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「えひめ」の地名は、古くは古事記の伊弉諾(いざなぎ)と伊弉弥(いざなみ)による国生みの段に、 「伊予国は愛比売と謂ひ」と書かれており、のちに「愛比売」が「愛媛」へと転化したものと言われています。 四国の西北を占める県です。 |
愛媛県は律令制時代の「伊予の国」に相当します。四国の西北部分です。 地域的には東予地区(新居浜市、今治市など)、中予地区(松山市、伊予市など) 南予地区(宇和島市、八幡浜市など)に区分されています。 江戸時代には伊予八藩(松山藩、西条藩、小松藩、今治藩、大洲藩、新谷藩、 宇和島藩、吉田藩)がこの地域を支配していました。1871年の廃藩置県の際には 各藩が県となりましたが、その後、前4藩が松山県、後ろ4藩が宇和島県となり、 さらに、1876年に香川県と合わせて愛媛県となり、1888年に香川県が分離され、 現在の愛媛県となりました。 2000年には松山市が中核市に昇格となり、市の人口(約52万人)は愛媛県人口の 1/3を占め、四国ではトップの都市となっています。 産業構造は東予地区は第二次産業の製造業が多く、中予は松山市を中心に 政治経済商業等三次産業が中心であり、南予は柑橘類の栽培、養殖漁業の 第一次産業が主体となっています。 今回2015年12月に松山市を訪れ、道後温泉を中心に2泊3日で松山市内を 回ってきました。 |
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松山市は人口約52万人の四国第一の都市で、愛媛県の県庁所在地です。正岡子規や秋山兄弟を輩出したことで 有名ですが、市内にある道後温泉は日本最古の温泉としても有名です。一時期、夏目漱石が教師として滞在し、その後、 小説「坊ちゃん」を著わし、松山市と道後温泉が日本中に知られることになりました。 |
羽田発15:20のJL便が名古屋上空では 夕日が海に映るのが見えました。 太陽と海の間に雲があるのに、海面に 太陽が映るという不思議な現象でした。 |
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瀬戸内海の上空から見ると、 手前「大三島」から左「伯方島」へ しまなみ海道が続いています。 右上は「大島」です。 |
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しまなみ海道の今治側です。 左端は大島、右寄り少し大きい島は 「馬島」です。 右の市街地は今治市です。 |
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瀬戸内海上空から眺める松山市街と 「興居島」です。12月の16時45分では 見通しが利きませんでした。 |
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松山空港です。 空港の歴史は1943年に始まります。 当初は海軍の吉田浜飛行場で1952年に 駐留軍からの接収解除を受けて民間空港と して利用が始まりました。 1991年に現在のターミナルとなり、 滑走路も2,500mに延長されています。 |
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空港からリムジンバスで道後温泉に 直行できます。約40分です。 到着時の道後温泉駅の景観です。 正面は道後温泉商店街、右に少し 放生園のからくり時計が見えています、 |
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道後温泉本館の夜景です。 1894年(明治27)に建てられました。 道後温泉の浴場は元々この本館のみで、 宿泊客は皆、ここへ入りに来ていました。 1953年(昭和31)に各旅館に内湯が出来、 本館に有った皇室専用の浴室は湯が 止められました。 道後温泉の歴史は3千年と言われ、 日本三古湯の一つと言われています。 |
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本館の北側の眺めです。 一階は浴室、二階、三階は 休憩室になっています。 二階と三階では料金が異なり、 三階は個室になっています。 但し、浴室は同じ浴室を利用します。 |
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朝の光を浴びる本館の全景です。 正面緑の屋根の部分は皇族用の棟で 1957年(昭和31)までは一般客は 入れませんでした。 正面の入口は皇族の従者の出入り口、 右寄りの門は皇族専用の出入り口です。 皇族の出入り口と言う事で東向きになっています。 道後温泉本館内部は撮影禁止になって いますが、本館詳細は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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泊ったホテルの横が湯神社になっています。 道後温泉本館からもすぐの場所に有ります。 当初は松山城へ行く予定でしたが、 雨模様で予定変更し、先に道後温泉 周辺部を散策することにしました。 画面にポインターを置くと本館前からの 参道をご覧いただけます。 |
