ドイツ東部
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ドイツ東部は東西ドイツに分裂していた時の東ドイツ地区が
メインになります。ベルリン市のみが半分西ドイツになっていました。

ベルリンを北部ドイツにするケースもありますが、便宜的に
ここではベルリンからケムニッツまでの旧東ドイツ地区をドイツ東部と
しています。

今回はシュヴェリーンからベルリンに入り、1泊してポツダム経由、
ケムニッツまで走り、ケムニッツで2泊して、ドレスデン・モーリッツブルグ
を周り、ドイツ南部のミュンヘンへと向かいました。
今回訪れた都市は左図の緑の枠で囲まれた部分で、ライプツィヒや
ドレスデンの隣で陶器の街マイセンなどへは行けませんでした。

ベルリンは1990年の東西ドイツ統一後の首都で、ドイツで最大の
都市となっています。

ポツダムはブランデンブルグ州の州都でポツダム宣言が発せられた
都市として有名です。

ドレスデンはザクセン州の州都でエルベ川を挟んで新旧市街が
広がっています。

ケムニッツはドレスデンと同じくザクセン州の都市です。産業革命時に
近代都市として発展したようですが、今回は宿泊のみでした。
ベルリン
ベルリンは冷戦時代には東西に分裂していました。この時に西ベルリンを取り囲む壁が出来たことは有名です。
1989年にこの壁が崩壊し、1990年には東西ベルリンが統一され、統一ドイツの首都となりました。
人口は都市圏で350万人とドイツの都市では最多人口です。
シュヴェリーンから200km以上走り、
ベルリンに入りました。

首都の街並の始まりです。
通りに有った小さい教会です。

大通りに面したベンチにおばあちゃんが
一人ワインを傍に置いて、休んでいます。
右腕にはタトウがあり、欧米人の
タトウ好きを感じます。
他の国でも、若い女性が腕や背にタトウを
入れているのをよく見かけます。
ベルリンにも壁いっぱいの絵が見られます。
壁に絵を描くのはドイツ風でしょうか。

アメリカ・マイアミの建物の壁に絵を
描いていたのもドイツ画家だったと記憶します。
フリードリッヒ通りのシュプレー川に
架かる橋です。

右手奥の丸い屋根の建物は
博物館島のボーデ博物館です。

その奥のタワーはベルリンテレビ塔
です。高さ365mあります。
東ベルリン時代の象徴的塔です。

この川の右手は旧東ベルリンに
成ります。

欄干のオブジェが何となくドイツを
感じさせます。
ベルリン市街地です。
通りの真ん中にU-バーンの
入口の有るのはドイツ共通の
スタイルなんでしょう。


ベルリン到着後そのまま
レストランへ直行。
ビアレストランでベルリンの地場料理を
食します。

レストランと夕食の様子は
下記ボタンからお入り頂けます。

ベルリンの夕食

レストランからホテルへ向かう際に
渡った「ミューレンダム橋」から眺める
大聖堂です。
川はシュプレー川です。

左手の建物は図書館のようです。

ベルリンで宿泊した「コンフォートホテル」
です。16階建てのホテルで、
ボゥーリング場も附設されています。

ホテルの様子は下記ボタンからお入り
いただけます。

ベルリンのホテル
朝ホテルからイーストギャラリー
(ベルリンの壁)へ向かう途中で見た
噴水と建物です。立派な噴水です。


「イーストサイドギャラリー」です。
過ってのベルリンの壁の一部が遺され、
壁画のギャラリーとしています。
ベルリンの壁は東ドイツが西ベルリンの
境界線150kmの内、115kmに渡り、
囲い込みのために作った壁です。
1989年11月に壁は破壊されますが、
一部はそのまま記念に残されています。

東ドイツ時代の壁は真っ白で人が
近づけばすぐ判る様にしていたそうです。

現在は壁画アートの競演の場とされて
います。オープンギャラリーとして
開放された壁には21カ国118名もの
アーティストによって描かれた
アート作品をみることができます。

壁の様子は下記ボタンからお入り頂けます。

ベルリンの壁
ベルリン市内の「チェックポイントチャーリー」
です。
ドイツ・ベルリンが東西に分断されていた
時代に、同市内の東ベルリンと西 ベルリンの
境界線上に置かれていた国境検問所です。

アメリカ管轄区内の検問所で、
手前がアメリカ側です。
概ね、西ベルリン市民のみが往来
出来たようで、一部、外国人やトランジット
客用の検問所もあったようです。

ベルリンの壁のページ(上部)で
チェックポイントの有った場所を図示
しています。

画面にポインターを置くと
別角度からの検問所をご覧頂けます。

「テロのトポグラフィー」です。

ベルリン中心地に位置するフリードリッヒ通り
から程なくした位置にあるこの場所は
「テロのトポグラフィー(Topographie des
Terror)」と呼ばれ、かつてのナチス政権下の
重要 な機関の本部が集中するまさに
恐怖政治の発信源でした。

