余談
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前立腺癌の小線源治療(ブラキセラピー)

前立腺癌は60歳以上の男性が90%以上を占める老人性の病気だそうです。欧米では男性の20%は前立腺癌判定されてる由です。
日本でも食生活の変化などで近年特に増加しているとの事です。
罹患したら、その治療方法はいくつもあるようですが、癌判定される前に色々と調べておく人はまれでしょう。
発見されたらその時に考えればいいようなものです。でも、少しでも知識があるとその場になって慌てなくていいのではないでしょうか。
自分の経験だけですが、ブラキセラピーの治療経緯を何かの参考になればと纏めてみました。

 前言  PSA推移 生体検査 治療法の決定 事前処理 術前検査 入院・手術 退院後の経過 癌発見以後の生活  現 況
前言
まさかと思っていた癌が自分の身の上に降りかかってこようとは一瞬信じられないことでした。
ただ、前立腺癌は進行が遅く、転移も少ないと聞いていたので、それほどのショックもなく、平静に
受け止められました。男性のみの疾病であり、年齢とともにリスクの大きくなる癌ですので、
今回の経験がもし人のお役にたてるのならと、「いくさんの部屋」の余談として記録に残しました。
ご覧頂いた方に多少なりともご参考になればと思っています。
医師から提示された癌治療方法の中から自分で対処法を選択すると言うことは、簡単なようで
難しい作業となります。それぞれが一長一短あり、術後のリスクは何もしないのが最も低いと言う
医者の言葉からも判るように、何らかのリスクを覚悟する必要があります。
今回選択した密封小線源治療(ブラキセラピー)に至る経過と結果をご紹介します。
なお、治療法は色々とあり、同じ治療方法でも個人の体質、病状によりそれぞれ異なった結果が
出ると思われますので、一つの参考例としてお読み頂ければ幸甚です。
自分的には現段階では最良の治療方法を選択できたかなと考えています。

この方法は手術の箇所で説明していますが、0.5mmx4.5mm(病院によってはサイズが異なる
事もある)の放射性ヨウ素125を封入したチタン製カプセルを病巣へ直接打ち込み、前立腺内部
から放射線を直接患部に照射する方法です。
放射能の半減期は約60日で1年で放射能はなくなります。ただし、カプセルはそのままになります。
放射能量は体の表面から1mの箇所で0.0018mSv/h程度で、これは飛行機内の0.005
より低い数値です。一般の生活では全く影響のないレベルと言えます。
放射線を扱うことから日本では長い間忌避されてきましたが、欧米では早い時期から利用され、
効果を上げてきているそうです。ただ、日本でも最近は各地でこの方法を採用する病院も増え、
現在、北海道3か所、東北6か所、関東37か所、中部22か所、関西18か所、中国6か所、
四国6か所、九州15か所の病院で手術が可能となっています。

前立腺の場所と形状。
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PSA
推移
PSA検査と言う言葉を知ったのは定年退職後に再勤務した自動車メーカーの健康診断でした。
それまで、癌絡みの検診は企業内でもほとんど行われていなかったのですが、この企業の役員が
癌で亡くなるケースが出たため、2001年以降は一定年齢以上の役付き社員に健康診断の際に
腫瘍マーカーとPSA検査の受診が義務付けられました。
1999年から毎年一回の総合診断と半年一回の血液検査を受けていましたが、上記の次第で
PSAは2001年(平成13年:61歳)に初めて数値が出ました。
それ以降の数値は下記のようになっていました。

検査年度 2001.10 2002.3 2002.10 2003.3 2003.9 2006.7 2009.12 2010.11 2011.11 2012.4 2012.7 2012.8
PSA数値 3.42 3.15 3.88 3.91 4.54 2.9 4.12 4.2 4.2 5.04 5.41 6.07

2003年9月は中国駐在から帰国直後の数値で、この数字には全く気付かずに過ごしていました。
帰国後この会社も退職したため、2004年以降健康診断は退職後一般検診となり、
PSA値の測定が無くなりました。そのため2006年地元の病院での人間ドックで再度測定を依頼し、
この時の検査結果はPSA測定開始以来最低値となっています。
その後、掛かりつけの医院でお願いしてPSAの測定を続けましたが、4を少し上回る程度の数値で、
この程度なら特に心配ないとの医師のアドバイスで経過観察していました。
2012年3月に軽い肺炎を起こした後の血液検査でPSA値は5を超えてしまいました。
掛かりつけは循環器系の医者でしたが、一度生体検査してみるかとのアドバイスに従い、
同年7月に日本医科大学北総病院で診察を受け9月に検査実施する予定にしました。

検査は決めたものの、癌の疑いは数値からだけで北総病院では問診のみで診察もなかったので
インターネットで近くの泌尿器科「ゆうゆうの里診療所」を探しだし、8月1日に診察をお願いしました。
東邦医大系のこの医院では前立腺の超音波検診と触診を行ってくれ、「肥大も硬化もないので、
大したことはないと思うが、再度血液検査を行い、結果が4.0前後の数値なら生体検査の実施を
再検討することも可能」との判断を貰い、その場で再度血液検査を依頼しました。
8月10日に出た結果は6.07と今までで最悪の数値が出てしまいました。
結局この医者からも生体検査を勧められ、予定通り9月に入院検査実施することに決めました。
                               