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湯神社の本殿です。 湯神社は景行天皇の時代に道後の鷺谷に 創建されています。 鷺が痛めた足を温泉に浸して治療していたと される場所で、道後温泉発見の起源地です。 現社地の冠山(出雲崗)には出雲崗神社が 鎮座していましたが、河野通直により地震で 壊れた湯神社は出雲崗神社に合祀 されました。 1871年(明治4)、湯神社に出雲崗神社を 合祀する現在の形式となりました。 |
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中嶋神社拝殿です。 1957年(昭和32)、四国四県の製菓業者に よって、兵庫県豊岡市にある、製菓・柑橘の 祖神である中島神社の御分霊を迎えて、 四国分社として創建された神社です。 湯神社の境内に有ります。 |
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伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)です。 別称として「湯月八幡」・「道後八幡」とも 呼ばれています。 仲哀天皇と神功皇后が来湯した際の 行宮跡に創建されたと言われています。 道後山の山腹に有ります。参道の石段は 132段あり、年寄りにはキツイ階段です。 戻りは右手にある駐車場へ向かう道路を 利用しました。 |
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楼門です。国指定の重要文化財です。 門は唐破風になっています。 |
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左手の社殿は全国に3例しかない八幡造に なっています。重要文化財です。 画面にポインターを置くと拝殿内部を ご覧いただけます。 |
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奉納額で左は文政12年の記載が有ります。 右は算額で江戸時代から明治時代の物が 多く残されています。全部で22額あり算額の 奉納数では日本一です。 現在展示されている算額は写真資料のみで、 この実物算額は平成に復元奉納された ものです。元額は文政6年の物です。 |
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松山市立子規記念博物館です。 当館には6万点近くの子規関係の 収蔵資料があります。近代俳句、 近代短歌をはじめ近代文学を紐解く 貴重な資料の数々です。 幻と呼ばれた子規自筆の選句集 「なじみ集」、歌稿「竹乃里歌」、 随筆原稿「病牀六尺」の一部などが あります。また、常設展示場には、 子規と親友の夏目漱石が50日余りを共に 暮らした愚陀佛庵の1階部分が復元展示 されています。 |
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館内は撮影禁止になっています。 ロビーに入るエントランス部分です。 子規の銅像が置かれています。 |
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子規が漱石と同居していた愚陀仏庵です。 愚陀仏庵は県庁傍の山に有りましたが、 崖崩れで崩壊しました。 その一階部分を復元したものです。 館内ではここだけが撮影可となっています。 画面にポインターを置くと 部屋の様子をご覧いただけます。 |
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子規記念博物館に隣接する 湯築城(ゆつきじょう)跡です。 画面は案内書からの借用です。 この城は伊予の国の守護であった 河野氏が南北朝から戦国期の250年間に わたって居城としていました。 湯築城は中世の城郭で、石垣や天守がなく、 地形を利用した平山城です。 14世紀は中央の丘陵部を利用した山城でしたが、 16世紀には外堀を作り、二重の堀と土塁を 巡らせた平山城になったと推定されています。 丸数字は以下の写真の撮影場所です。 |
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北口を入った所になります。@ 内堀の様子です。 左右の木に花が咲いたようなのは 子供たちが袋に絵をかいて結びつけた 物です。画面にポインターを置くと その様子がご覧いただけます。 |
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北口から入ってすぐの所にある 「石造湯釜」ですA。通称は湯釜薬師と 呼ばれているそうです。 湯釜の宝珠には一遍上人が 「南無阿弥陀仏」と書いたとされています。 県指定の文化財です。 |
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一部は内堀を利用した公園になっています。B | |
内堀の東側の一部にこのような 大岩を利用した土塁が見られます。C |
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武家屋敷TDと武家屋敷UEです。 佐倉の武家屋敷に比べるとちょっと見劣り しますが、資料に基づき当時の工法で 復元されています。 月曜日が休館日で内部参観は出来ません でしたが、翌日ちょっと中だけ見てみました。 大した内容はありませんでしたが、 Dの画面にポインターを置くと内部の様子が ご覧いただけます。 |
