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金山嶺長城は京承高速道路沿いにあります。北京から130km、承徳から80kmの場所になります。 蒙古族の侵入を防ぐために造られた防御設備ですが、 西の龍峪口から東の望京楼まで全長10.5kmにわたり長城が遺されており、万里の長城の中でも「金山独秀」と称されています。 明朝の戚継光が薊鎮総兵官の任期(1567〜1582)の間に修築しています。 1987年に世界文化遺産に登録されました。 |
2016年6月に金山嶺長城を訪れました。 京承高速路の「金山嶺出口」が良く判らず、 次のICまで行って、景区正門まで戻ってきました。 金山嶺長城の全長は上記の如く10.5kmあり、 その間に関隘(関所?)5か所、敵楼67基、狼煙台3基が あります。 左図の下の線が長城となります。 今回、長城入口よりロープウェイで上駅に出て、 徒歩で小金山楼へ登り、東西へ少しだけ下りました。 仲間は沙嶺口まで出て徒歩で下って行きました。 昼食は金山賓館のレストランで摂りました。 望京楼〜龍峪口を縦走するのに途中に宿舎も あるそうです。後期高齢者には想像もつかない 路程です。 |
京承高速路を走行中に見かける 高圧電線塔です。 女の子が泣きそうな顔をしているように 見えるのは私だけでしょうかね。 |
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北へ向かうに従い自動車が 少なくなります。 山並みがすごく綺麗に見えます。 岩肌の多い山です。 |
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金山嶺ICだったようです。 通り過ぎてしまいました。 確かに出口かどうか判らない 感じです。 |
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一つ先のICで下りて、国道を 戻りました。 その途中に有った偏橋村の入口です。 立派な石の門標が立っていました。 |
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長城入口へ向かう道路です。 車両は通れず、駐車場はこの手前に あります。 お土産屋さんが日本語で呼びかけて きます。 |
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入口を入ってすぐにある像です。 人物が誰か調べてみましたが、 判りません。 後ろに石版があり、説明が書いて ありますが、長城の説明で人物の 説明がありません。 様子から見て、この金山長城を 修築した戚継光だろうと思います。 |
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金山嶺長城の名前の入った石碑が 置かれていました。 入口から相当奥まったところにあります。 多分、この道は歩いて登る入り口に なっているのでしょう。 |
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我々はロープウェイの方へ 向います。 ロープウェイの出札口と 乗り場入口です。 |
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高低差150mを17分で登ります。 運行速度は遅めでした。 |
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ロープウェイの上駅から眺める 金山長城の様子です。 長城東側になります。 |
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左が大金山楼、右が小金山楼です。 |
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西側の眺めです。 延々と続く長城と敵楼が見られます。 |
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小金山楼です。 しっかりした建物になっています。 楼の左手の人物の大きさと比べて 楼の大きさが推測できます。 |
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修復されたところ、古いままのところ、 色々あります。 画面にポインターを置くと 壁面の煉瓦積みと、武器使用時の 穴をご覧いただけます。 弓、鉄砲穴は二種類あります。 |
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楼内はこんな感じです。 内部も古いままの箇所、修復された 場所などが散在しています。 |
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小金山楼から司馬台長城も 見えています。 司馬台長城は修復されず、壊れた ままの場所が多いそうです。 |
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1号敵楼の様子です。 右側の壁は300年前のまま、 左側は30年前に修復されて いるそうです。 |
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2号敵楼から眺める小金山楼です。 険しい崖に造られているのが 良く判ります。 |
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小金山楼から眺める 西側の眺望です。 よくぞこんな場所にこんなものを 作ったなぁと驚嘆させられます。 左手一番高い位置が沙嶺口で ここから徒歩で下山することが出来ます。 |
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小金山楼からロープウェイの上駅へ 向かう途中の大金山楼とその先 東側の長城です。 夫々の嶺に楼が作られているのが 良く判ります。 |
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この道は沙嶺口への登り口であり、 下りてきた場所でもあります。 ロープウェイを利用しない人達は この道から長城へ登ります。 上に見える楼は手前が四方台、 その奥に敵楼子、一番奥が沙嶺口 になります。 |
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昼食はこの「金山賓館」で 摂りました。 |
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金山賓館のレストランです。 さすが、金山嶺長城の大きな絵が 掛かっています。 少し時間が早いにしても 休日の昼にしてはお客が少ない 感じです。 画面のポインターを置くと、 手持無沙汰の服務員たちを ご覧いただけます。 |
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帰り道も色々な景色を見ながら 帰りました。 この山も何となくアメリカっぽい? 感じです。 |
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