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生体
検査
日本医科大学北総病院では、S先生が担当医と決まり、まず、2012年8月28日に検査前の
問診が行われ、「前立腺がんの疑いで経腸的前立腺生検を行うにあたり種々の説明」をうけ、
検査の同意書を提出しました。検査の「意味、必要性、予測される合併症、危険性、期待される
効果と限界、実施しない場合に予測される病状の推移、その他の検査や治療法」が説明される
ことになっており、同意書には「十分な説明を受け、理解しましたので生検が行われることに同意
いたします」と書かれていますが、短時間の説明ではとてもすべてを理解できる訳ではなく、
お任せしますと言う判断で同意書には署名しました。
生検の内容は「直腸から超音波で観察しながら前立腺の14か所を穿刺、採取(生検)し、
病理組織診断により前立腺癌の有無を確かめます。また、生検後の細菌感染による発熱や
穿刺による血尿などの合併症に対する予防、経過観察のため原則的として検査後一泊入院
となります」と診療説明に記載されています。
同意書の提出により、検査日は9月28日と決定し、入院事前手続きもこの時に行いました。
9月11日に術前検査が行われました。更に9月20日に呼吸機能検査と心臓超音波検査
を受診し、入院検査に備えました。検査の結果は特に説明もなかったので、何も問題はないものと
勝手に判断していました。
9月27日10時に入院手続きを行い、病室が決定されました。AW棟435号室が割り当てられ
ました。入院日は特にすることもなく自由に過ごしますが、ただ、麻酔のための問診があり、
麻酔同意書に署名提出しました。この同意書には全身麻酔での検査実施となっていましたが、
問診の結果で、今回は局部麻酔でやりましょうと言うことになりました。
入院日の入浴は可能でした。食物は21時以降の摂取は禁止されました。
9月28日朝食は抜きで、朝6時に浣腸、ちょっと気分が悪くなり、腹痛もありましたが、そのまま
10時ころから検査室で検査開始です。検査担当はS先生とは別の先生で若いK医師でした。
局部麻酔なので意識ははっきりしています。お産ベッドのような足をサポートする台のあるベッドに
寝て、肛門から超音波で調べながら、予定された場所14か所から検体を採取しました。
検体採取場所はあらかじめ決められていて、その場所に下図の如く針を刺して検体を取り出しします。
直腸からのみならず会陰部からの検体採取もあるようですが、今回の詳細は判りません。止血等の
手当は何もなされなかったので、多分直腸からのみ検体が採取されたものと思われます。
針で検体を取り出す時はパチン、パチンと言う結構高い音がします。検体採収の時間はそれほど
長くはなく、苦痛もとくにはありませんでした。
生体検査の方法は下図のようになっています。北総病院では局部麻酔か全身麻酔で行いますが、
病院によっては肛門と直腸に麻酔ゼリーを塗るだけで検査をする場合もあるようで、家内の知人は
この検査はものすごく痛かったと言っているそうです。検査前に方法の確認も大事かもしれません。
前立腺癌生体検査の検体採取方法

検査終了後は栄養剤と抗生物質の点滴を受けます。ベッドに横になったままで病室に戻りました。
病室では局部麻酔がまだ覚めておらず、下半身が全く無感覚の状態で横になりました。排尿も
尿意はあっても感覚がないため、漏れているような気がして、家内におむつを売店に買いに行かせ
装着しようとしたら全く漏れてないので、結局そのおむつはタンスの肥やしになりました。
夕刻には麻酔も解け、この日最初の食事を摂りました。点滴は継続されており、排尿排便は
ベッドの上でと指示されましたが、これは思うようにできませんでした。慣れないと難しい行為です。
夕食後からはベッドから降りる練習をし、その後の排尿は点滴を付けたまま、室内のトイレまで歩行して
処理できるようになりました。
9月29日の早朝に点滴が外され、行動は自由となりました。身体的な問題は特になく、排尿排便も
通常通りに出来、朝食も摂りました。看護師が検温、血圧測定などを行い、いずれも問題なく、
退院の許可が出ました。10時には清算書が届き、会計で支払を行った後退院しました。
検査費用は差額ベッド代(4人部屋窓側)を含めて45、560円(3割負担)でした。

検査結果はすぐには出ず、次回の診察日が退院時に決まりました。10月23日14時からとなりました。
当日は家内ともども無罪放免を期待して診察を受けましたが、S先生から「検体14のうち、1か所で
癌が見つかりました。場所は前立腺の桃状になっている先端部です。その周辺部で疑わしいものも
ありますが、一応1か所となります。グリソンスコアは2+3=5 ステージBと判定できます。
ごく初期の癌ですが、医師としては見つかった以上は何らかの処置をする必要があります。
最近の検査は精度が非常によくなったため、正直見つからなくても良いようなものまで見つかるように
なりました。何もしないのも一つの選択ですが、1個所といえどその癌が悪性度が高い場合はリスクは
大きくなります。見つかった数で判断はできません。
対応の方法は、
@手術で前立腺を摘出。2週間程度の入院が必要です。尿漏れなどのリスクがあります。
A放射線治療。6週間毎日通院が必要です。放射性膀胱炎、直腸炎のリスクがあります。
B小線源治療。当院では対応できないので東京の病院で行います。5日間の入院が必要です。
Cホルモン療法。癌をコントロールするだけで根治はできません。何時かは効果が悪くなります。
などがあります。どれが良いか、インターネットなどでも詳しく紹介されていますから、ご自身で良く
検討され、どうするか考えておいてください。
いずれの方法を選択するにせよ、前立腺内部の癌であることが条件で、転移などの有無を
今後の検査で確認しましょう」との説明があり、無罪放免の期待は水泡に帰しました。
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治療法
の決定
前立腺癌の認定により、治療法を選択する必要があります。
選択に当たり、8月に診察を受けた泌尿器科医の意見も聴取しました。
医師の話では、「例え1か所でも何もしないで置くことは非常に勇気のいることで、勧められない。
何らかの処置をすることを勧めます。東邦医大佐倉病院では根治療法(摘出)のみになります。
小線源は新しい方法ですが、保険対象でもあり選択肢としては悪くはないでしょう。ただし、
近隣の病院では千葉がんセンターと千葉大附属病院しかできないでしょう」との話でした。
治療法を確定する前に、前立腺癌の治療が可能かどうかの検査が行われます。
前立腺癌の治療は原則75歳以下で、他に転移がないことを確認の上実施されます。
これは癌の進行が比較的遅く、高齢の場合は治療しても延命期間が何もしないのと殆ど差が
ないとか、転移している場合は前立腺の癌治療をしてもあまり意味がないなどの理由によるようです。
こうした場合はホルモン剤などによる内分泌療法がおこなわれるようです。
10月23日に癌細胞の存在が確認されたことにより、その癌細胞が前立腺内限局癌かどうかの
検査が行われました。検査は一回ですべてを行うのではなく、検査の予約可能日に何度か通院する
ことになります。
10月26日:骨シンチグラフィ検査
11月16日:肺野・縦隔単純CT検査
11月19日:腹部・骨盤単純CT検査
11月21日:前立腺単純MRI検査
を行いました。
骨シンチ検査は放射性で骨の組織に集まる性質のある薬を注射し、全身にいきわたった段階で
全身の骨格のレントゲン写真を撮り、異常の有無を調べる検査です。従い、注射をしてから
数時間は間をあけるため、一日がかりの検査となります。今回11時に注射を行い、午後2時に
レントゲン写真を撮りました。検査にあったっての食事、飲料の制限はありませんでした。
骨シンチグラフィのレントゲン写真は左図のようなものです。
異常のある部分には放射性薬剤が集中するので容易に判別出来るそうです。
この写真は本人のものではなく、パンフレットのものですが、医師から見せられたものは
同じようなものでした。
下図は別の資料の写真ですが、左2枚の肋骨に集積があり癌の転移が見られます。