第二次大戦の折に壊滅されたこの地は
1987年から、発掘された地下牢の
スペースを使って、国家によるテロ、
すなわち ナチス時代の恐怖政治の歴史を
伝える野外展示場になっています。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

トポグラフィー

東西ベルリンの象徴とされる
「ブランデンブルグ門」です。
高さは26m、幅は65.5m、奥行きは11m
の、砂岩でできた古典主義式の門です。

冷戦時代にはこの門の奥に
ベルリンの壁が作られ、門の通行は
出来なくなっていたそうです。

まさに東西の境となっていました。

門の詳細と周辺の様子は
下記のボタンからお入り頂けます。

ブランデンブルグ門



グランデンブルク門の通りにある
信号機です。

ドイツ東部ではこの信号が多いです。

旧・東ドイツ時代に誕生し、現在でも
ベルリンを中心に活躍している
「アンぺルマン」です。

絵文字による誰にでも理解しやすい
信号です。

画面にポインターを置くと赤信号の
様子もご覧いただけます。
プロイセン国王・フリードリッヒ2世像です。

奥の建物はフンボルト大学です。
フンボルト大学ベルリンの正面です。

創立は1810年でベルリンでは最も古い
大学です。
フンボルトは創立者の名前です。
「ノイエ・ヴァッツへ」です。

1816年にプロイセン王フリードリヒ・
ヴィルヘルム3世が建築家カール・
フリードリッヒ・シンケルに衛兵所として
設計させた建物です。

1993年来、この建物は戦没者に対する
ドイツ連邦政府の中央追悼施設として
「国民哀悼の日」の式典会場になって
います。
「ツオイックハウス」です。

博物館島へ渡る橋の手前にある
建物で、元武器庫として建てられ、
現在は歴史博物館の様です。
車窓より外観のみの見物です。
「シュロス(Schloss)橋」です。

シュプレー島へ渡る橋です。
1821~1824年に建造されました。
工事中で見難いですが、ドイツでも
美しい橋の一つに数えられているそうです。

左に見えるのがツオイックハイツです。

「ムゼウムスインゼル」と呼ばれる地区です。
シュプレー川の中の島は博物館が
5館あり、博物館島と称されています。
この地域は世界遺産に登録されています。

中の島にこの銅製の模型があります。
左下は旧博物館、その上は新博物館と
一部はベルリン先史博物館、
更にその上はベルガモン博物館、
一番奥はボーデ博物館、
右は大聖堂、その上は旧国立美術館です。

全てをじっくり見るには丸一日がかりに
なるでしょう。
3時間の市内観光では外観を見るだけで
終ってしまいます。

旧博物館(アルテス・ムゼウム)です。

プロイセン王国の王室コレクションの
収蔵と展示が目的で、建築家カルル・
フリードリッヒ・シンケルの設計をもとに
1823年から1830年にかけて
新古典主義様式で建設されています。
1845年までは王立博物館 と呼ばれて
いました。
第二次世界大戦で被害を受け、修復後、
1966年に再開館しています。

1999年には博物館島のその他の
歴史的建造物とともに、世界遺産に
登録されています。
「旧国立美術館」です。

銀行家で美術品収集家であった
ヨハン・ハインリヒ・ヴァーゲナーの
コレクションの遺贈を受け、
1876年に開館したものでです。

第二次世界大戦による被害の修復後、
1950年に再開された博物館島の
世界遺産の一つです。
「新博物館」です。
と言っても19世紀の建物です。

旧博物館の収容能力が不足した
ために建てられています。

1843~1855年にかけて建設
されています。
博物館島では2番目の博物館として
建てられています。
前出の「ツオイックハウス」で、
川の反対側から前出の写真の
右側の面を眺めています。
まっ四角な建物です。
屋上の飾り物が素敵な建物です。

「大聖堂」です。

ヴィルヘルム2世の命により、
1893年~1905年の12年の
歳月を架けて建造されました。

イタリア・ルネッサンス様式の
プロテスタント大聖堂です。
「ベルリン中央駅」と駅ビルです。

正面の建物はガラス張りで、
列車の停まっているのも外から
眺められます。
「州政府事務所」です。

背景に国会議事堂が
見えます。
「国会議事堂」です。

1884年創建、そのご、帝政ドイツ、
ワイマール共和国を通じて
下院議事堂となりましたが、
1933年に焼失し、1999年に
修復されています。

ティーア公園に立つ
「戦勝記念塔」です。

高さ67mの石造の塔です。

当初はデンマーク戦争(1864)の
戦勝を記念して建造を始め、
途中で、オーストリア、フランスとの
戦争にも勝利し、これらの勝利を
顕彰する塔になっています。
完成は1872年です。

