ドイツ南部
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ドイツ南部は東はチェコ、南にオーストリア、南西にスイス、
西にフランスと国境を接しています。
地図の太枠の街は宿泊した場所です。

東部のケムニッツを朝出て約390km走って、
ミュンヘンへ、1時間ほど観光後、更に130km走って
フユッセンへと向かいました。
この日はバスに乗っている時間が殆どです。

ノイシュヴァンシュタイン城からヴィース経由で
約300kmのローテンブルクへ出ました。
ローテンブルクは旧市街に城壁を残す都市で、
街の起源は9世紀にまでさかのぼるそうです。

ハイデルベルクはネッカー川沿いの街で、
ハイデルベルク城が見どころになっています。

ハイデルベルクからはドイツ西部へ向かいました。

北よりのヴュルツブルグからフユッセンまでの南部を縦断
する道路が「ロマンチック街道」と呼ばれています。

ケムニッツからミュンヘンへ
ザクセン州のケムニッツから南部バイエルン州のミュンヘンまで約387kmあります。
途中は殆どがアウトバーンを通るため、景観は他のアウトバーンとあまり変わりません。
ただ、葡萄酒の産地だけに葡萄畑が多く見られます。
ケムニッツのホテルを出て、
アウトバーンに乗ると間もなしに
ケムニッツ川をわたります。

ケムニッツともお別れです。
途中の街の様子です。
郊外地はどこも似たり寄ったりの
風景です。
こうした丘陵が多いです。
日本と異なり、麦畑が多いです。
途中で一回目の休憩場所です。

アウトバーン途中のSAです。
池なども造ってあります。
珍しく、羊の群れのいる牧場が
ありました。
丘陵地帯に村がとびとびにあります。

日本ではなかなか見られない風景です。
此の辺りから葡萄畑が増えてきました。

南へ向くほど、葡萄畑が多くなります。
ミュンヘンがブドウ酒の産地と言う事が
良く判ります。

画面にポインターを置くと
別の葡萄畑の様子も
ご覧いただけます。
2回目の休憩のSAです。

横を特急列車が通過して行きます。
ミュンヘンの街に着いたようです。
アウトバーンの9号線出口を出た所に
富士通とIBMの入っているビルが
ありました。

「IBM Watson Iot タワー」です。

いよいよミュンへン市街になります。
ミュンへン (Munchen)
ミュンヘンは僧院という意味で、ドイツ語で僧を表す「メンヒ」に由来するのだそうです。
ベルリン、ハンブルグに次いでドイツでは3番目に大きな都市で、市域人口は140万人近くあります。
1972年にオリンピックが開催されています。
今回は、ミュンヘン滞在は2時間弱で、更に雨にも遭遇し、殆ど市街の要所を見ることは叶いませんでした。
そんな中、フラウエン教会、マリエン広場、新市庁舎を周ってきました。
バイエルン国立博物館の建物です。

同博物館は1855年マクシミリアン2世に
よって創設され、現在のお城のような建物は、
1900年の完成です。

ドイツ、ヨーロッパ各地から集められた
多くの美術品が収められているそうです。
車窓からの見学のみです。
ハウス・デア・クンスト(芸術の家)と
言う美術館です。
車窓からで一番端だけ撮れましたが、
実際は右に長い建物です。

ヒトラー政権の時に完成した建物で、
1937年に展示館として開館しています。


資料から拝借した全景です。

「プリンツカール宮殿」です。

1804〜1806年にカール・フォン・
フィッシャーによって擬古典様式で
造営されました。

1933年ナチスが政権をとった際、
特別な催しを開催する場所とされました。
現在はバイエルン政府によるレセプションの
場所として利用されているそうです。
ミュンヘン市街の一角です。
「イザール門」です。
バイエルン公ルートヴィヒが1330〜
1337年にミュンヘンの街を拡大した際に、
城壁の東門として造られたものです。

ミュンヘンの城門で今日、門塔の現存するのは
唯一ここだけで、城門の壁画には
「1322年アンフィングの戦いから凱旋する
バイエルン公ルートヴィヒ」が描かれています。
旧市内には大型車両の進入は
出来ませんので、パスの停まれる場所から
昼食のレストランまで徒歩で行きます。

ミュンヘンでの観光場所はほぼ、
レストランの近くに集中しているので、
全て徒歩観光となります。

正面の建物は「地方裁判所」です。
1890年から1897年にかけて、
建築家フリードリヒ・フォン・ティールシュに
よって建てられた、荘厳なネオバロック様式
の建物で、目を引く巨大なガラスドームは
約67mの高さがあります。
カールス広場です。