CT検査はいずれも通常の単純CT検査(造影剤を使わない)で、ただ、腹部・骨盤検査の場合は
3時間前に食事は終え、以降の食物摂取は不可、飲料は乳製品以外ならOKでした。
MRI検査も通常の単純MRI(造影剤は使わない)で腹部を撮影しました。食事等は腹部・骨盤
CT検査と同じでした。
これらの検査がすべて終わったのちにあらためて検査結果の説明と治療指導が行われました。

11月27日14時からS先生から説明がありました。
今回のいずれの検査結果も異常はなく、先に説明されたいずれの治療方法も採用可能との
ことで、再度治療方法の説明と、どの治療法を選択するかの回答を要求されました。

10月23日に治療方法の説明があったのち、何を選択するか自分なりに考えました。
北総病院で処置するには根治術(摘出)か放射線治療かホルモン治療のいずれかとなります。
放射線もこの時点では北総病院の設備が故障で、翌年の7月に新設備が導入されるとの事で、
それまで待機する必要があります(医師はその間の半年でホルモン投与による治療が可能との
説明)。摘出については頭から検討の意志はありませんでした。特段の理由はありませんが、
身を切ることへの懸念と言えるでしょうか。失禁と言う後遺症への抵抗も強かったです。
医師も根治術は特には勧めませんでした。
説明時に医師は放射線治療を勧めましたので、当初はその方向での検討も進めましたが、
6週間の通院は1か月半のすべての活動を中止することになり、心身の負担を考えると
躊躇させられました。
小線源治療はインターネットの説明などでは比較的後遺症も少なく、入院期間も短いと
記載されており、米国在住の後輩が数年前に現地で小線源療法を行い、その結果が
良好である様子も聞いていたことなどから、自分的にはこの療法への傾斜が強まりました。

上記の判断をベースに今回の治療法は「密封小線源療法(ブラキセラピー)」にしたいと
申し出ました。これに対し、S先生は「判りました。この方法は寛平さんが米国で受けた処置と
同じですが、当院では対処できないので、東京の日本医科大学付属病院のK先生を
紹介しますから、そちらへ行ってください。K先生の外来診察日は木曜日です」との回答を
得ました。また、「東京の附属病院での処置後の経過観察は当院でも責任もって行います。
何かあれば来てください」との事でした。

早速にも日医大付属病院に行くべきなのでしょうが、佐倉市一般検診で検便に潜血反応あり
との事で、12月3日に聖隷市民病院で大腸検査を行う事になっており、12月7日からは
中央ヨーロッパへの海外旅行予定があり、最速で12月20日の木曜日しかありませんでした。
12月20日に北総病院で預かった検査資料を持って東京千駄木にある日医大附属病院を
訪れました。紹介状があるとはいえ、一般外来診療と言うことで朝一番に受付してもらうべく
急いで行ったつもりでも既に受付済みの人が多く待つこと2時間、K先生の診察を
受けることが出来ました。
先生は開口一番「この癌で死ぬことはないよ。米長(将棋の棋士、前立腺癌で死去)の
場合は例外、他の病気で死ぬ方が多いから心配いらないよ」とのご宣託がありました。
その上で、「検査資料に基づき再度病理検査を行うが、本当に癌細胞が1か所のみなら
何もしないほうがベターだよ。取敢えず、まず検査するから来年に再度いらっしゃい」との事で、
2013年1月10日が再診察日となりました。
1か所の異常なら何もしなくて良いと言うお言葉は73回目の正月を迎える者にとって何よりの
お年玉となりました。いよいよ新年には無罪放免になるという思いでした。
                              
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事前
処理
2013年1月10日(木)16時から診察でしたが、結局診察室に入ったのは17時過ぎ。
K医師は開口一番「本当に1か所と言われた?」、え、え、どういうこっちゃと
「はい、13番の1か所だけと言われました」と答えたところ、「1番から13番まで右半分全部
アウトだよ。グリソンスコアも4+3の7になる。北総ではどんな病理検査をやったんだろうね」
との話で、まさにえ?、え?、え?の感じ。
先生はその場で北総病院に電話を入れ、「誰が病理検査やってるんだ。こんなレベルだと
問題だよ。担当によく伝えておくように」との指示をされました。
これで、何もしないという選択肢は雲散霧消。またまた無罪放免とはなりませんでした。
まあ、治療を行うつもりでいたのでそれほどのショックではなかったものの、ひょっとしたらと言う
淡い期待がこんな形で消し飛ぶとは思ってもいませんでした。
今月から治療に入りましょう、と言うことで次回診察は1月17日となりました。

取敢えず、ホルモン注射を3か月に1回計3回実施し、ホルモン剤を毎日服用し、その上で、
8月頃に小線源治療を行うとのラフスケジュールが決まりました。
「ホルモン注射は約10万円、3割負担で3万円かかるし、これをやるとすぐに肥るから食事に
注意すること。性機能は減退し、胸の膨らむ可能性もある。ただ、どの症状も投与をやめれば
すぐに元に戻るよ」との説明がありました。
この日は7日分のホルモン剤(カソデックス錠80mg、7錠2,360円)が出され、一日一回朝に
服用を開始しました。ホルモン剤の価格は1錠が983.3円と非常に高価なものです。
3割負担で1錠295円(諸経費含まず)になります。

