旗掲揚台の前が 午門になっています。 門の前には内堀があり、 橋を渡って門へ向かいます。 門は修理中で中には 入れません。 |
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太和殿の前庭から眺めた午門です。 午門と太和殿前庭の間にある池は太掖池です。 中央の橋は中道橋と呼ばれます。 |
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太和殿とその前庭です。 ここでは宮廷内の官吏の集まりがあり、 その際の並ぶ順番が左手の石に 彫られています。太和殿に最も近い場所から 順次順位が下がって行きます。 正一品が最高位で以下、正二品、正三品と 並びます。 また、科挙の試験の結果もここで発表 されたそうです。 太和殿内は撮影禁止となっています。 玉座などが置かれています。 殿内は80本の柱で支えられています。 柱は全て1本丸太になっています。 画面にポインターを置くと 並ぶ石をご覧いただけます。 |
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太和殿の屋根部分です。 まさに中国風でこれだけ見れば 中国のどこかの屋根と思ってしまいそう。 |
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太和殿を抜けたところです。 後背地は広い広場になっています。 正面の壁の向こうが後宮となります。 |
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上の広場の右手にある建物で 内部は旧王宮の写真の展示室と なっています。 元は何かの建物なのでしょうが、 よく判りません。多分、武官の詰所に 使われていたと思われます。 |
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反対側は休憩所になっているようです。 元何に使われていたかはやはり不明ですが 多分文官の詰所だったようです。 今回太和殿以降は自由散策となり、ガイド なしで廻りましたので、案内書もなく、詳細が 判らずでちょっと残念でした。 |
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真中に金色の龍の像が有ります。 ちょっと安ぽい感じです。 |
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この壁の門から後宮に入ります。 | |
後宮部分はベトナム戦争で完全に 破壊され、何も残らなかったそうです。 現在ある建物は元の状態を解析して 極めて原型に近い形で復元されつつ あるそうです。 |
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復元された回廊部分です。 元は皇帝が雨にぬれずに行動できるよう 城内は全てこのような回廊で 繋がれていたそうです。 |
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宮殿の一部が土台だけ残っています。 恐らく、この辺りもすべて復元されると 思われます。 |
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土台から眺めた後方部分です。 回廊や後ろの楼閣もすべて復元 されたものです。 |
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ロイヤルシアターと記されていました。 「閲是堂」の額が有りました。 元の状態に復元されていると 思われます。現在各種民族芸能が ここで演じられているようです。 画面にポインターを置くと 内部がご覧いただけます。 |
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帰りは東の門から出ます。 門の名前は「日精」となっています。 |
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途中に古い門が残されていました。 門の上部に「楽慶門」と書かれています。 |
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東寄りの外堀へ抜ける門です。 「顕仁門」と書かれています。 派手やかな彫刻とモザイクで飾られて います。 |
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門を出た所の外堀の様子です。 | |
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