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内堀土塁の様子が判ります。F | |
松山市内を走る伊予鉄道市内線の 道後温泉駅です。 1911年(明治44)に建てられた駅舎を 1986年(昭和61)に再建したものです。 |
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駅前にある「放生園」です。からくり時計と 足湯が有ります。 からくり時計は8〜22時の毎定時に四段に せり上がり、漱石の「坊ちゃん」に登場する 人物の人形が出てきます。 道後温泉本館100周年を記念して 1994年(平成6)に作られました。 画面にポインターを置くと からくり人形の様子をご覧いただけます。 |
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放生園の南端には 野球をこよなく愛した正岡子規の銅像が 「生垣の 外は枯野や 球遊び」の句と ともに立っています。 子規は野球と言う名前の名付け親と言われ、 当初、自分の名前の「のぼる」から「野球 (のぼーる)」を自分の雅号にしていました。 ただし、ベースボールの訳語として「野球」を 本人が確認したことはないとも言われています。 野球は別にしても、子規は野球用語の日語訳を 数多く作っています。「打者」「走者」「直球」「四球」 などなど・・・ |
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駅前には「坊ちゃん列車」が展示されて います。この機関車は1号機関車の複製で 現在も市内を走っています。 煙は出ますが、動力はディーゼルです。 一日に何回か実際に走行しています。 別料金で、乗車することができます。 今回、時間が合わず乗れませんでした。 |
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市内を走っている電車です。ワンマンカーに なっています。料金は車内での支払いと なりますが、一日乗車券が有り、500円で 乗り放題です。800円で二日間もあります。 我々はこれを利用しました。 画面にポインターを置くと 電車内と走る街の様子をご覧頂けます。 |
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伊予電鉄松山市駅から少し歩いた ところにある正宗寺境内に[子規堂」が あります。 文学仲間であったお寺の住職が、 子規17歳で上京するまで住んでいた 家を1926年(大正15)に正岡家住宅の 古材を利用して境内に建てました。 1933年(昭和8)の火災で資料共々焼失、 その後、再建されるも、1945年(昭和20)の 松山大空襲で焼失し、現在の建物は 子規の妹律子の遺していた記録や 友人の柳原極堂氏の記憶に基づき、 1946年(昭和21)に再建されたものです。 正面が正宗寺本堂、左手の建物が子規堂です。 子規堂の詳細は下記ボタンからお入り頂けます。 |
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伊予鉄道の松山市駅高浜方面行きの ホームです。 電車は高浜行きです。 三つのホームが有り、横河原線、郡中線、 高浜線に分かれています。 |
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高浜線「梅津寺公園」駅で、新婚さんの 記念撮影会のハプニングが有りました。 駅員さんによれば、この駅では結構 このような場面があるそうです。 停まっている電車は我々が乗ってきた 電車で1分間ほどの停車中の出来事です。 親族の方々が同行されていて、スナップを 撮ったら、お礼を言われました。 |
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梅津寺(ばいしんじ)公園の入口です。 梅の花の開花時が良いそうですが、 係りの人が「機関車しかありませんが、 入場されますか?」と聞く通り、 梅と桜の木以外何もない公園でした。 唯一、本物の第1号機関車が展示されて います。 |
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漱石の「坊ちゃん」にも登場する、 ーマッチ箱のようなー汽車です。 1888年(明治21)にドイツから輸入され、 約70年間松山の平野を走り続けた 軽便鉄道機関車です。 国鉄時代の鉄道記念物に指定されて います。 |
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梅津寺温泉場の湯口です。 この公園内で保存されています。 道後温泉本館の湯口も似たような形を しています。 |
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梅津寺公園の南東にある丸山の麓に 秋山好古の銅像が、中腹に秋山真之の 銅像が建っています。 好古の銅像は昭和45年に再建され、 真之の銅像は元々石手寺境内に 有ったものが昭和43年にこの地へ 移転されました。 |
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二人の銅像が見つめる先にある 海岸風景です。 |
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JR松山駅です。 予讃線の駅で市の中心部からは少し 離れています。 1927年に営業開始し、現在の駅舎は 1953年建設されたものです。 駅前には伊予電の停留所が有ります。 |