ホルモン療法は事前に癌を小さくして、放射線の効果を上げるためのようです。ただ、
今回も触診等の直接的診察はなく、検査資料と数値のみからの決定で、
前年8月の泌尿器科医院での触診では肥大もなく、硬化もないとの事だったので、
このホルモン療法には自分では釈然としない意識もありました。

なぜこんな北総と東京の判断の違いが出たのか、北総病院の意見はどうなのか。
東京の見立て違いはないのか、再確認のため1月15日に北総病院の担当医を訪れました。
この時の説明は「北総の病理検査医は前立腺癌の専門医ではなく、すべての病理検査を
行います。このため、検査基準が一般的になり、専門医より判断が甘くなる傾向は有ります。
従い、今回は前立腺癌の専門医でもあるK先生の判断に従ってください。私自身の
説明の不足、不備もあったこと誠に申し訳ありませんでした」との事でした。
当方より、病理検査された方のコメントも欲しいと伝え、2月5日に北総病院の病理検査医の
説明書(患者宛の回答書)を貰いました。
この説明書の中では当初の病理検査で癌認定されたのは3,7,8,9の検体であり、
1,13の2か所は単独で癌と判定するのは難しい異型腺管と判断したとの事で、検体9が
最も広い範囲に癌が存在していたとの事でした。多分これが1か所との説明に繋がったのでしょう。
またグリッソンスコアも癌の状態に基づき判定するため、判定者の判断にはどうしても差が
出るとの説明がありました。その上で、検体の判定には北総と東京で矛盾はないとの結論でした。
北総病院での病理検査結果は4か所だったわけで、担当医の説明が間違っていたようですが、
これも確かなことは判りません。2月5日には担当医から改めて説明不足の陳謝がありました。
再度の病理検査を行う治療方法を選択したことはこの意味からも正解でした。もし、当初の
判断で治療を実施した場合、正しい治療が行われたのかどうか難しい判断です。
セカンドオピニオンの重要性を感じる事例でした。大きい病気の場合には遠慮せずに別の病院で
何らかの再診察を受けるべきだと感じました。

1月17日(実は結婚記念日でした)に最初のホルモン剤注射を腹部に行い、薬局でホルモン剤
を3か月分もらいました。費用は注射代が26,110円、薬剤(ピカルタミド錠80mg「あすか」91錠、
今回はゼネリック薬剤のため1錠の単価は636.8円)17,080円の合計43,190円でした。
薬剤は今回からジェネリック指定となり幾らか安くなりました。

4月18日に第二回目のホルモン注射を行いました。この時に1月10日と17日に行った血液検査の
結果が出ており、PSA値は其々5.468、4.810となっていました。
注射は3回との話でしたが、なぜか7月の注射はせずに小線源治療に入ることになりました。
今後のスケジュールとして下記が決まりました。
5月30日 診察と血液検査及び入院説明
6月28日 血液検査、心電図、レントゲン撮影とプレプラン(小線源量確定のためのテスト)
7月18日 入院
7月19日 手術
7月22日 退院予定(経過途中で異常があれば延長される)
この日の費用は診察代5,050円、と言うことで女性ホルモン注射の費用は1回が10万円ではなく、
3回全部で10万円(3割で3万円)だったようです。薬剤は9,920円でした。

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術前
検査
5月30日15:45の予約でも診察に入ったのは16:40になっていました。相変わらず患者は多く
多分K先生の外来診察が木曜日のみの為でしょう。
4月以降のPSA値を示しながら、K先生は「驚くほどの数値改善だよ」との説明。
4月17日の血液検査結果でPSAは0.121まで低下。ホルモン剤の効果には間違いないが、
インターネットの患者の記録などでもここまでの改善が記されているものは見ていません。
こんな数値なら何もしなくてもいいのでは?と言う言葉は飲み込んで、「驚きですね〜」とのみ答え
ました。ホルモン剤で数値が下がっても治癒したわけではないので、このままずっとホルモン治療を
続けるとしても時間と費用を考え、いずれはホルモン剤の効果が無くなると言うことを考えると、やっぱり
手術した方が無難かな、との思いでした。それにしてもここまで数値が改善するとはほんとに驚きでした。
診察後、看護師から入院の説明がありました。
説明の中で費用に触れ、「小線源治療の場合は相部屋利用はできず、すべて個室となります。
これは治療に放射性物質を利用するため、他の患者等への影響を考えた処置です。1泊は
39,900円となります」「え、え、え〜」「先生もこの点の説明してくれないから困るのよねぇ〜」。
「当院では小線源治療は包括評価算定方式(DPC)により入院料を算定しています。従って、
1日あたりの点数で計算します。だいたい、今回の入院での費用は3割負担の方で278,000円ほど
になります。これ以外に食事代などが掛かります」と言うことは、差額ベッド代を引いた治療金額は
78,500円で高額医療控除のギリギリの線だなぁ〜と頭の中での計算です。
手術費用としては高いのか安いのか不明ですが、挿入するシールドの数によって手術代が決まると
読んだことがあるので、包括なら挿入される数によって損得が出るんだなぁとの印象も持ちました。
この日にいろいろな同意書の患者控えを貰いましたが、詳細に内容を見るわけでもなく、6月28日に
提出する書類と、7月18日に提出するものが含まれている事だけを確認し記入しました。
また、入院から退院までの流れが書かれた説明書を貰いました。

6月28日は結構暑い日でした。9時前に受付を済ませ、血液検査、レントゲン検査、心電図と
心エコー検査が行われます。診察ではK先生より「手術に当たって何か不明な点がありますか」と
聞かれたものの、前回にもらった書類をよく見てないため「判らないところが判りません」と答えるしか
有りませんでした。先生は「ふん、ふん」と言うことで、その日の診察はおわり。
5月30日の血液検査の結果はPSAが0.057まで下がっていました。
ホルモン治療後のPSAの変遷は下記のようになりました。
検査日 2013.1.17 2013.4.17 2013.5.30 2013.6.28
PSA値 4.810 0.121 0.057 記録未収

