ベトナムの風景・中部ベトナム
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ベトナムは南北に長い国です。
北部はハノイが、南部はホーチミンが主たる都市ですが、
中部ではダナンが中央直轄市で中心的都市と言えるでしょう。

1835年、阮朝の明命帝は全ての欧州船にダナンに入港するよう勅令を発したため、
ダナンがベトナム中部最大の港となりました。
それまではホイアンが中部の中心的港として発展し、南蛮貿易を行っていました。
一方、フエは19世紀から20世紀にかけてベトナムに存在していた阮朝の首都に
定められていました。

ダナンはベトナム戦争時代1968年旧正月の米軍基地への解放戦線テト攻勢での
大激戦が有名です。

2015年2月にダナン、フエ、ホイアンを回ってきました。
この時期は乾季とばかり思っていましたが、ガイドは2月まで雨季だよと言ってました。
確かに、毎日のように長くはないけどしとしと雨が降りました。 がっくり。
ダナン  DA NAN
ベトナム戦争終結後ダナン市には、空港・港湾・倉庫・銀行・工場などが次々に建設され、
大規模な産業都市に発展しました。1996年には中央直轄市となりました。
中部ベトナムの中心都市です。
ダナンは日本の川崎市と姉妹都市となっています。
ベトナム・ダナンの国際空港です。
市内中心部から10分程度の場所に
あります。

ベトナム戦争の際には、アメリカ空軍の
北ベトナムへの北爆の前線基地となり、
密林を取り払うために、爆撃機に積む
枯葉剤の備蓄がされていましたので、
漏れだした枯葉剤の汚染が2013年でも
除去出来ず、枯葉剤で土壌汚染された
場所は、表層をコンクリートで固めて、
飛散防止をしています。
枯葉剤による汚染問題は、長年放置
されてきましたが、2012年から、米国の
資金援助でようやく除染作業着手に
乗り出しました。

国際空港の駐機場です。
日本からは成田〜ダナンを
ベトナム航空が運航しています。

この空港の利用航空機はベトナム
以外では中国、香港、台湾などが
主流となっています。
日本の航空会社の便はありません。
ダナン上空から眺めた
ダナン市街とダナンの海岸線です。

砂浜が長く続くことから欧米の人達の
避暑地として利用されています。

最近は中国人が増えているそうです。
中国系のホテルやリゾートも続々と
建設されています。
ハン川の下流にあるダナン港の
周辺です。
ソンハン橋から眺めています。
同じくソンハン橋からの眺望です。
正面の橋はトアンフック橋で
つり橋になっています、
左岸がダナン市の中心地となります。
ホテルの部屋から眺めた
ハン川に架かるロン橋です。
右手の所に少し黄色く見えるのは
橋の先端で龍の顔になっています。

橋は龍がうねるような形になっています。

ハン川のさらに上流にある
チャンテェイリー橋です。
手前に黄色く見えるのも橋ですが、
利用禁止になっているようです。

街中の眺めです。
特徴的な建物が色々並んでいます。
テト(旧正月)が近いので、街では
お花を売るおばさんが沢山居ます。
テトでは小菊の花が喜ばれるのだ
そうです。
共稼ぎの多いベトナムでは
朝の食事はこのように外で
するのが普通のようです。

ダナン以外、ハノイでもホーチミンでも
殆どの人が朝は外食しています。

ベトナムの麺である「ホー」を
食べている人が多いようです。
朝食の折に序でに野菜などの
買物も済ませる人が多いです。
三輪車が沢山走っています。
一人乗りになっています。
観光客などが列をなして乗っている
風景にも出会います。

赤い柱の入り口は小学校です。
ここは7時半の始業です。
7時の所もあるそうです。
殆どの子供が親にバイクで送ってきて
貰っています。

ベトナムの小学校は5年制です。
生徒の数が多いので、午前午後の
二部制になっています。
中学は4年、高校3年です。


こちらは幼稚園です。
お母さんが子供を送ってきています。

画面にポインターを置くと
バイクで子供を送ってくるお父さん、
お母さんの様子をご覧いただけます。
街中にあったお寺です。
古いお寺は漢字で名前を書いている
お寺が多いですが、此処は
新しいお寺なのでしょう。
ダナンにある大理石工場とショップの
看板娘です。
小学校の制服でしょうか。

