白川郷荻町合掌造り集落
 元のページに戻る

岐阜県大野郡白川村にある荻町合掌造り集落は隣の富山県南砺市五箇山の合掌造り集落とともに世界遺産に
登録されています。
合掌造りとは手を合わせたような三角屋根の姿から名付けられた家の作りで、横から見ると平屋の如く窓は一階にしか
ありませんが、正面から見ると3階または4階建になっているのが判ります。
この屋根の形状は積雪の際の雪下ろしに便なるように、また雨季の雨には水はけを考慮されているそうです。
扠首(さす)構造(トラス構造)の木組は芯柱の必要がなく、屋根の下を広く取ることが出来、この地域の養蚕業には非常に
適していた様です。
この茅葺屋根は30〜40年に一度取り替えが行われ、部分的な修理は毎年1〜2度は行われているそうです。
この大変さから一部の家屋はトタン屋根に変えられているところもありましたが、世界遺産になってからは保存されるように
なっているようです。

2014年4月24日に飛騨高山から白川郷を訪れました。滞在時間が約1時間と限られた中で神田家と和田家(国の重文)の
2軒の内部を見学しました。このため、周辺部をゆっくりと歩くことが出来なかったのは残念ですが、好天の下、日本人の知恵を
しっかりと確かめることが出来ました。

右の合掌造りの家は明善寺の庫裏です。
中二階があり、6層5階建となっています。
この建物は荻町で最大級のものです。

その左は寺の本堂になります。

現在の庫裏は江戸時代末期に建てられた
もので高さ15m、建築面積100坪、
萱面積108坪、白川郷を代表する合掌造
建築で県指定重文に指定されています

左手の合掌造りは神田家です。

現在の主屋は江戸時代後期に10年の
歳月をかけて建てられたもので
木造4階建(中2階を含めると5層)、
合掌造、茅葺、1階は居住空間、中2階は
長男以外の子供や使用人達が
寝室として使う大部屋になっています。。
又、中2階直下に囲炉裏を設けて上から
火の管理が出来るように火見窓が
設置されています。、2・3階は養蚕の
作業場、4階は物置になっていました。
1階の居間です。
真ん中に囲炉裏が設けられ、
左手中二階には覗き窓があり、
夜間に囲炉裏の火の管理が出来る
様になっています。

天井の梁には根曲り材が強度を
保つ為に使われています。

神田家では床下で火薬の原料である
硝煙作りが行われていたそうで、現金
収入の源になっていたようです。




二階は元は養蚕などに利用された
スペースなのでしょう。
現在は家財などのの展示スペースに
なっています。
3階は2階に比べて狭小ながら
柱がないので空間としては
けっこう大きなものになっています。

木組みは全て縄で結ばれています。
4階部分の構造です。
覗くだけで、出入りは禁止になっています。
建物の構造がこの部分でほぼ全体の
様子を知ることができます。
釘などは一切使われず、縄で結ばれて
います。

画面にポインターを置くと
3階部分の構造をご覧いただけます。
1階部分のお座敷です。
神田家3階から見た荻町の眺めです。
けっこうスレート葺の屋根も多いです。

和田家住宅の入り口にある合掌造りです。
この左手に和田家があります。
手前は蓮池になっていました。
展望台から望遠でとらえた和田家住宅
です。
左手に土蔵があり、右手には茅葺の
便所があります。

和田家は室町時代末期(天正元年:
1573年)にこの地に土着した上層農家で、
名主や番所役人を歴任し苗字帯刀を
許された家柄です。
神田家同様火薬用の硝煙も作って
いたそうです。

内部は一般に開放されており、国の
重文に指定されています。
荻町の合掌造りでは和田家住宅のみが
国の重要文化財です。

和田家の現在の主屋は江戸時代中期に
建てられたと推定される建物で、
桁行12間(22.3m)、梁間7間(12.8m)、木造4階建中二階含め5層(1階は居住
空間2階より上部は養蚕で利用)、茅葺、
正面には式台付きの玄関があり格式の
高い家であったと思われます。
和田家住宅は現在白川郷に残る上層
合掌造り農家建築の中でも最大級の
規模で質も高いことから平成7年(1995)に国指定重要文化財に指定されています。

ここは1階のお座敷です。
1階の居住部分です。
2階は現在は展示場として利用
されていますが、元は養蚕に使われた
ところです。
中二階があり、物置になっていますが
神田家同様、使用人の寝室であったと
思われます。
3階部分は養蚕に利用されていた
場所です。
神田家同様木組みを縄で締めています。
4階部分は神田家の4階より
幅も高さもありました。
裏手から見た和田家です。
5層になっているのがよく判ります。
合掌造りの茅葺屋根と板葺屋根と
スレート葺屋根の家が見られました。
桜の花にはやはり合掌造りが似合う
ようです。
家屋のみならずそれぞれの住宅の
庭も丹精込められていました。
季節ごとに違った風景が見られそうです。
右手の家には「地酒、おみやげ」の
看板が2階の窓の下に架かって
いました。
民宿やカフェショップになっている
合掌造りの家も結構ありました。
                                               元のページに戻る