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2014年4月下旬に立山雪の大谷を見に行く途中で
上高地に立ち寄りました。

上田駅からバスで上信越自動車道、長野自動車道を経由して、
松本ICから上高地へ向かいました。

上高地では2時間半程度の滞在で、まだ雪が残っており、
大正池近辺と明神池には立ち寄れず、田代橋から梓川沿いに
河童橋までのハイキングとなりました。

天候には恵まれ、素晴らしい穂高連峰を満喫してきました。
往復とも上田駅経由で、帰途上田城にも立ち寄りました。

宿泊は奥飛騨温泉郷で飛騨高山、白川郷は岐阜県に掲載
しています。

また、立山・黒部は富山県に掲載しています。
上田駅まで長野新幹線に乗車。上田駅からバスで上高地へ向かいます。
長野自動車道の松本ICで高速を下り、上高地へ向かいます。途中では
千曲市、姨捨、稲核ダムなどを通ります。
上田駅です。これは北口側です。
在来線になります。
新幹線口は反対の南口です。

さすが真田家由来の土地だけに
六文銭の旗印が並びます。

銅像は真田幸村です。

画面にポインターを置くと
正面からの銅像をご覧
頂けます。
高速道から見るJR篠ノ井線
姨捨駅と千曲市です。
高速道「姨捨PA」からの
千曲川と千曲市、長野市の
眺望です。
左奥が長野市になります。
少しもやっていましたが、
快晴なら善光寺本堂も
見えるそうです。

高速道が松本へ入る前に
梓川を渡ります。

梓川から見る北アルプス連峰です。
松本市から野麦街道を
西へ向かうと途中に
稲核(いねこき)ダムがあります。

梓川に造られたダムのうち
下流側になります。上流には
水殿ダムがあります。
画面にポインターを置くと
水殿ダムをご覧いただけます。
上高地は大正池から古池の間がその範囲となります。

上高地はその自然の景観と学術上の価値から昭和27年に
特別名勝・天然記念物に指定されています。

通常は大正池から明神池まで歩くのが標準的ルートですが、
今回は4月下旬とは言え雪が深く、整備された田代橋から
河童橋まで歩くことになりました。通常は20分程度で歩ける
距離ですが、ゆっくりと歩き、河童橋傍の「五千尺ホテル」で
チーズケーキとお茶を楽しみました。

恐らく夏場は人で溢れかえる場所だろうと思います。今回は
台湾などのツアー客以外日本人をほとんど見ませんでした。

上高地の入り口大正池です。

ここからは正面に穂高連峰と
左手に焼岳が見られます。

車窓からの撮影で有名な
立ち枯れの木々は撮れません
でした。
上高地帝国ホテルです。

バスの場合は大正池ホテルと
帝国ホテルが下車できる場所
です。

それ以外はバスターミナルまで
行かないと下車できません。

ホテルの赤い屋根と穂高連峰の
雪の白さが大変マッチして
いました。
田代橋からの穂高連峰の
眺めです。明神岳(2931m)
の向こうに前穂高岳(3090m)
が見えています。

手前を流れるのは梓川です。
左の橋は田代橋、右は穂高橋
正面の山は焼岳(2444m)です。

焼岳は噴煙を出しています。
穂高橋から河童橋へ向かう
歩道から見た中央穂高連峰、
右の左から六百山(2450m)、
その右三本槍と霞沢岳です。
英国の宣教師ウォルター・
ウェストンがその著書で
上高地の素晴らしさを世界に
知らしめたことから、ここに
彼のレリーフが飾られています。

画面にポインターを置くと
ウェストン広場をご覧
頂けます。
ウェストンの碑の前から
眺める六百山と三本槍です。

芽吹き始めた木々の赤と
雪の白と空の青さが
素晴らしい景観を醸し出して
いました。
穂高橋と河童橋の中間あたりの
道路から眺める焼岳です。
梓川に架かる河童橋と
五千尺ホテルです。

河童橋から眺める穂高連峰です。

左端に西穂高(2909m)、
天狗岩と畳岩が続いて
中央奥に奥穂高(3190m)、
右に前穂高、右手前に明神岳が
眺望できます。

五千尺ホテルの入り口です。

五千尺ホテルの看板は
上高地ではなく神河内と
表記されています。
明神地区は神河内と
呼ばれていたそうですが、現在
この名前を使っているのは
この五千尺ホテルだけだそうです。
チーズケーキがこのホテルの
有名なスイーツだそうです。

家内と二種類を分けて食べました。
なかなか美味しいケーキでした。

休日や夏場は行列が出来る
そうですが、この日はすんなり
入れました。

画面にポインターを置くと
レストランの内部をご覧
頂けます。
梓川に架かる河童橋と
穂高連峰です。
この角度からは西穂高(左奥)も
しっかり見えます。
この日は台湾からの観光客が
多くて、写っている人たちは
全て台湾人でした。

概ね12〜14日間で日本を
回るようです。
普段雪を見ない(新高山には
雪が降りますが)台湾の人達は
大喜びのようでした。
上高地から奥飛騨へ向かう
途中にあった塚原卜伝の湯
です。
洞窟の温泉になっていて
一人しか入れないそうです。
駐車場もなく訪れるのは
大変なようです。
上田城址はJR上田駅から徒歩5分くらいの所にあります。1583年武田氏旧臣真田昌幸により
築城されました。関ヶ原の戦いで西軍に味方した真田昌幸は敗れ、上田城は徳川家により破壊され
堀も埋められてしまいました。真田氏が松代に転封された後、仙石氏がこれを継ぎ、城の再建も行いました。
然しながら仙石忠政の逝去により建設は中断され、その後幾つかの櫓などは別の場所に移設され、西櫓と
城壁のみが遺されていました。昭和に入り民間に渡っていた南櫓、北櫓と櫓門が元に戻され、現状となりました。
上田城の西櫓です。

この城址の中で当初から
遺されている建物と石垣です。
南櫓と奥に北櫓です。
明治の廃城により一時
この櫓は遊郭の建物として
移設されていました。
昭和になって元の位置に
戻されています。

間にあるのは東虎口櫓門で
これは平成になって古い写真に
基づき復元されたものです。
城の東側にあるケヤキ並木です。
歩道は元は鉄道が敷設されて
いたところです。

奥に見える石橋は二の丸橋です。

画面にポインターを置くと
石橋からケヤキ並木の画面を
ご覧いただけます。
二の丸跡から見る南櫓と
東虎口櫓門です。
これらの石垣の下は堀が
巡らされています。
同じく北櫓です。
櫓門を入ると上田神社があり、
神社の奥にある真田井戸です。

この井戸は城北の太郎山麓の
砦に繋がる抜け穴があり、
敵に城が包囲されても外から
兵糧や兵員を入れることが
出来たそうです。
西櫓です。季節柄鯉のぼりが
飾られていました。
訪問は4月26日でした。

西側の掘割です。
桜並木ですが葉桜に
なり始めていました。

上田城跡の詳細は
下記ボタンからお入り
頂けます。


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