檀 園
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園は南翔老街の留雲禅寺の傍にあります。
明代の文人・芸術家であった「李流芳」の住居で
当時の多くの文人墨客が集まった場所だそうです。

残念ながら元の建物は全て無くなっており、
2011年に復元再建されたものです。

古い時代の物は残っておらず、全て新しく建て直されて
います。園内で出会ったインド人を案内していた
若い中国人は、ここは全て偽物だ、と嘆いていましたが、
まあ、昔の文人たちの生活を想像するには
良い場所かなぁと言ったところです。

留雲禅寺裏門から出て檀園へ向かったので、正門ではなく、
横門から入ってしまい、正門は見ずじまいでした。

入場料は30元ですが、老人票を持っていれば割引が
あるとの事で、「忘れてきた」と言ったら団体割引の
2割引きで入場させてくれました。

後で調べたら、パスポートで年齢が70歳以上は6元
だった由で、調査不十分でした。
歴史文化陳列館は別の建物で
此処の受付で、檀園の入口を
尋ねたため、上図右の出入り口を
教えられ、横門から入ってしまいました。

ここは横門入ってすぐの所です。
横から入ると最初にあるのが
「清暉院」です。
清暉院は李流芳の杭州にある
別荘の名前です。

この建物は「民国住宅」として
使われていたもので、嘉定区の
文化財になっています。
清暉院の前庭と玄関です。
清暉院の前から眺める
檀園庭園の全景です。

正面奥は「次酔庁」、右は「翏翏
(りょうりょう)亭」です。
図面では寥になっていますが、
図面上では翏の字が出ませんので、
寥としています。

招艶亭から眺める
上からの庭園の眺めです。

「宝尊堂」の内部です。
典型的な中国式客室です。
宝尊堂の奥にある
「谷怡燕翼」です。

江南の特徴である
太湖石で作られている庭です。
「翏翏亭」です。
翏翏亭から眺める
石橋です。

池には多くの鯉が降り、
子供たちが楽しんでいます。


画面にポインターを置くと別の
家族連れの様子もご覧いただけます。
「磚彫」と呼ばれる瓦に絵を焼きこんだ
もので飾られている壁です。
「二十四孝」と言う、元代の郭居敬が
古代の孝行息子二十四人の話を著した
物語を絵にしてあります。
二十四人の孝行息子の業績を
煉瓦に彫り込んであります。

一つ一つに名前が付いていますが、
どんな話か全く知りませんでした。
この庭園の主楼ともいえる
「次酔廰」です。
花籠庁とも呼ばれています。

李流芳が友人たちと酒を酌み交わし、
詩を詠んだ場所です。


次酔廰から眺める庭園です。

右の岩の上にあるのは招艶亭です。
庭園で一番高い場所になります。
正面に見えるのは宝尊堂です。
次酔廰の横に内庭が有りました。
この奥に見える建物が正門でした。

此処から入り、内庭から次酔廰に
入るのが正規のルートのようです。

正門の写真は撮れませんでした。
左は「歩衡舸」です。
角度が悪いので良く見えませんが、
下部は石船になっており、
上が屋形になっています。

舸とは大船を表わす文字で「ふね」と
読みます。
船の内部の造りです。
「南翔人家」として代表的な
南翔の家が作られています。
スタイルは中華民国時代の
農村の家を復元しています。

黒い瓦に白い壁が江南地方の
人家を引き立たせています。


下は左:客間、中:書斎、
左:娘さんの部屋の様子です。
「琴書軒」は
音楽と書道をここで
行った場所でしょう。
琴を弾き、書を記すことで
心の平安を得る場所です。
「茗塢」です。
茗塢とは茶室を意味します。
良い音楽を聴き、濃い銘茶を
喫する場所です。
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