14時から放射線科でプレプランと言うことで、実際に治療で行う小線源の量を決めるために治療と
同じ方法でのテストが行われました。やはり、足をサポートする台があり、お産同様に足を上げて
肛門から高周波ブロープが挿入され、前立腺をチェックされます。
「はい、終わりました。お疲れさま、お帰り下さい」との事で、テストの結果は何もわからずに帰宅しました。
数日後、病院より電話で放射線科の費用が未収となっていますとの事。知らんがなそんなこと、
とは言えないし払わぬわけにもいかず、入院時に清算しますと言うことにしました。当然、テスト結果の
報告と実際に埋め込まれるシードの数がいくらになるか28日に話があると思っていたので、この費用
未収はやはりテストが終わった後の病院側の対応に何か手抜かりがあったのではと思わせました。
以上で術前の検査、手続きはすべて終わり、あとは7月18日の入院を待つのみとなりました。
                              
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入院・
手術
入院日の前日までには入院時間の電話連絡をしますとの事でしたが、夕刻まで連絡がないため
入院調整室へ電話を入れると「ああ、済みません。当日の11時ころに来てください。お電話頂き
ありがとうございました」うーん、もう少し患者の気持ちを分かってもらえるとありがたいなあと言う感じ。
「1−2日前に電話します」と言われると2日間、何時掛かるかいつかかるかと気にしているわけで、
出来るだけ早めの連絡があると患者は助かりますねぇ。
7月18日11時に家内とともに入院受付へ出向くと、ここで入院手続きが行われています。
事前に手渡された「入院のご案内」に基づき、持参品、書類などを準備し、当日ここで病室の指定、
保証人の確認、現金の預かりなどが行われます。病室は東館1428と決まりました。 それにしても
入院する人の多いこと。また、退院する人も同じ会計窓口にひっきりなしに来ていました。
受付が終わると隣室の入院調整室で看護師から体調の確認、入院についての補足説明が
ありました。
ここで、入院前の検査の結果について簡単な説明もあり、心エコーで軽い心臓弁膜症があるが、
手術には影響ないと言われました。
取敢えず病室に入り、パジャマに着かえるとなんとなく病人らしくなってきます。
個室内部はトイレとシャワーがついています。風呂は別に共用のものがあり、希望時間を申込板に
記入すれば利用が可能です。
入院日には特に検査もありませんが、麻酔科での問診がありました。女医さんが麻酔についての
経歴などを聞き、全身麻酔が問題ないことを確認します。
食事は入院日の昼食から頼んでいたので、12時半ころに食事が運ばれました。
担当の看護師が体温、血圧、脈拍を調べ、5月30日に渡されていた入院の流れを書いた説明書に
基づき、これからの5日間の段取りを説明してくれました。
入院後の食事などをコントロールする担当の管理栄養士が「栄養管理計画書」を持って来て
くれました。入院中の食事は一般食で、エネルギー1900Kcal、タンパク質75g、脂質50g、塩分9g
となっていました。
夕食は6時前くらいに運ばれてきました。腸内に残留物が残らないような献立になっています。
更に、明日の手術を行うグループの先生が顔を見せに来てくれ、入院診療計画書を渡されました。
この計画書の担当医師はK先生とは違う医師の名前がありました。後で、看護師から聞いた話では
グループで一番若い先生で、患者への点滴の準備や薬の選択などを行う必要があり、動きやすい
若手の先生が担当医師になるんだそうです。また、入院手術に当たっての担当医師は2番目に若い
先生の名前になっていました。グループはK先生をトップに4名体制になっているようです。
K先生はこの日は顔を見せませんでした。
この日の投薬はマグミット錠330g(便を柔らかくする薬)、ガスコン錠40r(胃や腸内に溜まったガスを
体外に出しやすくする薬)を夕食後各2錠、21時にセンナリド錠12r(下剤)を1錠服用しました。
手術は明日の9時からと決まりました。看護師が8時50分に迎えに来るので、それまでに浴衣に
着替えて待つようにとの指示がありました。この病院では手術着のレンタルはなく、自分で浴衣を準備
することになっています。家内は紐で結ぶのでは裾がはだけて大変だろうと、浴衣に紐を縫い付けて
手術着の様なスタイルにしてくれました。これは楽で助かりました。
家内は本人の夕食を見届けると、病院の近くにあるたホテルへ戻りました。多分本人よりも
家内の方が疲れたことでしょう。
20時からシャワーを浴び、21時に下剤を服用。個室なのでテレビは消灯後も見ることが出来ました。