奥に見えているのは地方裁判所です。

カールス広場から新市庁舎の方向に
向かうと「カールス門」があります。

この通りは「ノイハウザー通り」です。
旧市街の中心地です。

かつてはミュンヘンも城壁に囲まれた
町だったのでその名残で残っている
城門だそうです。

1791年に選帝侯カールテオドール
が建直し、現在のカールス門という名前に
変更されましたが、一番最初の門は
1300年頃にできたと言われています。

(選帝侯とは1356年、神聖ローマ帝国
皇帝カール4世の「金印勅書」によって
定めらた、神聖 ローマ帝国皇帝の
選挙権を持つ、有力な7つの諸侯を言います)

城門を入ってすぐ左手にある
彫像です。
口から水を噴出しています。
何の彫像かは確認出来ませんでした。
ノイハウザー通りにある
中央赤っぽい建物は教会です。

画面にポインターを置くと
正面のファサードをご覧いただけます。
更に先へ進むと、通りの左手に
白いファサードのある
「聖ミヒャエル教会」が出てきます。

その向こうの塔はフラウエン教会の
塔です。双塔のうちの1本です。

画面にポインタを置くと
聖ミヒャエル教会のファサードを
ご覧いただけます。
通りにある果物屋さんです。
屋台です。

結構いろいろな果物が並んでいます。

ミュンヘンでの昼食のレストラン
「アウグスティナー」です。

看板はレストランですがビヤホールと
言ったほうが良いような店です。
でも、基本はドイツ料理の店だそうです。

ミュンヘンの昼食


レストランの前の通り、右手にある
ヒルマー(Hirmer)と言う紳士服店です。
この前の通りを左手に抜けると
フラウエン教会に出ます。

お店の後ろの2本の塔はフラウエン教会の
塔です。ミュンヘンで最も高い塔で100m
あります。
塔には登れますが、今回は閉鎖中で
登れませんでした。途中まではエレベーター
があるそうです。

教会の内部は下記ボタンから
お入り頂けます。


フラウエン教会内部

大聖堂を後にしたころからミュンヘンの
街は大雨になりました。
今回の旅で、唯一傘が必要になりましたが、
こういう時に限って、雨具をバスの中に
置いてきてしまいました。
お店の中で雨宿りしているうちに観光の
時間はほぼ終わってしまいました。
「狩猟博物館」の入口です。
猪の像が立っています。

建物の奥の方は警察庁で、
更にその奥がフラウエン教会です。

「新市庁舎」です。

1867年-1909年 にかけて建てられた、
ネオゴシック様式の同市の市役所で、
マリエン広場の一角に建てられています

正面、白い建物は「旧市庁舎」です。

旧市庁舎の建築が始まったのは1310年。
街を守る要塞の一部として設計されました。

その後、火災や戦火で焼失し、第二次世界
大戦後に15世紀の姿に復元されています。
右手には塔屋もあります。

画面にポインターを置くと
塔がご覧いただけます。

左はマリエン広場から眺める
新市庁舎の塔です。
ミュンヘンで昇ることが出来る2番目に
高い塔(85m)としても知られていて、
エレベーターで塔の上まで昇ると
ミュンヘン市内を一望することができます。
今回は雨で見通しが悪かろうと、
登るのをあきらめました。
また、時計は仕掛け時計になっている
そうですが、残念ながら定時には
見られませんでした。


右の塔は1638年に建立された
「マリエン像」です。
マリエン広場の語源になっています。
新市庁舎の前にあるカトリック教会の
「聖ペートルス教会」の塔屋です。

ここの塔も登れるようです。
塔屋の左右の建物はショッピングショップ
です。

この頃は雨が激しく写真どころではない
状態です。
マリエン広場にある「魚の泉」です。

中央の柱の上には魚が乗っていますが、
こちらから見ると何だか判りません。
マックスヨゼーフ広場です。
正面には王座に座ったマクシミリアン1世の
銅像が建っています。
彼はバイエルン最初の王です。

ここは大型バスの駐車場にも
なっています。

正面の建物はバイエルン国立歌劇場です。
左手の建物はレジデンツ(王宮)ですが、
イタリアフィレンツェの建物に
そっくりなんだそうです。
バイエルン美術アカデミーになっています。

