ハイデルベルク城
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ハイデルベルク城は、13世紀頃に築城されたプファルツの国を治める選帝侯の居城でした。
ドイツでは、1386年の金印勅書で、7人の選帝侯によって、ドイツ皇帝が選ばれることになっていました。
17世紀の2度の戦争によって、ハイデルベルク城および町は、徹底的に破壊されます。
カール・テオドールは、城を修復しようと計画しましたが、1764年工事中、城は落雷により炎上し、修復工事は中止されてしまいます。
18世紀後半、城は荒れるにまかされましたが、19世紀になって、フランスのグライムベルク伯が、古城の修復に尽くしました。
ハイデルベルクの住民は、城の石を持ち出して自分達の家を建てていましたが、それを禁止し、城の全面的な再建は断念するにしても、
現存する建物を保存する方針が、町として定められ、1897年から1900年には一部が修復されました。

コルン・マルクト広場に近い所にある
駐車場を兼ねたケーブルカー乗り場
です。

画面にポインターを置くと乗り場の
様子もご覧いただけます。

我々が並んでいるところを、中国人
観光客が先方に割り込んでいきました。
世界に通用するマナーで観光を
してほしいものです。
ケーブルカーはお城までは
殆ど地下を走行します。

地上駅も地下になっています。
ケーブルカーの客室の様子です。

殆ど座席はなく、立ち席がベースです。
それでも、座りましたが…
ケーブルカーは山の上まで運行
されており、お城は最初の駅でものの
5分ほどで到着します。
ケーブル駅から徒歩でお城へ向かいます。

お城の入口にある濠を渡る橋と
入場門です。
この門は、「エリザベスの門」といわれ、
フリードリッヒ5世が、英国生まれの妃、
エリザベス・スチュワートのために造った
ものです。
誕生日祝いに一晩で造ったと伝えられて
います。

奥の建物は彼女のために増築した
「英国館」です。
城門塔は、度重なる戦争にも耐えて
唯一残った塔です。
高さ52m、奥行き13.5mあり、時計が
取り付けられている所が、4階です

手前は入口です。

画面にポインターを置くと入口の拡大画像を
ご覧いただけます。
城門塔の門扉には、鉄の輪があって、
右手に奇妙な傷跡があります。

「魔女の噛み跡」といわれています。
あるとき、この城の王が、戯れに
「この鉄の輪を噛み切る者がいれば、
その者に城を与える」と言ったので、
大勢が挑戦しましたが、誰一人
歯がたちません。最後にやってきた魔女が、
全力で噛み付き、その噛み跡が
この傷なのだそうです。

正面は「フリードリッヒ館」です。

1607年にフリードリッヒ4世により
建てられて以来、代々の選帝侯の居住館で
あった建物です。
ファサード(正面の装飾)は、黄色の砂岩で
できており、壁面には歴代の力のあった
選帝侯の像が飾られています。

画面にポインターを置くと建物の拡大画像を
ご覧いただけます。
右手は「オットー・ハインリッヒ館」です。

1546年オットー・ハインリッヒによって
造られた建物の壁面です。
彼は、大変な巨漢でしたが、大変教養の
深い人で、天文学、建築学にも造詣が深く、
芸術家のパトロンでもあり、このプファルツに
プロテスタントを導入した人でもあります。
正面ファサードしか残っていませんが、
ドイツ・ルネサンスの最高傑作と言われて
います。
城のテラスです。

ここからはネッカー川や街が望めます。
テラスの床に大きな足跡というかくぼみが
残されています。伝えによると、選帝侯の妃が、
若い騎士を、ベットに引き入れて浮気の
真っ最中に、狩りに出て行ったはずの選帝侯が
突如帰って来たので、びっくりした浮気相手の
騎士は、取るものもとりあえず靴だけはいて、
妃の部屋の窓から飛び降りたときの足跡が、
ここに残されたとされています。

この靴跡にぴったりの人は浮気者と
言われています。
テラスから眺めるハイデルベルグの
西方向の街並です。

右手の塔と黒い屋根は聖霊教会です。
左手の黒い屋根はイエズス教会です。
イエズス教会の前の時計台のある建物は
ハイデルベルク大学です。

川はネッカー川です。


下図は同じくテラスから眺める
北方向の眺望です。

川に架かるのはカール・テオドール橋です。
テラスの西北隅にある櫓です。
鱗屋根の建物です。

城内に有るワイン倉庫です。

このワイン樽は、1751年カール・テオドールが
造ったもので、直径7m、長さ8.5mあり、
222,000リットルの容量で、木製の樽としては
世界一のものだそうです。
樽の上の方に、CとTのカール・テオドールの
イニシャルである紋章が飾られており、
130本の樫の木からできているそうです。
樽の反対側の面です。
ここにも紋章が付けられています。

横の階段から樽の上に登れるように
なっています。

画面にポインターを置くと
樽の側面の画像もご覧いただけます。
この人形は「ペルケオ」といって、
カール・フィリップやカール・テオドールに
使えたイタリア出身の道化師です。
一日18本ものワインを飲む大酒のみで、
人をからかうことが好きだったそうです。

ペルケオの像の横に時計の形をした箱があり、
リングを引くと、きつねのしっぽが出てくる
びっくり箱なのです。
ペルケオは、貴婦人を驚かせて、失神した
貴婦人を介抱するのを、楽しみにしていた
らしいです。
彼は、あるとき人からワインの代わりに、
水を勧められ、飲んでみた所、余りの不味さに
驚いて、それが原因で亡くなったと
言われています。
音楽会か、野外劇か、舞台が作られて
いますが、その奥の飾窓のある建物は
「図書館」だったそうです。

左手の建物は「ルプヒト館」です。
下図で全体像がお分かり頂けます。
正面は「城門塔」です。
右手は「ルプヒト館」です。

ルプヒト館は、城の最古の住居館で、
15世紀の初頭、今から600年前くらいの
ゴシック様式の建物です。


お城のケーブルカー駅です。
ぼぼ下までトンネル状態が続きます。
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