7月19日朝6時に浣腸実施。5分は堪えてくださいとの事で、トイレに座って我慢しているうちに便意も
無くなり、力を入れると水状の便が出るのみで固形物は殆ど出ません。これでは手術の際に困ると
思い、時間をかけて少しながら排便に成功。とは言え、残便感はなくならず、後で手術室に向かう途中で
トイレに入ったものの、出るものなしで時間切れ。
家内は8時前には病室に到着。本人はシャワーを浴びようかと思いましたが諦めて着替え。
看護師が8時50分に迎えに来たので、家内とともに徒歩で地下2階の手術室へと向かいます。
今までの看護師と異なり無愛想な看護師で、話しかける気にもなりませんでした。
手術室は6月28日にテストした場所と同じ所で、ベッドに横たわると先ずは麻酔医師と看護師が
酸素マスクを口に当て、大きく呼吸するように指示しました。ものの数分で意識はなくなり、足を上げたり
手の位置を直したりされたようですが、全く記憶にありません。
手術は下図のような方法で行われます。
何時手術が始まり、いつ終わったか全く覚えていません。家内の話によると担当医師が病室を訪れ
「意識は戻りつつあるが、麻酔が効きすぎたので暫くしてから病室に戻ります」とのメッセージを
残していったとの事。家内の話では病室に戻ったのは12時30分ごろで手術室には約3時間半ほど
いたことになりますが、多分実際の手術は2時間以内で終わっていたものと思われます。
病室に戻ると尿は尿管により排出され、感染予防用の点滴が行われます。1時間おきに看護師が
体温、血圧、脈拍を計りにきます(夕刻までの記憶はほとんどありません。この辺は家内の話です)。
麻酔が完全には覚めていなかったのか、家内に色々なことを話したようですが、全く記憶にありません。
もし、誘導尋問されていたら何を話すか判りませんね。恐ろしいことです。
夕刻遅くに手術を行った医師が来てくれて、「特に変わりはないですか」との問いに「何もないです」と
答えました。まあ、細かなことを言い出せば限がないので、来てもらったことへのお礼のみにしました。
この時に初めてシードが55個埋められたことがわかりました。
日本では通常症状に合わせて50〜100個のシードが前立腺に埋め込まれるようです。
このシードはチタン製のカプセルにヨウ素125を科学的に結合させた銀線が入っています。
大きさは前出通り、0.5I4.5oと言う小さいものです。小なりと言えど55個も入れば当然前立腺は
その分大きくなるわけで、肥大した状態になります。このため、排尿の困難が起こる可能性もあるとの
事でした。
先生二人が其々別々に覗いてくれたこともあり、19時頃に家内はホテルへと戻りました。
この日もK先生とは一度も会うことがありませんでした。

手術日は一日食事がありません。14時ころから水分の摂取のみ許可され、冷えたお茶を飲みました。
点滴の効果か、痛み止めの薬の効き目か、傷口(絆創膏で止められており、どのような傷口かは
見えません)はまったく痛みがなく、排尿も尿管から自然にバッグに溜まって行きます。
点滴にはヴィーンF輸液500ml、アドナ注射液50mg(止血剤)、ガスター注射液20mg(食道、胃
などの止血剤)、セファメジンα注射液1g(抗生物質)が含まれています。点滴は看護師が
1時間に1回見に来ます。夜間は2時間おきくらいです。

7月20日は6時ころに看護師が検診に来ました。「体温、血圧、脈拍共に異常なく、痛みもない
ようなので間もなく尿管、点滴、傷口の絆創膏も取れるので、それ以降は自由に行動できますよ」との
説明で、朝食後グループで一番若い医師と看護師2名が来て、肛門付近に貼り付けていた絆創膏を
バリバリと剥がしてくれました。最近の絆創膏は粘着度が高く、簡単には剥がれないうえ、毛の多い
ところでもあり(手術の際の剃毛はされませんでした)痛い痛い。尿管も抜き取ってくれました。抜くときは
痛いですよと言われましたが、あっという間の作業で思ったほどの痛みも感じませんでした。
これで身体に付いていたものは全て取り外され、手術前の状態に戻りました。
ただ、尿管を抜いて暫くは排尿時に痛みを感じましたが、回数とともにそのレベルも低下しました。
投薬はこの日から3日間ハルナールD錠0.2mg(排尿しやすくする薬)、モービック錠10mg(痛み止め)、
ムコスタ錠100mg(胃の薬)、ラビット錠500mg(化膿、感染症予防)を各1錠毎朝食後に服用しました。
丸一日ぶりの食事である朝食は野菜と煎り卵、パンと牛乳、デザートでしたが、大変美味しく頂けました。
昼食後、挿入したシードが正しく装着できているかどうかを見るために腹部のレントゲン写真を撮りました。
それ以降は特にすることもないので、家内には夕刻早めに帰宅するようにさせました。夜は孫たちと食事に
出掛けた様で、幾らかでも気が紛れてくれればいいんですけどね。
本人は病院内を少しうろついて、売店で飲物や雑誌を買ったりして行動には何の差障りも出ませんでした。
21時の消灯後もテレビでゴルフ番組を見ていたら、看護師さんが覗きに来て「眠れませんか?」との
問いかけをして行きました。テレビの明かりは室外に漏れるようなので、今後はちょっと気をつけなくっちゃ。
21時と24時の見回り時にはテレビを消しておいた方が良いみたい。

7月21日は経過観察と言うことなので、家内には来なくても良いと伝えましたが、10時頃には病室に
来てくれました。家内が来た時は同じ小線源治療を行った隣室の方(66歳で19日の午後に手術を
行った。同じく55個のシードを埋めたとの事)と雑談をしていたので、看護師が来たのがわからず家内
が呼びに来ました。退院後の生活についての説明があるとの事で、看護師は隣室の人と一緒に
やりましょうと言いましたが、隣人は既に前日説明を受けており、改めて自室にて説明を受けました。
この日の看護師は対応がテキパキしており、多分グループのリーダー的役割を持った人ではないかと
思われました。彼女から退院後の説明と退院療養計画書(一番若い担当医師の作成)を
渡されました。
放射性シードを埋め込んでいるため、法律的にその証明書を1年間は持ち歩くこと
家族との生活は通常通りでよいが、妊婦や小児との長時間接触は暫く控えること
海外渡航の場合は(特にアメリカ)海外向けの治療証明書の発行を受けること
(金属探知機には反応しないが、一部の国で行っている微量放射能検査機に反応する)
万一シードが脱落した場合は提供する鉛製容器に入れて病院まで持参すること
(今までそうしたケースはほとんどないそうだが、万一の場合の対応として)
退院後の体調に何か不都合があった場合は病院に電話連絡すること、ただし、緊急性の高い
状態はまずないので、しっかり様子を見たうえで、一般外来に来た方が的確な処置が可能
との説明があり、一方退院療養計画書では
定期的に外来通院すること
自転車等で会陰部を圧迫するのは一週間は控えること
の二点が記載され、それ以外は特に指示されませんでした。
退院時の処理を確認したところ、一般には11時ころに清算書が届き、会計を済ませた後で、
主治医(K先生)にご挨拶して帰る方が多いですよ、と言われました。また、K先生とは
入院以来全く顔を合わせていませんでしたが、看護師の話では手術の主管はK先生で
多分麻酔がかかるまでは顔を見せなかったのでは、とのことでした。ただ、これは看護師の
推測で確認はできません。