奥は大理石製品のお店です。
製品の仕上がりはちょっと雑っぽく、
購買意欲はわきませんでした。
ロン橋の夜景です。

画面にポインターを置くと
ソンハン橋の夜景も
ご覧いただけます。

ダナンで到着日に利用した
レストランです。
「Angelo」と言う名前でした。


食事内容などは下記のボタンから
お入り頂けます。

レストラン
フエ  HUE
フエは19世紀から20世紀にかけてベトナムに存在していた阮朝(グエン王朝)の首都に定められていました。
フェの建造物群は世界文化遺産に、フエの雅楽は世界無形文化遺産にそれぞれ登録されています。
ベトナム内でも世界遺産の多いフエは日本の京都市と2013年に姉妹都市になっています。
京都大学ではフエ市内において,フエ市の伝統的な木造家屋の保存継承の研究を行っています。

ベトナム最後の王朝があった古都フエです。
19世紀から20世紀の間、阮朝(グエン王朝)
の首都として繁栄していました。

ベトナムにおいて最初に世界遺産に
登録されたエリアでありその建築物は
中華文明を色濃く受け継いだ王宮が
あるかと思えば、フランスに学んだ西洋風の
建築物もあります。

フーン川(フォーン川とも表記されますが、
ここではフーン川に統一しています)の
西岸(北岸)が旧市街で王宮や古い
建物が多いです。寺院も数えきれないほど
あります。
東岸(南岸)は新市街として発展しており、
ホテルもこちら側が多いです。
我々はインペリアルホテルに宿泊しました。
このホテルは皇太子がベトナム訪問した
折に宿泊したホテルです。

大学も東岸に多く、フエ市内には18校の
大学があるそうです。
高校、中学も多く、ホーチミンの卒業した
高校はフエにあります。


ダナンからフエへ向かう途中に
大きな湖があります。
浜名湖と同様に海に直接つながった
湖です。
お天気が悪くて何となく幻想的な
風景になりました
この湖の傍に有るレストハウスで
休憩しました。
養殖をしているのでしょうか、竹の
囲いが何か所にもありました。

画面にポインターを置くと
別の画面がご覧いただけます。
ホーチミン〜ハノイを走る
国鉄です。単線です。
ダナンからフエまでの道路は
国道1号線ですが、年がら年中
工事をしているそうです。

日本の技術とカンボジアの技術の
選択となる場合は必ずカンボジアの技術で
工事をするそうです。
日本の技術だと何年ももつので、工事仕事が
少なく、労働者が困るとの事。
カンボジアの技術だと毎年仕事にありつける
らしいです。
途中でこのような廟をよく見かけます。
これはベトナム戦争で犠牲になった
兵隊、民兵の慰霊塔と墓地なのだそうです。
この地域の戦闘は激しかったので、
数万人の犠牲者が出ているとの事です。
田舎なのに、結構瀟洒な建物が多いです。
フランス統治時代の名残でしょうか。
新築される物も煉瓦造りの洋館が
多いです。
教会もちょっと変わった作りになっていました。
この辺りを通る客車は一日8便しか
ないそうです。
その貴重な1便に遭遇しました。

阮朝(グエン王朝)11代目の皇帝
カイディン帝はフランス従属姿勢であった
こともあり、建物はバロック様式の影響を受け、
豪勢な作りになっています。
フランスに従属することで豪奢な生活が
維持できたのだそうです。

帝廟の詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

カイディン帝廟
トゥドゥック帝の帝廟の門です。
阮朝4代目の皇帝です。
18歳で即位し、フランスに対抗する政策を
採ったため、1858年フランス・スペイン
連合軍がダナンに侵攻し、戦いに敗れた
阮朝は1862年に第一次サイゴン条約を
締結し、賠償金の支払いや領土の割譲、
キリスト教の布教許可を行いました。

