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寒山寺と言えば、「月落ちて烏鳴き、霜天に満つ」と言う漢詩を思い出す人が多いと思います。 寒山寺は、南北朝時代梁(南朝)の天監年間(502〜519年)、武帝の時代に「妙利普院塔院」として創建されたと されています。 寒山寺という現在の寺名は、唐代の貞観年間(627〜649年)寒山がこの地で草庵を結んだという伝承にちなむようです。 現在の寒山寺は、清末の1906年(光緒32)に程徳全が再建したもので、それぞれの建物はいずれも比較的新しいものです。 寒山寺の鐘と言えば、鐘楼で一般の人も撞けたのですが、今回は修理中で駄目でした。さらに、別の場所に大きな鐘のある 鐘楼が出来ています。現在ではこちらの鐘楼の鐘を撞くことになっているようです。 |
寒山寺の入口から入ると この鐘が目につきます。 この鐘は中国の南極基地長城站で 寒山寺の鐘が聞こえる様にと 据え付けられたものだそうで、 2015年に落成式典が行われています。 右手の建物は寒山寺鐘苑です。 この中に梵音閣と言う鐘楼があり、 高さ8.5m、直径は5.188mで 重さ108トンという鐘があるのだそうです。 有料で鐘も撞けるそうです。 この鐘楼の事は全く承知していません でした。 |
この塀は昔からあり、ここを回ると 境内の入口になります。 |
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寒山寺正門前にある「江村橋」です。 橋の奥に見えるもう一つの屋根付き橋は 「漁隠橋」です。この橋の先で、 見えている川(古運河)が京杭大運河に 合流します。 |
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お馴染みの「寒山寺」の入口の前の 黄色い壁です。 |
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入場券売り場の前にある 獅子像と文物保護単位の石碑です。 65歳以上はパスポートの提示で 無料です。 |
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寒山寺の「大雄宝殿」です。 |
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大雄宝殿の前でお線香を手に 敬虔な祈りをささげているお嬢さんに 出会いました。 |
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大雄宝殿の「釈迦如来像」です。 画面にポインターを置くと 両側にある十八賢人のうちの 九賢人をご覧頂けます。 |
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大雄宝殿の裏側に「寒山拾得」の 石版画がありますが、ガラス面に 後ろの景色が映り込み、一寸変わった 画像ができました。 |
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寒拾殿です。 寒山、拾得の像が祀られています。 |
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元の鐘楼です。 修理中で中には入れませんでした。 前回(2012年)来た時の鐘楼の様子は 画面にポインターを置くとご覧頂けます。 |
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鐘楼を出た後、再び、食事のために 寒山寺表門へと向かいます。 前の門は楓橋路への出口です。 我々は右手側へと戻ります。 |
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「江村橋」です。アーチ型の石橋です。 | |
江村橋からの眺望です。 一番奥の船の停泊処が「楓橋夜泊処」 です。今回そちらの方までは行きません でした。 |
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「江村橋」です。 向かいが寒山寺です。 こちら側にある漕運展示館や 呉門演技台は修理中で、橋を降りた 所までしか行けませんでした。 この後、「素歸」と言う精進料理店で 昼食を摂りました。別項で紹介 しています。 |
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鉄鈴関です。 もともとは明の時代に倭寇から蘇州を 守るために造られた3つの関所のうちの 一つで、鉄砲や石で倭寇の攻撃を防いだ 由緒ある建物なのだそうです。 この先の橋が「楓橋」で、張継の「楓橋 夜泊」で有名になった橋です。 この関の向こうに「楓橋夜泊処」が あります。ここに泊まっていた船の中で 寒山寺の鐘声を聴いたのでしょう。 |
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寒山寺の「普明宝塔」です。 境内東端、最奥に所在する普明宝塔は、 1995年12月に建てられた 高さ52mの木造の塔で、唐の楼閣式 仏塔を模したものです。 |
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