上記の説明を受けたのちは日曜日でもあり、何も処置することがなく、数独をやっているうちに
昼食の時間となりました。既定の食事以外に、家内の持ってきたおにぎりや漬物を食べたため、
病院食の味の薄さが気になりました。ちょっと食欲が落ちたのでしょうか。

家内とは特段の会話もなく、早めに帰るとの事で、14時過ぎには部屋を出ました。玄関まで
見送りに出て、そのあと、本人は病棟内を散策し、売店でスイーツなどを買ってきました。
家内は帰る途中で足が痺れたようで歩けなくなり、酷暑の中を休み休みの帰宅となったため、
通常は1.5時間のところを3時間がかりで帰ったそうで、「ありがとう、お疲れさん。無理はしないで」と
言うしか有りませんでした。
夕食の後、担当医師が様子を見に来てくれ、明日の退院は問題ないとの説明がありました。
その夜は看護師の来る時間帯は消灯、テレビも切っておき、彼女が出て行った後にテレビで深夜まで
ゴルフの放送を見ていました。

7月22日はいよいよ退院日です。昨夜のテレビ観戦でちょっと寝不足気味。
朝食の後は退院のために荷物を取りまとめておきました。薬剤師が退院後の薬を届けに来ました。
前出のハルナールD錠、モービック錠、ムコスタ錠がそれぞれ30日分出されました。
家内は10時過ぎに来ました。
その後まもなく清算書が出来上がり、東館の会計で支払(総額で290、977円)を済ませ、
保険金請求用の診断書発行を依頼、できるまで3週間かかる由。

この保険については別項に記述しますが、付保していた癌保険(アメリカンファミリー)は
30年以上継続していましたが、今回の手術に当たり保険請求可能な内容を確認したら、
入院の補償(1.5万円/日)のみで、それ以外の一切の補償はなし。癌で死亡した場合には
150万円の保険金が支払われると言うものでした。毎月の保険料は3,310円と低額ですが、
それにしても癌にかかっても何の補償もないことがわかり、なんでこんな保険に長々と入って
いたんかと、保険で儲けるつもりはなくても、あまりの保険にがっくり。家内は「ちゃんと内容を
調べてはいらないから」とそっけない限り。保険の内容には十分気を付けましょう。

泌尿器科外来でK先生の面会を申し込みました。小線源手術をした者と伝えると、すぐに
名前が呼ばれ、今回入院で初めてK先生と面談ができました。
先生からは「経過は順調で、酒と自転車の騎乗以外は何も制限する必要ない、ゴルフもOK、
旅行も可能。ただ、放射線の副作用として半年後くらいから排尿困難や排尿・排便時の
出血などがあるが、心配はない。何かあればいつでも外来にいらっしゃい。
8月22日にポストプランとして診察及びレントゲン写真とCTスキャンにより挿入したシールドが
ちゃんと固定されているかどうか調べます」と言われ、北総での継続診療について尋ねたところ、
「北総では小線源治療ができないので、経過に対する判断が出来なと思うから、
当分はここへ通ってください。8月22日の診察の後は3か月ごとに血液検査をしましょう」との事で、
1年くらいは通院が必要かと思われました。
今回の入院についてのお礼を述べ、晴れて退院となりました。

丁度土用でもあり、病院の近くの店で家内とうな重のランチ定食をたべました(1,300円)。
この値段にしては、まずまずの鰻でした。美味かったぁ。
                           
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退院後の
経過
退院後の生活は暑い季節でもあり、取敢えずはポストプランの8月22日をめどとして
酒とゴルフを控えることにしました。それ以外は従来通りの生活を維持していくこととしました。
退院から1週間は排尿時に紙コップで受けることにし、脱落するシールドがないかチェックしました。
この間の尿の出る勢いと量は術前とほとんど変わりない状態でした。
退院後1週間くらいから日数が経つほどに排尿に勢いがなくなり、今までよりも細くなりました。
排尿困難と言うほどではありませんが、なんとなく出が悪いなぁという感じです。
体重はホルモン療法を始める前は67kgだったのが、始めてから術前までの6か月で約1.5kg
体重が増加しました。ところが、入院期間の5日間で1。5kg増加し、その後1週間で更に1kg増え、
昨年末に比べると4kg増えました。
脊柱管狭窄症があり、激しい運動はできないので、7月29日から家内とともに朝の散歩を
再開しました。開始後1週間では体重の変化はほとんど有りません。何時頃どれだけ減るかの
挑戦となります。何とか67kgまで戻したいと思っています。

退院直後の7月23日はおとなしく過ごし、近くのスーパー・ヤオコーへ出かける程度にしました。
7月24日は「おさる」を入れている飾り棚の内装を少し変えるため、ケイヨウD2でアクリル板を購入し、
この切断作業を行いました。
7月25日は午前10時ころから家内と一緒に出かけ、船橋の東武百貨店で開催中の
大阪物産展へ出向き、「今井のきつねうどん」と「宇治園の宇治金時氷」を食べてきました。
中元を2軒に送り、息子夫婦が嫁の実家へ帰る時に持たせるお菓子も求めてきました。
7月26日は24日に切断したアクリル板を接着し内装を完成させました。見栄えが良くなりました。
7月29日は昼の時間に息子夫婦と孫たち一緒に成田の日航ホテル成田へ食事に出かけました。
軽く一杯といかないのはなんとなく物足りない感じです。
7月30日は北京時代に作った会の集まりがあり、夕刻より東京大手町まで出掛け会食を持ちました。
ここでも、ウーロン茶で通しました。
この日あたりから排尿の勢いが悪くなってきました。痛みなどはなく、お腹が張ることもありません。
7月31日は佐倉市市民カレッジOB会臼井支部主催の音楽会と懇親会に参加、ミュージカル出身の
お嬢さん二人で作る「OSMY(オスミー)」のリードで思い切り歌を歌ってきました。楽しい会でした。
懇親会でビールも出ましたが、お茶で我慢しました。
8月1日は同じく佐倉市民カレッジ13期1組の20名を集めて学習会「いちもく会」を開催し、
印旛沼文学研究者の方による「文学からみた印旛沼の自然と風土」と題する講演をお願いしました。
その後は京成佐倉駅前の居酒屋で暑気払いを行いました。やっぱりノンアルコールとウーロン茶で
過ごしました。
8月2日は男の料理の会「悠遊くらぶ」の暑気払いで、お昼の会食はフランス料理。ワインが出ましたが、
やっぱりノンアルコールビールで通しました。
8月3日は家内とユーカリが丘にある映画館で「終戦のエンペラー」を鑑賞。帰りに宇治金時氷を
食べてきました。
退院後の約2週間こうした日々を過ごしましたが、いずれの場合も席を外してトイレに行くこともなく、
尿意を我慢する必要もなくこれは大きな自信につながります。
確かに夜は1〜2度起きるようになりました。昨年までは夜寝れば朝まで起きることなく過ごしていましたが、
ホルモン剤を使ってからは夜中に起きるようになりました(ホルモン剤と関係があるかどうかは不明ですが)。
術後もこれは改善されていません。加齢によるものか、体調によるものか一概に判断できないようです。
また、排便が昔に比べるとスムーズではありません。と言って排便困難と言うほどでもありません。
これも放射線の影響なのかどうか、判然とはしません。
とにかく、1年後の体調が楽しみです。 これからも中間経過は追記して行くつもりです。
                               
