上田城跡公園
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上田城は千曲川のそばに建てられた平城で、1583年(天正11年)に真田幸昌の手によって造営されました。
この城は西に向かう徳川軍を二度にわたって食い止めた上田合戦で有名です。
このため関ヶ原の合戦の後、徳川側に徹底的に破壊され、堀までうめられてしまいました。
その後、上田に入った仙石氏の仙石忠政により上田城再建が進められ、本丸は櫓7棟、櫓門2棟を建造、
二の丸も櫓や櫓門の再建予定でしたが、忠政の急死により中断されています。
明治以降は廃城により西櫓と石垣以外の櫓などは民間に払い下げられ、櫓の一部は上田の遊郭の建物として
移築されていました。
昭和になってこれらの櫓など一部が市民の運動で買い戻され、北櫓、南櫓が移築復元されました。
1959年(昭和34年)に長野県の県宝に指定されました。
1994年(平成6年)には古写真を基に東虎口櫓門と袖塀が復元されています。
上田城の敷地には現在市民会館や市民体育館などがあり、上田城址公園として利用されています。

公園にあった案内板です。

今回は掘割の内側(南側)
のみを歩きました。

バス駐車場からケヤキ並木を
通り、二の丸橋から櫓門を経て
真田神社〜西櫓へと抜けました。

4月下旬で桜は満開でした。
バス駐車場から見る
上田城跡の南側全景です。

右手に南櫓と東虎口櫓門、北櫓
が見えます。

左は西櫓です。この西櫓は
江戸時代から残されている
建造物です。
二の丸橋はケヤキ並木の
通りの上に架かっています。

櫓門手前から見る掘割です。
東虎口櫓門です。
1994年の再建です。
古い写真から再現されたのだ
そうです。

門の向こうに見える鳥居は
真田神社の鳥居です。
櫓門の右手の石垣に
真田石と呼ばれる大きめの
石が組み込まれています。

真田信之が松代に移封された
ときに、この石を持っていこうと
しましたが、微動だにしなかった
と言う伝説があります。

この石垣は仙石忠政が
作ったものです。
真田神社の参道です。

画面にポインターを置くと
本殿がご覧いただけます。
真田神社の奥院です。

左手に見えるのは真田井戸
です。
この井戸は抜け穴があって
城北の太郎山麓の砦に
繋がっているそうで、
従い、敵に包囲されても
兵糧や兵員の運び込みが
出来たそうです。
本丸跡を抜けたところに
西櫓があります。

この櫓は明治の廃城後も
そのまま石垣とともに
遺されたそうです。

西櫓の全景です。
西櫓の西側にある階段を
降りるとここに出ます。
前に見える櫓は南櫓です。

駐車場のある広場です。
西櫓の前にある枝垂れ桜です。
まさに満開でした。
「流転の浅間大溶岩」と
名付けられた巨石は
1783年の浅間山大噴火の
際に東御市(上田市の隣町)
まで押し出されて来た溶岩だ
そうです。

昭和34年に上田駅前に
おかれたものを
平成14年の上田駅前再開発
のさいに上田城址公園に
移されたそうです。
まさに桜満開。

南櫓を見上げる桜です。





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