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JR松山駅の近くに庚申庵が有ります。 栗田樗堂が俳友との交流を目的とし、 また、煎茶道に親しむ理想の庭園を持つ 庵室を作るため1800年(寛政12)に 建てた庵です。 内部含め詳細は下記ボタンからお入り 頂けます。 |
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松山市街の中心地となる 南堀端です。 松山城の外郭地区で 左手には愛媛県美術館もあります。 堀の正面に見えるのは市役所です。 堀の奥左手には県庁が有ります。 |
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愛媛県庁舎本館です。 1929年(昭和4)に完成しています。 左隣に県議会議場が有ります。1982年 (昭和57)の完成です。 |
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松山城です。 江戸時代に建てられた天守閣が残る 全国12城の一つです。 日本を代表する連立式天守を持っています。 中央にいる人形はお城のキャラ 「よしあきくん」です。松山城の 創設者加藤嘉明に因んでいます。 松山城の詳細は下記ボタンからお入り頂けます。 |
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松山城の傍に有る「萬翠荘(ばんすいそう)」 です。 1922年(大正11)に旧松山藩主久松定謨 (さだこと)の別邸として建てられたフランス式 洋館です。 萬翠荘の詳細は下記ボタンからお入り頂けます。 |
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司馬遼太郎の「坂の上の雲」をまとめた ミュージアムです。 詳細は下記ボタンからお入り頂けます。 |
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松山兄弟の生家です。 訪れた時間が早くて、未だ開館前でしたが、 係りの方が内部を見せてくれ、説明も してくれました。 詳細は下記ボタンからお入り頂けます。 |
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道後温泉の老舗、ふなやホテルの 庭園入口です。 このホテルは皇室が利用される宿で 昭和25年には昭和天皇が宿泊しています。 この時はまだ内湯がなく、天皇は本館で 入浴されたそうです。 |
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「ふなや」のロビーにある天皇宿泊の部屋です。 現物をそのままここに移したそうです。 昭和25年に昭和天皇が宿泊されています。 画面にポインターを置くと 内部をご覧いただけます。 |
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部屋の正面からの眺めです。 | |
宿泊したホテル「茶玻瑠」の傍に有る 圓満寺です。 大悲山 圓満寺は、812年(弘仁3)の 建立といわれる阿弥陀如来が本尊の 寺院です。 お参りしてから入浴するとご利益があると 言われています。 画面にポインターを置くと 本堂の様子をご覧頂けます。 |
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境内に湯の大地蔵という一丈ニ尺(3.67m)の 大きな白塗りの地蔵尊があります。 道後温泉に来た僧・行基が楠の大木に彫った ものと伝えられています。道後温泉の湯が 止まった時に、この地蔵に祈願して湯が 湧き上がったことから「湯の地蔵」、道後温泉に 浸かった後にお参りすると寿命が延びると されていることから「延命地蔵」、道後を火事から 守る「火除け地蔵」として、また「火除け」から 転じて「浮気封じ」・「夫婦円満」のお寺とされ 親しまれています。 画面にポインターを置くと 白塗りの地蔵尊をご覧いただけます。 |
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今回2泊したホテル「茶玻瑠」です。 食事もまずまず、温泉もなかなかの 宿でした。 何より、本館へは徒歩1分の場所で 結構便利でした。 下は初日の和懐石の夕食。 左:旬菜盛り合わせ(胡麻豆腐、帆立あえ物、 バイガイ) 左2:刺身(鯛、ハマチ、鮪)、 左3:冬野菜と白身魚の白ワイン煮、 (ローストビーフが有りましたが写真なし)、 左4:天ぷら(海老、ししとう、南瓜、甘藷) 右2:鯛めしと真薯のすまし汁 右:デザート(キウイ、焼きりんご) |
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左は2日目の夕食(バイキング) 結構種類が有りました。 右2:伊予牛カレー *松山ではカレーが有名なのか、あちこちで カレーの店が有りました。 |
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ホテルの屋上露天風呂です。 左は桶風呂です。右は岩風呂で 市内が一望できます。右端山の上の 明かりは松山城のライトアップです。 |
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