フランスに抵抗した愛国皇帝として
現在もベトナムの人達からの敬愛を
受けているそうです。

トゥドック帝は歴代の中で最も在位が長かった
と言われています。(1847〜1883)
ここトゥドゥック帝廟はもとはトゥドゥック帝の
別荘でした。
この敷地内で帝は狐と戯れていたとの逸話が
あります。
トゥドゥック帝の死後、ここは墓所として改築
されて現在に至ります。廟内には皇帝を祀って
いる寺院と、トゥドゥック帝の墓があります。

帝廟の詳細は下記ボタンからお入り
頂けます。


トゥドゥック帝廟

ティエンムー寺院は1601年の創建の
禅寺で煉瓦造り、中国の影響を色濃くうけた
八角形七層の塔 が特徴です。
塔の各層には仏像が安置されています。


この寺にまつわる伝説として、
あるとき老婆が現れ、「まもなくここに
支配者が現れ、彼が塔を建てるだろう」と
予言をしたといわれています。
その予言に従い、17世紀初頭に寺が
建立されました。そして、その老婆は
天女だと考えられるようになり、
ティエンムー寺=「天女の寺」と呼ばれる
ようになったということです。

寺院の詳細は下記のボタンからお入り
いただけます。

ティエンムー寺
阮朝(グエン王朝)時代の王宮が
現在も残されています。
ベトナム戦争でほとんどが破壊されて
いますが、日本や韓国の協力で
往時の状態に復元されつつあります。

写真は午門です。現在修理中でした。
門の中央口は皇帝のみの通り道で、
左は文官、右は武官の通用門だそうです。

城壁は604x622mの方形で
高さは4m、厚さ1mあります。

王宮内にある太和殿です。

王宮の詳細は下記のボタンから
お入り頂けます。

阮朝王宮

フエの街中にも市場が有ります。
テト(旧正月)前で賑わっています。

市場の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

フエ市場
ホテルから眺めたフエの新市街地です。
右の塔はベトナムテレビ(VTV)の
フエ支局です。
同じくホテルの部屋からの右手対岸
(旧市街)の眺望です。
右に旗が立っているのは王宮の前の
国旗掲揚台(フラッグタワー)です。

川はフーン川です。手前の橋は
フースアン橋、奥の橋は鉄道の橋です。

左手は新市街です。
右岸の王宮の前にある
フラッグタワー(国旗掲揚台)です。
王宮とそれを取り巻く種々の建物が
遠望できます。
フエの中央郵便局です。
ホテルの近くにある教会です。
看板はベトナム語で名前は
判りません。
ベトナム開発銀行です。
なかなか綺麗なビルです。
チャンティエン橋です。
丁度ドラゴンボートが通り抜けるところです。
船は観光用のボードです。
夕刻のチャンティエン橋の様子です。
反対車線もなんのその、オートバイと
自転車の波が押し寄せます。

でも、ハノイ、ホーチミンに比べれば
少ないです。

ベトナムのオートバイ所有台数は3,600万台
で人口の40%です。都市部では老人と子供を
除けばほぼ1人に1台の割合です。

人気のある車種はやはりホンダです。
中国の偽ブランドも売られていますが、
ベトナム人は高くても日本製を買うそうです。
橋のふもとにあったポリボックスです。
お巡りさんに写真撮らせてと頼んだら
指でペケ印を作られてしまいました。

お巡りさんもやっぱりオートバイです。
フーン川に浮かぶ水上レストランです。
この右手は河畔の公園になっています。
公園には数々の彫刻が置かれていて、
野外美術館になっています。

向いに師範大学があるので学生さんの
集まる場所にもなっています。
河畔には休み時間を楽しむ人が
大勢いました。
泊まっている船はドラゴンボートです。

1時間で廻るから乗らないかと誘われ
ましたが、残念ながら時間不足で
断りました。

がめんにポインターを置くと
ドラゴンボート乗り場をご覧いただけます。
公園の前にある師範大学のモニュメントです。

画面にポインターを置くと
学校の内部をご覧いただけます。
丁度校庭で体育の授業をしていました。
ちょっと失礼して撮らせてもらいました

画面にポインターを置くと
走り幅跳びのスタート地点もご覧
頂けます。
大学の入り口では朝食を買う学生さんたちが
大勢いました。
ベトナムでは自宅で朝食を摂る習慣は
あまりないようです。