何れも戦災で焼失し、1958〜1963年に
再建されています。

国立歌劇場
左手の建物は「ミュンヘン税関」です。

橋の下は鉄道が走っています。
左方向は「ミュンヘン駅」になります。
ミュンヘン駅の駅舎を眺めています。
中央屋根の白っぽい建物が駅です。

右端にフラウエン教会の塔、
中央駅舎の奥に地方裁判所の屋根が
見えています。

ミュンヘンを離れて、フユッセンへと
向かいます。

自然エネルギー志向のドイツらしく、
風力発電のみならず、太陽光発電も
積極的に採りいれているようです。
途中の湖です。
名前は確認できません。
フユッセンに近づきました。
シュッヴァンガウという村の
「聖コロマン教会」です。
カトリック教会です。

ここからはフユッセンまでは数キロの
距離になります。
ノイシュヴァンシュタイン城への往復や、
昼食後のローテンブルクへの道筋で
何度かお目にかかる教会です。
フユッセン
フユッセンはバイエルン州の最南西部に位置し、ロマンティック街道の発着点であり、近くには
ノイシュヴァンシュタイン城のある街で、街道巡り、城巡りの人々の拠点になっている街です
シュヴァンガウから眺める
「ノイシュヴァンシュタイン城」です。

バスの車窓から良く見えました。
山の上からのお城の眺望はまた違った
光景で眺められます。
フユッセンの市街に入り、目に付いたのは
「ツーリスト・インフォメーション」の
建物です。

前庭に大きな石が立てられ、
そこから噴水が出ていました。

今夜の宿泊場所は
「ユーロ・パークホテル」です。

レム川沿いの自然豊かな場所に
建っています。
ドイツ・アルプスの麓の町です。
部屋の窓からレム川が見えます。
花も綺麗です。

9時過ぎでこの夕景色です。





下図はホテルでの夕食です。

このホテルは日本人の経営との事で、
通常の食事以外に「サラダ・バー」と
「カレーコーナー」が設けられています。

ご飯もあって、しっかりカレーも味わいました。

中国人らしい団体もこのカレーに
舌鼓を打っていました。

メインは魚のムニエルです。
付け合せの野菜の他にご飯も付いています。

デザートはシャーベットです。
ホテルの運転手さんに5ユーロ払うと
夜景見物に連れて行ってくれると言う事で、
グループの有志数人でバスで出かけました。
先ずは「ホーエンシュヴァンガウ城」へ
向かいました。
この城は12世紀に創建され廃墟と
なっていた城を1832年に
マクシミリアン2世が購入修復したそうです。

シュヴァンガウとは「白鳥の里」の意味で、
この地がワグナーの「ローエングリン」の
舞台だとも言われています。

「ノイシュヴァンシュタイン城」です。

ホーエンシュヴァンガウ城で
幼少期を過ごしたルートヴィッヒ2世が
「ノイシュヴァンシュタイン城」を
建てています。
詳細は後出です。

ライトアップとは言え、あまりにも遠くにあり、
望遠で引っ張ると手振れが激しく、
被写体としては難しい画面です。
フユッセンの市庁舎の夜景です。
ホテルの朝食です。
ホテルの周辺の風景です。
ホテルの近くの公園です。
公園の近くからアルプス連峰が
遠望できます。
街の教会です。
民家の奥に動物小屋がありました。

右上は山羊の小屋で黒い山羊が沢山
飼われています。

画面にポインターを置くと
黒山羊の姿もご覧いただけます。
ノイシュヴァンシュタイン城〜 ヴィース教会へ
ノイシュヴァンシュタイン城はフユッセンの近くにある標高1,000mに立つお城です。
麓には父王の建てたホーエンシュヴァンガウ城が立っています。
ノイシュヴァンシュタイン城からヴィース教会までは30km弱の距離です。
ホテルからノイシュヴァンシュタイン城へ
向かう道筋での景観です。

