秋山兄弟生家
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秋山好古(よしふる)、秋山真之(さねゆき)兄弟は伊予松山藩士・秋山久敬の
三男、五男としてこの地に生まれています。

好古は一旦教職に就きましたが、陸軍士官学校騎兵科に転じ、
日本騎兵隊育ての親となりました。日露戦争ではロシアのコザック騎兵隊を
撃退しています。退役後は北予中学の校長に就任しました。

真之は知力、体力に優れ、海軍兵学校を首席で卒業し、日露戦争では
聯合艦隊先任参謀となり、日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅し、
日本の危機を救いました。
かれの日本海戦での「天気晴朗なれど波たかし」の言葉は有名です。
正岡子規とは松山中学の同級で、親友でした。

秋山家は天保年間から現在地に有ったそうですが、昭和20年の空襲で焼失、
現在の生家は秋山家の子孫からの聞き取りなどで、復元されたものです。

現在生家を管理している「常磐同郷会」は久松家によって創設され、好古が監督を
務めた「常磐会寄宿舎」と真之らが作った「松山同郷会」の流れを汲んでいます。
復元された生家です。

文献では「家は質素な茅葺屋根で僅かに数室
あるにすぎぬ」「生家は低い平屋で玄関の庭は
暗くはあるが、広く板戸が有った」と記されており、
図面は残されていません。

古い写真や聞き取りから部屋4つと玄関、土間を
昔からあった構造に近い形で復元されています。

開館は午前10時からと言う事でしたが、
係の人が10時前に開けてくれ、内部の説明も
してくれました。

前庭にある好古の銅像です。

道後公園に有った銅像は戦前に供出され、
銅像は無くなっていましたが、レプリカの一つが
県立松山北高等学校(旧北予中学)に
保存されていたので、原作者の子孫の監修も
受けて昔通りの大きさの銅像が出来た
とのことです。

好古の視線は左手にある弟真之の銅像の目と
合うように立てられているのだそうです。
弟を見やる兄の眼だそうです。
秋山真之の銅像です。
2005年(平成17)に復元されています。
玄関を入った土間からの室内の眺めです。
奥が座敷になっています。

手前の甲冑は「玄関入った所に甲冑が有った」
との子孫の記憶から置かれているもので、
秋山家とは特段の関わりがないとの事です。
台所から室内を眺めています。
北側の庭から室内を眺めています。
奥が座敷になります。
真之の銅像が少し見えています。

額の字は真之の書で「熟慮断行」と
書かれています。
裏庭の様子です。
1937年(昭和12)に財界人有志により
作られた「秋山両将遺邸保存会」の碑です。

碑文には「秋山好古、真之両将軍の旧邸は
天保年間父久敬翁がこの地に建立したと
伝えられる。兄弟はこの質素な家に生まれ育ち、
好古将軍は退役後ここに住み、北予中学の校長
として子弟の教育に尽くした。兄弟とは
ゆかりの深い、久松定謨、山下亀三郎、
新田長次郎らが資金を集め、この旧邸の管理を
常盤同郷会に委嘱した。両将軍の功績は
あらためて記す必要のないほど偉大で、誰もが
知るところである」と書かれているようです。
(そばに説明板が有ります)。

秋山兄弟産湯の井戸と記されています。

井戸の場所は江戸時代からここに有った
そうです。
隣地には常磐同郷会があります。
武道場になっています。
秋山兄弟生家をここが管理しています。
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