高井鴻山記念館

高井鴻山は1806年生れ、15歳から京都や江戸に約15年間遊学し
父の死後高井家の当主として小布施に戻り、家業を継ぐ傍ら、
学問思想に情熱を注ぎ、佐久間象山らの思想家、文人との交流を深め、
巨万の財を幕末の変革に惜しみなく使ったそうです。
また、葛飾北斎などを小布施に招き、当地を文化の香り高い地に育み
飢饉には困窮者の救済に当たるなど慈善家の家風も引き継いだようです。
高井家は豪農商として飯山藩や京都・九条家のご用達を務めて
いたようです。
現在、高井家は記念館として一般公開されています。

高井家の文庫蔵が現在第一展示室として利用されています。
展示室の内部です。
文庫蔵からそのまま攸(文の中に羽)然楼に通じています。ここは鴻山の
書斎兼サロンで当時の思想家との交流から、家の中には一旦事があった
場合にすぐに脱出できるような仕組みが作られています。
これは二階の押し入れから脱出できるような抜け穴になっています。
攸然楼の二階の書斎です。
鴻山が好んで描いた妖怪の絵が掛けられています。
攸然楼の二階から穀物蔵の方向を望んでいます。
攸然楼の全景です。右の廊下の一部が持ち上げられていますが、これも
有事の際の脱出口となっています。
碧漪軒(へきいけん)です。ここは北斎のアトリエになっていました。
ポインターを置くと内部がご覧いただけます。老人の絵は北斎です。
穀物蔵に展示されている鴻山の絵「象と唐人図」です。
同じく 「花鳥図」です。