ドイツとオーストリアの国境になる
アルプスが見えています。
ロータリーにある銅像です。
「ホーエンシュヴァンガウ城」です。

ルートヴィッヒ2世の父王マクシミリアン2世が
建てた城で、ルートヴィッヒ2世も幼少の頃、
この城で過ごしていました。

内部も見られるようですが、残念ながら
我々は素通りです。

画面にポインターを置くと左手正面の
屋上にある白鳥の飾の拡大図を
ご覧いただけます。

この地が「白鳥の里」であったことに
由来するのでしょう。
ノイシュヴァンシュタイン城です。

城の後方にある「マリエン橋」からの
眺望です。
奥にはフォルクゲン湖が見えています。


「ノイシュヴァンシュタイン城」の全景です。

手前の石垣の高さからもこの城の
重厚さを窺えます。

城の周辺、内部は下記のボタンから
お入り頂けます。

城の詳細
フユッセン市街にある銅像で
水遊びをしている子供たちの像です。
フユッセンの市街地です。

ここでも観光用の汽車型トラックが
走っています。

背景の家並みが綺麗です。

フユッセンの繁華街「Tabtbrunnen」
です。ライヒェン通りの南の端にある
噴水には、フュッセンの守護聖人である
聖マグヌスが立っています。

フユッセンでの昼食は
「Herzl am Rathaus」と言うお店で
ドイツの肉料理「シュニッツエル」でした。
所謂カツレツです。

お店の中や料理の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

フユッセンの昼食
フユッセン市街の光景です。

立木の下に作られたベンチで
多くの人が涼を得ていました。

フユッセン市街からヴィース教会に向かう
途中の「レム川」に架かる歩道橋です。
ヴィース教会へ向かう道路から
眺めるドイツアルプスです。

左端にノイシュヴァンシュタイン城が
遠望できます。
「ヴィース教会」です。

牧場の中に立つ教会、
ヴィース巡礼教会の名前通りの
風景です。

教会の内部等は下記ボタンから
お入り頂けます。


ヴィース教会

ローテンブルク
ロマンチック街道の途中にある街です。正式名はローテンブルク・オプ・デア・タウバーで
大規模郡都市と称するそうで、36の地区から形成された街の1地区です。
第二次大戦時に古城を守るため早くに降伏し、砲撃による街の完全破壊は免れたそうです。
ヴィース教会からローテンブルクへは
およそ270kmあり、途中では
アウトバーンを走ります。
ここは17号線です。

17号線から7号線へ向かう際に、
ロマンチック街道も走る予定に
なっています。

25号線ロマンチック街道の一部です。

自然豊かな村が続きます。
ロマンチック街道らしい、カラフルな
家並みが続きます。
ローテンブルクのホテルに到着。

玄関はこんな感じですが、建物は
左右にあります。
ただ、自分の部屋はこの奥の屋根裏の
様な部屋でした。

画面にポインターを置くと
右隣のホテルの建物がご覧いただけます。
ローテンブルクの旧市街図です。
赤い枠が城内を示します。
東と北は城壁が残っていますが、西から
南は殆ど城壁は残されておらず、城門が
残っています。左図の階段マークのある
部分は城壁が残っています。
歩くだけなら1時間程で城内を一周できます。

緑の丸の1〜19は写真掲載しています。

ホテルは北の城壁の近くです。
到着日の午後と翌朝の1時間ほどで城内を
周ってみました。

なお、画面の赤点線は約1.5時間の、
青点線は約2.5時間の徒歩観光コースです。

地図上の大まかなポイントは緑の丸の数字、

1:仕掛け時計、2:市庁舎、3:マルクト広場、
4:ゲオルクの泉、5:ヤコブ教会、6:ヨハネス
教会、7:プレーライン、8:マルクス塔、
9:レーダー門、10:レーダー門外、11.城壁、
12:白い塔、13:城壁とカルゲン門、
14:ホテルの前の塔、15:クリンゲン門
16:郷土博物館、17:ブルグ門、
18:城塞公園、19:噴水

となっています。
ホテルの北側にはこの様な城壁が
続いています。

城壁の上に通路が作られていますが、
途中で途切れているので、一周するのは
無理だそうです。

通りにこのような古井戸があります。
街の古さを感じさせる設備です。
夕方5時過ぎからの観光で、
入場出来るところはほぼなく、
外観のみの観光となります。

地図Aの市庁舎です。
正面の主要な部分がルネサンス、
アーケードがバロック、後の塔のある建物が
ゴシック、と時代が異なる3つの建築様式が
ミックスされています。
52mの高さの塔からはローテンブルクの
美しい街並みを見渡せるそうですが、
閉まっていました。

画面にポインターを置くと
左側のゴシック様式の市庁舎部分を
ご覧いただけます。
地図@の建物で、ツーリストインフォメーション
が入っています。
元は市参事会酒宴館だったそうです。

