松代
 長野  志賀高原
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松代は群発地震でその名が日本中の人に知られるようになりましたが、
もう一つ、真田家の本拠であったことでも有名です。
松代城は元海津城と呼ばれ武田信玄の出城で、山本勘助の手により
構築されましたが、徳川時代になり、1662年真田信之が上田から
この地に移り、以後10代にわたり真田家10万石の居城となりました。
又、徳川末期に公武合体派の開国論者佐久間象山も松代の出身で、
象山神社や象山記念館などもあります。
小さな城下町の雰囲気を残そうとする街づくりによりその街並みは
なかなか美しい景観を持っています。

  松代城址

元の城は廃城され
た後、石垣のみが
残っていたのを、
1995年以降、再
建され現在の状態
になったものです。

当初は海津城と
呼ばれ、真田10
万石の居城となり
松代城と呼ばれる
ようになりました。

規模は城と言うよ
り大きな大名屋敷
といった風情です。
 左上は太鼓門と前橋、右上は太鼓門全景、左下は北不明門入口とその右は北不明門
 
松代市内 市内には真田家由来の真田邸、真田宝物館、文武学校などがあり、
また、佐久間象山を祭神とする象山神社、松代三山(佐久間象山、鎌原桐山、
山寺常山)と言われた常山の邸跡などがあります。また、街中には昔の雰囲気を残した
場所も作られています。
 真田邸とその庭園 建物は現在修復中で見ることができません。庭と倉だけが見られます。
 真田邸は松代城の附(つけたり)として昭和58年に国の史跡指定を受けています。
 
 左は真田邸の塀と倉の一部、右は白井家の長屋門(移築されたもの)
 文武学校の校舎。藩の武士の子弟が修学していた。 右は剣道場、弓道場などの建物(一部復元)
 旧横田家住宅 横田家は松代藩真田家の家臣で150石の扶持
 山寺常山邸 山寺家は松代藩160石の中級武士 右はその庭園
 象山神社 祭神は佐久間象山、昭和13年の創建。右は象山が幽閉されていたときに住んだ高義亭
 市内を流れる神田川沿いの街並み 白壁が何とも美しい。左は象山神社のそば、右は常山邸近辺
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