塔頂には勝利の女神
ヴィクトリアが立っています。

ベルリン中心部からポツダムへ
向け西の方へ走っていると、
U-バーンの駅のある広場へ
出ました。

「ウイッテンベルグ広場」です。
右手はU-バーンの駅です。
クラッシックな形の建物です。
広場の真ん中に立っています。

奥に「KaDeWe」と看板のある
建物はヴェステン百貨店です。

ポツダム

かつてプロイセン王国の居城都市だったポツダムは、とりわけ文化遺産で広く知られており、
類い稀な宮殿や庭園が数多く残っています。 プロイセン王国の栄華、偉大な建築家や科学者の
都市としての伝統、冷戦時代における東西両陣営の接点でもありました。ポツダム宣言の地としても有名です。

ベルリンから南西の方向へ向かい、この
「グリーニッカ橋」を渡ればもうポツダム
です。

グリーニッカ橋の名前は、橋の近くに
昔あったグリーニッカ農場に由来する
もので、その場所には現在グリニケ宮殿が
立っています。

橋はハーフェル川に架かり、ベルリンと
ポツダムを結んでいます。
1952年まで「統一の橋」と呼ばれて
いましたが、通行許可証なくしては
渡れない橋で、1989年11月18日まで
ここには東西ドイツの国境歩哨が立って
いたそうです。
橋を渡ってすぐに石柱の列が
ありました。何に使われたのかは
判りまっせんが、橋に由来の
ものか、公園の装飾と思われます。
ポツダムの街に入った所で
綺麗な住宅が見られました。

ツェツィリェンホフ宮殿です。

1917年に当時皇太子であった
ウィルヘルム・フォン・プロイセンのために
建設された宮殿です。
宮殿の名前は、皇太子妃ツェツィーリエに
ちなんでいます。

日本ではポツダム会談が開かれた
場所として有名です。
1945年にソ連赤軍によって占領
されました。同年、ここでアメリカ・イギリス・
ソ連の首脳が一堂に会し、ポツダム会談が
開かれ、第二次世界大戦の戦後処理に
ついての話し合いが持たれました。
ベルリンの都市の損傷が激しかったため、
警備の容易なこの場所が選ばれたと
言われています。

宮殿内部の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

ツェツィリェンホフ宮殿

サンスーシー宮殿の内庭を取り囲む
柱列です。
此の辺りはサンスーシー公園の一部に
なっています。
サンスーシーの歴史的風車です。

サンスーシ宮殿完成後、この風車が
宮殿の景観に入るため、
フリードリヒ2世が取り壊しを命じた
そうですが、所有していた農夫から
生活を奪わないでほしいと訴えられ、
王はこの風車小屋をそのまま残した、
という逸話が残されています。

サンスーシー宮殿はフリードリヒ2世の
構想により作られた平屋建ての
宮殿です。当初は夏の離宮の予定
でしたが、居城となりました。

サンスーシー宮殿の詳細は
下記ボタンからお入り頂けます。


サンスーシー宮殿
ブランデンブルク門です。

プロイセン王フリードリヒ大王が
オーストリアとの戦いに勝ち、7年戦争の
記念として1770年に建てられました。

ベルリンのブランデンブルク門の
原型です。こちらの方が20年早く
建てられています。
ポツダム市街を走るトラムです。

地域によってトラムのスタイルが
違うのはどこの国でも一緒かな。
「フィルム博物館」です。
映像関係の博物館のようです。

後ろに見えるのはセントニコラス教会です。
ブランデンブルグ州の庁舎で
元のシティパレスです。

奥のドームはセントニコラス教会です。
ブランデンブルグ州庁舎(シティパレス)
の正面です。

ポツダム駅です。
駅ビルになっています。

駅は右手の陸橋の下になります。
ポツダムからケムニッツへ281kmを
走ります。

アウトバーンからの眺めはここでも
牧草地帯です。

他にはカラマツと白樺の林、麦畑と
ドイツ西部、ドイツ北部のアウトバーン
沿いの眺めとは変わりません。

画面にポインターを置くとカラマツと
白樺の林をご覧いただけます。
12世紀プラハへの塩輸送路に沿う商業中心地として成立し,1143年に都市権を獲得しています。
14世紀中頃から麻,綿織物業が興り,17世紀にはメリヤス工業が,また 19世紀にはザクセンの炭田を背景に
機械工業が加わりました。1800年ドイツ最初の紡績機が稼働し,最初のミシンと機関車の製造地でもあります。
今回はドイツ東部の観光のための拠点として2泊しましたが、ケムニッツそのものの観光はありませんでした。
ポツダムからケムニッツまで280km
ひたすら走って、ケムニッツに入りました。
ケムニッツの街並です。
ホテルは「ペンタホテル(Pentahotel)」