壁面には仕掛け時計があり、丁度19時の
定時の仕掛けが動いてくれました。

仕掛け時計です。
19時に動いてくれました。

市長の人形(右)がジョッキのワインを一気に
飲み干します。

これは、30年戦争(1618〜1648・
宗教戦争)のおり、ローテンブルクを
占領した皇帝軍が市参事会員を斬首
しようとしました。
皇帝軍のティリー将軍(左)は、ワインを
すすめられたとき、このジョッキを一気に
飲み干す者があれば、斬首はやめようと
言いました。ヌッシュ市長がこれを受け
見事に飲み干して、この窮地を救った、
という話しを元に作られた仕掛け時計です。

画面にポインターを置くと
ワインを飲む市長をご覧いただけます。
マルクト広場の通り沿いにあるのは
「ゲオルクの泉」です。地図C

ゲオルグ噴水、あるいはゲオルグの泉
とも称されているようですが、1446年に
造られた井戸です。
深さ8m、貯水量10万リットルもあるそうです。

マルクト広場の全景です。地図B。
右手の方には色々なお店が並んでいます。
熊さんの店もマルクト広場にあります。

壁面のレリーフが楽しいです。
ローテンブルクの特産品?の
「シュネーバル(雪玉)」です。

小麦粉に卵と砂糖を混ぜて焼き上げた
お菓子です。ちょっと甘すぎるかな。
ビスケットの柔らかい感じです。

土産に2個持って帰りました。
2〜3ヶ月は持つそうです。
ヤコブ教会です。地図D
こちらも閉館時間で内部の参観は
出来ませんでした。

手前右側の石垣の上にあるレストランは
イタリアンで結構おいしいとの事でした。
ローテンブルクの名所と言われる
「プレーライン」です。地図F

中央にある「シーバース塔」と
手前の家の風景が良いと言う事で、
多くの観光客がこの前で記念撮影
して行きます。

シーバス塔は元は城壁の有った
場所ですが、市街地が南に拡張され、
レーダーアーチや白い塔と同様に、
塔だけが遺されています。
「ヨハネス教会」です。地図E

聖ヨハネ教会は、プロテスタントが主流な
ローテンブルクでは数少ない
ローマカソリック派の教会です。
この教会は、1200年頃、ヨハネ修道会の
敷地に建設されたものです。

1400年頃、後期ゴシック様式で、基礎から
新たに改築され、現在の姿になりました。
1600年〜1628年には、西の回廊が
組み込まれ、屋根裏が市最大の穀物倉庫に
改造されました。シュタインマイヤーオルガンは
1885年のもので、2004年に修復されました。


マルクス塔(左)とレーダーアーチ(右)です。
地図G

マルクス塔はローテンブルクで一番古い
市壁の名残です。
小さな漁村であった町が都市として
認められるようになり、初めて城壁の建設が
始まった12世紀の建造物です。

レーダーアーチは元のレーダー門で
街が拡大し、城壁が東へ移動したため、
この場所に取り残されています。

市内でも最も美しい塔とも言われています。
夕食は自由のため、イタリアンレストランで
パスタを食べました。
ドイツでパスタもそれなりにいけます。

画面にポインターを置くとお店の中の
様子をご覧いただけます。
ビールと、大きなピッザと海鮮の
スパゲッティを摂りましたが、ビールと
ピッザは写真を撮るのを忘れていました。
スパゲッティもかろうじて被写体になりました。

デザートだけはしっかり撮りました。

ローテンブルクの朝も快晴。
朝食までの時間を利用して、
朝の市街を散歩してから朝食を摂りました。

ホテルの前にある塔です。地図M
横の階段で通路へ上がれます。

奥に見えている塔は「クリンゲン門」です。
北側の壁はクリンゲン門まで歩けます。

朝の街の風景と朝食は下記ボタンから
お入り頂けます。

朝の散歩と朝食
ローテンブルクからハイデルベルクへ
むかいます。約170km走ります。
勿論、アウトバーン利用です。

朝はこのように空いていますが、
工事は夏場しかできないとかで、
時々車線が減少して、渋滞が生じて
います。

画面にポインターを置くと
車線現象区間もご覧いただけます。
アウトバーンから眺める景色も
時々はこのようなメルヘンな風景に
出会えることもあります。
5号線でハイデルベルクへと向かいます。
ハイデルベルク
ネッカー川沿いに広がる街で、1386年開校のドイツ最古の大学があります。
市の創設は12世紀で、街にはハイデルベルク城があります。