画面にポインターを置くと
同じく朝食を摂る女学生さんをご覧
頂けます。
朝の通りにはこのような人たちが
イスに座ってお茶を飲んだり、コーヒーを
飲んだりしています。
皆さん人懐っこくて、何を言ってるかは
判らないけど、声をかけてくれます。

画面にポインターを置くと
靴修理をしているおじさんを
ご覧いただけます。
フエからダナンに戻る途中で
お巡りさんが交通取り締まりをしていました。
ベトナムでは市街地の最高時速は40kmで
これをオーバーすると直ぐに捕まります。
国道のあちこちで取り締まりをしていました。

ただ、罰金請求書を発行するまでに15分間
余裕をくれるそうです。その間に警察のコネと
連絡を取れれば、罰金が免除されるそうです。
警察にコネがないと罰金を払うことに
なります。

バスの運転手はじれったい位に市街地では
規則を守ります。警察にコネがないのかな??
左の標識はここから市街地へ入ります、
と言うもの。

右の標識はここで市街地は終りと言うもの。

多分、交通法規の問題でこういう標識が
置かれているんでしょう。

最初は遺跡への案内図かと思いましたが、
右の図で標識の意味が判りました。
フエからダナンへ向かう途中に
日本の建設したトンネルが有ります。
ハイヴァン・トンネルです。
東南アジアで最長の長さで6,280mあります。
2000年着工して2005年に完成
しています。
JICAの事業として南側4kmは間組、
北よりの2kmはベトナムと韓国のJVが
建設を担当しています。

工費は1億5千万ドルで日本からの借款で
賄われています。

画面にポインターを置くと
ダナン側の様子もご覧いただけます。
ホイアン  HOI AN
ホイアンはチャンバ王国時代(192〜1832年)からの港町として栄えたところです。
16世紀に阮朝がフエに都を置き、ここは外港として活用されました。1601年には江戸幕府との
交易が増え、30年にわたる朱印船貿易により、日本人街も形成され、中国人街も作られています。
これらの街を繋ぐ橋として日本人が造った日本橋は現在も利用されています。
ホイアンの旧市街地の地図です。
現在の市街地はもっと大きいですが、
観光の中心地域のみを示しています。

我々は左端のホテル(リバーサイドホテル)
に宿泊し、徒歩でこの地域を見て回りました。
基本的にこの地域への大型車両の乗り
入れは出来ません。
また、この地域へ入る為には入場料を
徴集されます。チケットオフィスは旧市街への
入口何か所かに設けられています。
更に、見どころへの入場にはチケットが
必要となります。我々は団体の為
ガイドがすべて対応しましたので詳細は
判りませんが、個人で来た場合は1枚
12万ドン(約700円)で5か所に入場
出来ます。どこがチケット必要かはそこへ
行かないと判りません。

ホイアンの家は間口で課税されていた
関係で、京都の様にうなぎの寝床状に
間口が狭く、奥行きが長い家がほとんど
です。

ダナンからホイアンの街へ入った
所です。
何となく古い街の雰囲気が有ります。
街中に高い建物は見当たりません。
旧市街への入り口に
この様なチケットオフィスが有ります。
入場者はここでチケットを買います。
先ずは「日本橋(来遠橋)」です。
日本から来た商人が1593年に
日本人街(左手)と中国人街(右手)の
連絡用に造った橋だそうです。

画面にポインターを置くと
裏側から見た橋をご覧いただけます。
日本人街の一隅です。

この手前の建物は「フーンフン(馮興)の家」
と呼ばれる家で、ホイアンの独特な邸宅建築
の一つ。200年前に作られた貿易商人の家で、
木造。ベトナム式は勿論、中国、日本の建築
エッセンスが取り入れられています。
壁はベトナム、柱やドアは中国、屋根は日本と
三国を折衷させた建築様式です。
フーンフンの家はホイアンの古建築様式の
最も美しい民家の一つです。
街並みとともに世界遺産に登録されています。
フーンフンの家の並びの家並みです。
日本橋の日本人街側の出入り口です。