小さな村の小さなホテルと言った
雰囲気のホテルです。

到着後の夕食は下図通りのメニュー。

やはり、野菜だらだの前菜。
思っていた以上に生野菜が多いです。

飲み物はやっぱりビール(Becks)。

メインはチーズコロッケ、美味でした。
付け合せは野菜の旨煮風炒め。

デザートはプリンです。

ホテルのレストランらしく盛り付けも
綺麗でした。

ここには2泊しました。
朝の散歩でホテルの周辺を
散策してみました。
こじんまりした街ですが、
整った街並です。

ホテルの近くの教会があります。

この教会の周辺は公園になっています。

教会と公園の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

教会と公園

ペンタホテルでの朝食です。

ここの茹で卵には笑顔が描かれています。
朝から気分良くと言った所でしょうか。

画面にポインターを置くと
卵の様子をご覧いただけます。
ケムニッツからモーリッツブルクへと
向かいます。

ずっと好天が続いています。

麦畑も見慣れた光景になっています。
また、どこへ行っても風力発電用風車が
回ています。
モーリッツブルグに近づくと、
こんな教会にも出会います。

モーリッツブルグの「Ev.-luth.教会」です。
モーリッツブルク
ザクセン州の州都ドレスデンの郊外北北西に15kmほど行った所にある街で、
森と湖に囲まれたモーリッツブルク城が有名です。
ザクセン州で最も重要なバロック様式の
建造物で、湖に浮かぶ美しい建物が
特徴的な宮殿です。

1723年~1736年にドレスデンの
ツヴィンガー宮殿を手掛けた
M.D.ペッペルマンが、強王アウグスト1世の
命によって狩猟用の宮殿として建てたのだ
そうです。。
湖に突き出た道を進むと
宮殿の入口になります。
入路から宮殿の入口まで階段が無く、
ずっとスロープになっているのは馬車が
玄関まで横付けできるように
なっています。
玄関から入路を眺めています。

森の中の宮殿です。
宮殿の後ろ寄りからの眺めです。
左の階段に靴が片方残されています。
シンデレラの物語でしょうか。

画面にポインターを置くと
片方の靴の画像をご覧頂けます。
この湖は城の周囲を掘り下げて造られた
人工の池で、1730年に造られたものだ
そうです。
宮殿後ろ寄りの湖畔では沢山の
鴨たちが遊んでいます。

これらのカモは自由に宮殿の庭を
かっ歩しています。

画面にポインターを置くと
鴨たちをご覧いただけます。
正面左斜めからの眺めです。

此の辺りが一番きれいに見えるような
気がします。

今回内部には入りませんでした。
なお、宮殿内は撮影禁止です。
モーリッツブルグを後にして、一路、
ドレスデンへと向かいます。
ドレスデン
ドレスデンはかつてドイツに約100年ほど存在した、ザクセン王国の都だった都市で、現在はザクセン州の
州都になっています。街を流れるエルベ川を境に、南側に旧市街、北側に新市街が広がっていて、
歴史的建造物は旧市街に集中しています。人口は55万人ほどで全国の12番目の都市になっています。
ドレスデンの旧市街の地図です。
エルベ川の南に多くの建物が
集まっています。

エルベ川の北側は新市街になります。

旧市街を徒歩で歩き回りました。
最初はゼンパーオペラからツヴィンガ-
宮殿、ドレスデン城、フラウエン(聖母)
教会などをガイド付の団体行動で
外観のみを見学しました。
後は、自由行動で、一人でうろつきました。

