八幡宮・屋台館・日光館
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高山市街区の中心に伝統的建造物保存地区があります。上之町、下之町夫々に指定地区があり、古い街並が
続いています。その旧市街地区の北寄りに櫻山八幡宮、高山屋台会館、櫻山日光館が並んでいます。
櫻山八幡宮は仁徳天皇の御代(377年頃)、飛騨山中に凶族が天皇に背いて猛威を振るっていたため、征討将軍の勅命を
受けた難波根子武振熊命(なにわのねこたけふるくまのみこと)が官軍を率いて飛騨に入りました(日本書紀)。
武振熊命が、当時の先帝応神天皇の御尊霊を奉祀し、戦勝祈願をこの桜山の神域で行ったのが創祀と伝えられています。
高山祭屋台会館は春・秋の年2回行われる高山祭の際に街を練る屋台を展示する常設館として作られたものです。
実物の屋台が展示されています。これらの屋台は国の重要文化財に指定されています。
日光館は高山城主金森氏をはじめ、代々の郡代、代官と、徳川家ならびに日光東照宮との深い縁と、名工左甚五郎出生の
地と言い伝えられる飛騨高山の地に、日光東照宮超精巧模型が保存展示されるために、屋台会館附設「桜山日光館」が
開館しています。館内には実物の十分の一の精巧な模型が展示されており、この模型は長年アメリカ各地で展示されたのだそうです。
櫻山八幡宮
櫻山八幡宮は高山市街の東北地区にあります。秋の高山祭が八幡宮の例祭になります。
1875年(明治8)の大火で末社秋葉神宮を除きすべて焼失しましたが、1900年(明治33)には
境内の復興がなされています。
櫻山八幡宮の一の鳥居です。

桧製の明神型大鳥居で
高さは10m、幅12.2mです。

鳥居は1973年(昭和48)10月
に完成したものです。

奥の石製の鳥居は二の鳥居です。
拝殿です。
拝殿を斜め方向から
眺めています。
櫻山参集殿(社務所)です。

1990年(昭和55)完成の
参集殿は社務所のほか、
結婚披露宴、会議などに
利用されているそうです。
境内にある「照前神社」です。
高山祭屋台会館
屋台会館は1968年(昭和43)に開館された、高山祭の屋台の実物展示館です。
屋台11台の内の4台と大神輿が展示されています。
展示はガラス張りの部屋内にされていて、ガラスの外からの見学となります。
屋台館に入ってすぐの
場所からの全体の眺めです。

手前左に大神輿が展示
されています。

11基の屋台は年に3回順番に
4基づつ変更されます。
今回の展示は仙人臺、行神臺、
鳳凰臺、金鳳臺の4基です。

左:行神臺、右:仙人臺です。

台の上には行神臺のように
からくり人形の飾られている
屋台も多々あります。

これらの人形の動きは
獅子会館のからくり館で
見られるそうですが、時間なく
見ることはできませんでした。
左の写真の左手は金鳳臺、
右手は鳳凰臺です。

右の写真は11基すべての
図面が展示されていました。

夫々に特徴のある屋台です。
大神輿です。

文政年間に創造された前神輿が、
1875年(明治8)に大火のため
焼失して、明治21年から5ヶ年
かかって再建されました。
八角形の雄大な形態と壮厳な
美しさを誇り優美な装飾は、
日本一と称され、重さ約二トン半
の大神輿です。
二階の見学廊下からの
眺めです。

左手前が大神輿、
屋台手前から行神臺、仙人臺
鳳凰臺、金鳳臺です。

右手前には獅子頭が置かれて
います。

右手の濱島臺、大正臺などは
屋台はありませんが、小さな
台車を引いて組として
高山祭に参加するそうです。
櫻山日光館
日光館に展示されている日光東照宮模型は、大正時代に、当代の左甚五郎とも言われた長谷川喜十郎をはじめ
三十三人の技術者によって、十五年間の歳月をかけて製作されました。実物の十分の一で、陽明門をはじめ、
本殿、拝殿、五重塔など二十八の建物と、鳥居などの附属物をすべて再現しています。
日光東照宮の模型が
なぜ高山に有るのかと言う
説明がされています。

高山では江戸時代から年貢米
の代わりに、匠を供出していた
そうです。

左甚五郎の古里とも言われ、
匠の技を数多く残す里の印が
この櫻山日光館に凝縮されて
いるようです。
日光五重塔の十分の一模型です。

奥には東照宮ゆかりの建物が
並んでいます。
東照宮ゆかりの建物群が
展示されています。
陽明門は正面奥になります。
こちらが巨人に成ったかのような
雰囲気の会館です。
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