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岐阜県は海なし県ですが、日本の人口の重心点が岐阜県にあります。 岐阜と言えば提灯、鵜飼、小京都高山、白川村合掌造り、下呂温泉、恵那峡 などなど、自然の豊かさを感じます。 浪人時代には岐阜市内の親せき宅に居候し、家内と最初のデート場所が 岐阜城と、結構かかわりが多いところですが、旅先としては今回香嵐渓の帰りに 立ち寄ったのが最初です。 なかなか訪れる機会がないのですが、県北地域をゆっくり歩いてみたいと 思っています。 ところで、今回恵那峡から千葉へ戻る途中で中央高速道を経由し、笹子トンネルを 通って帰りましたが、翌日笹子トンネルの天井が落下するという大事故がありました。 半日早く事故が起こっていたらと考えるだけで恐ろしくなります。 世の中何が起こるかわからないなぁと感じた次第。ちょっと余談でした。 2015年5月に兄の法要の後、岐阜で一泊しました。岐阜は浪人時代に過ごした 場所でもあり、懐かしい思いで走りました。 2018年2月に富山から高山市に入りました。 |
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岐阜市は岐阜県の中南部に位置する県庁所在地です。市の地域には旧稲葉郡、山県郡、本巣郡、羽島郡が 含まれています。 戦国時代には金華山の麓の旧岐阜町が斉藤道三や織田信長の城下町として栄え、江戸時代には南部の 旧加納町が中山道の宿場町として、又加納藩の城下町として栄えました。 |
岐阜市では長良川温泉の岐阜グランドホテルに 泊りました。 長良川の傍に有るホテルで目の前に 金華山と岐阜城を見ることが出来ます。 泊まった部屋が裏側の為、金華山が 見えませんでしたが、岐阜市の 北西部を見渡すことが出来ました。 下の写真は部屋の窓からの岐阜市街の 眺望です。 |
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恵那峡は中津川市にある木曽川の大井ダム周辺の景観を称しています。大井ダムは日本最初の 水力発電ダムとして大正13年に建設されました。現在も8万キロワットの発電能力があります。 恵那峡県立自然公園になっています。ダムを意識させるものが少なく、自然のままの景観を 感じさせてくれます。流れの両側は巨岩、奇岩が並んでいます。 |
恵那峡のシンボル恵那峡大橋です。 上流側からダム方面を見ています。 殆どダムが見えません。 恵那峡ではジェット船での観光になります。 従い、立ち上がることはできず、座席から 窓越しの眺めとなります。 写真撮影には不向きでした。 |
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ダム側から上流方面を眺めています。 橋の左手には恵那峡ランドがありましたが、 2000年に閉鎖し、現在は恵那峡ワンダーランド として季節の良い時期のみ遊園地として 開業しているようです。 |
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船着き場からさざ波公園を眺めています。 | |
屏風岩です。 | |
品の字岩です。 岩が重なって空間ができ 品の字状態になっています。 |
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双子岩です。 判りやすいネーミングです。 |
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両側にはこのような奇岩の行列が 続きます。 |
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この岩の説明もありましたが、 なんだったっけ〜。 |
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初冬の日差しを浴びた水面は 色あざやかに映え、波間に虹も 出ていました。 |
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恵那峡から明知鉄道で約30分極楽駅(岩村駅が次ですが、極楽へ行くために途中下車)から 岩村城下町へ行きました。岩村城は日本3大山城の一つで海抜717mに築城されています。 現在は城跡のみでと言うことで、今回は城下町を回ってきました。 |
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益田川の川沿いに並ぶ温泉街です。下呂と言う名前は昭和以降になってからの呼称ですが、 温泉は13世紀頃から存在していました。 |
益田川の両岸に温泉宿がならんでいます。 | |
上の写真の対岸です。 | |
温泉街を上から眺めています。 | |
下呂温泉から舞台峠へ向かう途中の 景観です。 この道は恵那市に続いています。 |
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舞台峠にある休憩所です。 この峠は海抜693mです。 舞台峠とは鎌倉幕府の二代目将軍頼家が この辺りに能舞台を作り 都の白拍子を集めて能を催したことから 名付けられたとの事です。 写真は飛騨名物の「さるぼぼ」です。 |
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