ローテンブルクから西方向へ170kmほど走ります。
ハイデルブルクの街に入ります。

旧市街地には大型バスは入れず、
決められた駐車場へ向かいます。

ハイデルブルク城の駐車場は
既に満杯で、ケーブルカーで登ると
案内がありました。
駐車場は何か所かあるようです。

駐車場の案内板です。
こちらではヨーロッパ人の団体さんが
待機しています。
バス待ちでしょうか。
人種は違えど観光客は似たり寄ったり。

駐車場へ向かうバスの車窓から
カール・テオドール橋が見えます。
石造りの橋です。

橋の袂へ来ると、こんな光景も
見られます。

画面にポインターを置くと
中央のお二人の様子を
ご覧いただけます。
ネッカー川です。

遊覧船も出ているようですが、
時間がないので乗船は出来ません。

「カール・テオドール橋」の入口にある
塔です。

通常「古い橋」と呼ばれています。
実際名前のとおり、町でも最も古い橋で、
1786年にカール・テオドール選帝皇の命に
より造られ、もともとは木造の橋で屋根まで
付いていたそうです。

長さ約220mあります。橋にある門は、
もともと中世のころ町の城壁の一部だった
との事です。
夜は、落とし格子の柵が下りて防御施設
としての役割を果たしていたようです。
左右の白い塔は、牢屋として使われていた
こともあったそうです。

橋の周辺の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

テオドール橋

テオドール橋からマルクト広場へと
向かいます。

カラフルな建物が並んでいます。

聖霊教会の向かいに立つのが、
現在ハイデルベルクで残る民館として
一番古い「騎士の家 ツム・リッター」です。

1592年、フランスから逃避してきた
ユグノー派のカルビニストで、裕福な
生地屋さんであったシャルル・ベリエーが、
建立したもので、1693年のフランス兵の
焼き討ちに耐えて残った唯一の建物なのだ
そうです。

現在はホテル・レストランになっています。
ハイデルベルグでも人気のある
レストランだそうです。
ハイデルベルク大学の教会です。

1386年開校のドイツ最古の大学に
付属する教会だそうです。

右手の方に大学新館があります。
石畳の上を走るドイツのパトカーです。

ハイデルベルクは学生の街だそうです。

確かに、学生さんに良く出会います。
前を行くのも学生さんのグループです。

画面にポインターを置くと
アジア系(日本人?)と思われる
学生さんの姿もご覧いただけます。

皆さん楽器を抱えていますので、
音楽系の学生さんでしょう。
マルクト広場の市庁舎です。

18世紀の初頭に建てられたバロック様式の
建物です。その後何度も、増築されている
そうです。

画面にポインターを置くと
広場反対側の建物群もご覧いただけます。
マルクト広場の一角を占める
「聖霊教会」です。

画面にポインターを置くと
教会の側面をご覧いただけます。

街中から眺めるハイデルベルク城です。
ハイデルベルグの観光の中心です。

高台にあり、バスで行くか、ケーブルカーで
登ることになります。

お城の様子については下記ボタンから
お入り頂けます。


ハイデルベルク城

城から下りて、街に入ると出会う
コルンマルクト広場と
コルン・マドンナ像です。

コルンとは「穀物広場」を意味するそうです。
マドンナはカトリックで蛇に見立てた
プロテスタントを退治している像だそうです。

画面にポインターを置くと
左手方向の広場の眺めもご覧頂けます。
この家の前にある案内板の名前は
殆どがお医者さんです。
お医者さんの集合体か、一つの医院に
沢山の医者がいるのか?
入口は一つだけのようです。
ハイデルベルグでの昼食場所です。

「Hutzelwald」と言う店で、
ハイデルベルク城の丘の麓にある
レストランです。
この日の昼食は前菜のハムサラダ(左)と
マウルタッシェン(右写真の左)です。

マウルタッシェ は、ドイツ・シュヴァーベン
地方の郷土料理で、ドイツ餃子と言った
感じの料理です。
ひき肉を小麦粉の皮で包んだ料理です。

右の画面にポインターを置くと
中身を拡大した画像をご覧いただけます。
ガラス張りのビルがありました。
ハイデルベルグ駅の前のビルです。
「Leve12」の表記がありました。
ハイデルベルグ・プリントメディア・
アカデミーと言う印刷機会社で、
ハイデルベルクでは有名な会社の様です。
ビルの前に大きなオブジェが置かれて
います。

画面にポインターを置くと
馬?キリン?のようなオブジェを
ご覧いただけます。
ハイデルベルグ中央駅です。
車窓からで全体像は撮れませんでした。
ガラス張りになっています。

いよいよこの後はドイツ西部の
ライン川沿いの街、リューデスハイムへと
向かいます。
ライン川の景観はドイツ西部でご覧ください。
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