中ほどに仏壇が有ります。
提灯には「民安」「国泰」と
あり、国と民の安寧を守る仏さんです。
橋は日本人がこの仏壇は中国人が
作ったものです。

右手には犬の、左手には猿の像が
置かれています。一説には申年に着工し
戌年に完成したので、お守りに
なっているとも…


画面にポインターを置くと
お猿の像をご覧いただけます。
中国人街の眺めです。
白壁の日本人街に比べ
黄色い壁が目に付きます。
日本橋の架かる川の先端から
眺める「アンホイ橋」です。
夜間は提灯に灯が入り綺麗です。
夜景は別項でご覧いただけます。
中国人街にある「廣肇会館」です。
200年前くらいに建てられた華人の
集会所だそうです。
トゥボン川の河畔には色々な行商の
人達がいます。
ここでは焼きトウモロコシと揚げパンの
ようなものを売っていました。
このおばさんは肉とピーマンのような
野菜を割り箸に巻いて火にあぶり、
右の色々な調味料を付けて
食べさせてくれるようです。
でも、ちょっと手が出ませんでした。
貿易陶磁器博物館です。
1階にはホイアン周辺で発掘された
陶磁器や沈没船からの遺物品を
展示してあります。
2階は旧市街に残る古民家の保存・再生の
資料が展示してあります。


貿易陶器博物館
近くにあった提灯屋さんです。

ホイアンのランタンは有名で、
お土産用のランタンもあります。
絹製の色々な大きさの提灯を
作っています。

土産用に小振りの物もあります。
街中に理髪店もあります。
中国語と英語で書かれていて、
お客の人種が想像されます。
「礼義華文中心」と漢字で書かれた
建物です。
エチケットと中国語の学習センター
なのでしょうかね。
「福建会館」です。
1773年に建設された福建省の人達の
華人会館とされています。

内部には集会所や寺院などもあります。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

福建会館
近くの通りで新婚さん?の
記念撮影をしていました。
自転車の花束が素敵です。
ベトナム人でしょうねぇ。
中国人かも??
ここも旧家の一つと思いますが、
具体的名称は不明です。
正面中央はお寺のような雰囲気ですが、
両側は小売屋さんです。
立派な屋根瓦です。
ホイアン歴史文化博物館です。
朝の散歩の折に見受けましたが、
雨の中内部は見ずじまいでした。
トゥボン川の様子です。
魚を取る網が引き上げられています。

画面にポインターを置くと
同じ川の別の風景をご覧いただけます。

この左手は中の島になっており、
更に左手の方に川の本流があります。
川岸にいる船頭さんが中の島一周1時間
だが乗らないかと誘ってきました。
中の島の側にある龍樹寺です。
掲額に2004と有りますので、
新しいお寺のようです。
シェンマイ市場です。
建物の中とは別に川べりに別棟の市場もあり、
散歩がてら朝の市場見学をしました。
別棟は鮮魚や野菜中心で、この建物の中は
肉屋さん、雑貨屋さん、食堂になっています。

建物の周辺にも野菜や果物などの露天商が
沢山出ています。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

朝市場
ホイアンの夜景は提灯が多いので有名です。
毎月満月の日(旧暦の14日)はランタン祭りで
町中の電気が消され、ランタンのみの明かりと
なるそうです。

夜景は下記のボタンからお入り頂けます。

ホイアンの夜景
ホイアンの近くにあるミーソン遺跡です。チャンバ王国(192〜1832年)の遺跡で4世紀〜12世紀頃までの建造物が残されています。
地域的にA〜Hグループまでありますが、今回は中心的なB・Cグループのみを見学しました。
遺跡の詳細は右のボタンからお入りください。                                ミーソン遺跡
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