自由行動で見る主な建物は
説明なしでの見学となり、教会内部など
説明不足の部分が多いです。

正面はゼンパーオペラ(オペラ座)で、
一部が工事中で、ちょっと残念。

左手の銅像は「ヨハン王」の像です。

ツヴィンガー宮殿です。
正面入り口から入ると
宮殿の庭園に出ます。

見えている建物は絵画館
「アルテ・マイスター」です。


ツヴィンガー宮殿

宮殿の左手噴水の前にある建物は
チケット販売所と観光案内所が
入っている建物です。

画面にポインターを置くと
正面の画面をご覧頂けます。
ドレスデン城の前から眺める

右端はチケット売り場、左手は
宮殿の横側です。
その間にはオペラ座が見えています。
宮殿の横の門から出ると
今今風の街並に出会います。

今まで見てきた中世風の
建造物とはまるで違う世界です。

ドレスデンのトラムも走っています。
マイセンのお店もあります。

宮殿の向かいにあるドレスデン城です。
内部への入場も可能ですが、
今回は時間の関係でスキップしました。
ドレスデン城の側面です。

中ほどに入場門があります。
ドレスデン城の入場門の
ファサードです。
ドレスデン城に付属する
「シュタルホーフ(武芸場)」です。

右手の壁にはだまし絵の石垣が
続きます。
この左手の外の壁が「君子の行列」の
タイル画になっています。

画面にポインターを置くと
手前入口の傍に有る彫像を
ご覧いただけます。

「旧宮廷教会」です。
大聖堂と表記される場合もあります。

フリードリヒ・アウグスト2世が建てた
旧宮廷教会は屋根に78体の聖人像が
立ち、高さ約85mの鐘楼がそびえます。

画面にポインターを置くと
後ろ側から眺める教会画像も
ご覧いただけます。

宮廷教会内部
ドレスデン城の入口の一つで
「Georgenbau」と称されています。

手前の像はザクセン王初代の
フリードリヒ・アウグストの像です。





下図はブルールシェ・テラスから
眺めるエルベ川の景観です。

左の橋は「アウグスト橋」、
右の橋は「カール橋」です。
対岸は新市街です。
右手に見える建物は
州の首相府と財務省の建物です。

手前の船はエルベ川遊覧船です。
ドレスデン首相府です。
ドイツでは州自治が強く、各州の
州都には首相府が設けられ、
首相の来訪の折にはここで会議が
持たれるそうです。

州の財務省の建物です。


エルベ川に沿った旧市街の
建造物や公園は下記ボタンから
お入り頂けます。


エルベ川河畔風景

ドレスデン城の一部の壁に
各年代の君主の像が彫り込まれており、
「君主の行列」と称される壁です。

歴代のザクセン王が初代から35名
マイセンの磁器タイルで描かれています。

壁画の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

君主の行列

フラウエン教会です。

1726年~1743年の建造です。
エルベ川流域のランドマーク的教会で、
1945年の大空襲で破壊され、
瓦礫のまま50年近く放置されましたが、
石を可能な限り元に戻すという、
再建工事が行われ、2005年に工事が
終了したそうです。


空襲で破壊された一部を記念に
残してあり、古い石材が手に触れて
感触を確かめることもできます。

画面にポインターを置くと、
壁のはんたいがわをご覧頂けます。


フラウエン教会の全体像です。
正面から見ています。

左の像はルターの像です。
フラウエン教会はルター派の
教会です。


フラウエン(聖母)教会


正面は新マルクト広場から眺める
ドレスデン美術大学です。

「近代巨匠の画廊(Albertinum)」
です。
ドレスデン美術大学と並んで
立っている建物です。
入場は有料です。
ドレスデン美術大学です。
ドレスデン美術大学です。

後ろに見える青いドームが
美術大学の象徴のようです。
マルティン・ルターの銅像です。
ドレスデン聖十字架教会です。
ドレスデンの市庁舎です。
市庁舎の入口です。

市庁舎の前にあるベンチで
一休みしました。
ベンチに座っていたおじさんが
声をかけてきました。
ドイツ語で丸で判らなかったけど、
ブロークンな英語で話したら、
日本人と言う事は判ったようで、
最後に元気でなとバイバイしてました。

画面にポインターを置くと
おじさんの画像がご覧いただけます。
市庁舎の建物と中央塔です。

「アルトマルクト広場」です。
屋台が色々と出ています。
暑かったので、ソフトクリームを
買いました。


マルクト広場
ドレスデンを後にして、再び、
ケムニッツへと向かいます。
ケムニッツの街並です。
ケムニッツに戻りました。

「聖ヤコブ教会」です。

この教会の隣にあるレストランで
夕食です。

教会の後ろは市の庁舎なので、
このへんはケムニッツの中心地
なのでしょう。
時間なく、散策も無理でした。
「Wenzel Prager Bierstuben」と言う
ビアレストランでの夕食です。

前菜はレタスのサラダ。
飲み物はビアホールなので、
地場のビールにしました。

メインはポークチョップ風の豚肉で
ジャガイモとキャベツのピクルスの
付け合せ。

デザートはケーキのクリーム添えでした。
この日の泊も「ペンタホテル」です。
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