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癌発見
以降の
生活
2012年4月2日に循環器系で通っている(2011年5月に冠動脈梗塞でステント装入)クリニックで
行った血液検査の結果を5月15日に確認したところ、PSA値は5.04と過去最高値となっていました。
クリニックの医師も一度生検してみたら、とのアドバイスで日本医科大学北総病院を紹介してもらいました。
7月23日に日医大北総病院泌尿器科を受診しました。担当医は紹介状に基づき前立腺癌の
生体検査を行いましょうとのことで、診察も触診もありませんでした。この辺の状況は既に述べていますので、
繰り返しませんが、これが前立腺癌と言う言葉が具体的になった始まりでした。
前立腺癌は進行の遅い癌であり、人によっては癌罹患を知らずに世を去る人も多いと聞いていましたので、
左程深刻になることもなく、生体検査を受けることが出来ました。
結果は黒。癌の見つかった検体が最初は1か所と言うことで余り大したこともなかろうと、それまでの生活が
変わることは有りませんでした。
家内や息子は癌と言うことで結構心配してくれたようですが、本人が楽天的で幾らかは安らいだようです。
癌と向き合うと言うほどの深刻さはありませんが、まあ、病気に負けないためにはまずは気分を低下させないこと、
毎日の生活リズムを変えないことを実行しました。

食事はもともと牛乳や乳製品が大好きで、牛乳とヨーグルトはほぼ毎日、風呂上がりのアイスクリームも
習慣化していました。ところが、インターネットなどでは乳製品は前立腺癌には良くないとの説明があり、
癌発見後は暫く控えていましたが、北総・東京の日医大の先生お二人ともに、そうしたことはまだ実証されて
いないし、栄養価の高い乳製品をやめる必要などない、とのアドバイスで即日元に戻しました。お蔭で旅に
出ても、その地のアイスクリームを楽しんでいます。西洋人に前立腺癌の多いのは乳製品の摂取量が
多いからと言われているようですが、日本人の摂取量程度ではまだまだ主原因までにはならないのでしょうかね。
それ以外の食材はほぼ何でも食べるほうで、毎日3食(主として米飯)きちんと摂っています。
年齢相応に肉より野菜の多い献立になっていますが、肉類も結構摂っています。
食欲は旺盛で体重増加に気を使わねばならない状態でもあります。

お酒はもともと飲む量がそれほどは多くなく酒飲みの部類には入らないレベルでした。
特に、2007年7月に房総勝浦でゴルフをやり知人の別荘での食事の後、突然左目が全く見えなくなり、
鴨川にある亀田病院で「一過性黒内症」との診断で2日間検査入院しました。
一過性黒内症とは血栓が目の動脈に入り血液が遮断されたために起こる症状で、その時も40分後
くらいには元に戻りました。目の動脈に入らなければ脳血栓を起こしていた可能性があるそうです。
原因は熱中症でしょうとの診断でした。以来、血液をサラサラにする薬「バイアスピリン」を常用しています。
その時からゴルフでの昼のお酒と自宅での晩酌は殆どやらなくなり酒量は減る一方ですが、
友人たちとの会食ではそこそこお酒も飲んでいます。

毎日の活動は検査と重なった場合はやむなしながら、予定はそのまますべて実施しました。
癌認定のあった翌日の10月24日は家内と車で熱海へ一泊旅行をしました。
戻った翌日の26日は骨シンチグラフィの撮影。
その後もほぼ決まっていた日程を検査日でキャンセルした以外はすべて実行しました。
11月30日〜12月1日は香嵐渓・恵那渓へバスツアーに参加
12月7日〜16日は中央ヨーロッパへクリスマスマーケットなどを見に行きました。
12月25日〜27日は頼まれ仕事で中国杭州へ出張。
翌年の4月22日〜5月1日はバルカン半島クロアチア、スロベニアなどへ行きました。
5月19日〜22日は北海道へエゾ桜・芝桜を見に行きました。
6月13日〜17日はゴルフもかねて台北へ
ゴルフも2012年10月〜12月で7回プレー、検診と重なり2回は残念ながらキャンセル。
2013年は1月〜7月で16回プレー、3月に左手人差し指を損傷して3回キャンセル。
それ以外に週2回のグランドゴルフやカレッジ仲間との会、趣味の会、飲み会、京都での同窓会などで
手帳の予定表は毎月殆ど埋まっていました。

どんな病気であれ、気力・体力を維持していけば免疫力も高まり、病気の方が逃げ出すと信じています。
これからも癌は癌として侮ることはしなくとも、恐れることなく、自分のリズムでの生活を全うしようと考えています。
                     
                                                   
現 況
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