子規堂
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子規堂は伊予鉄道松山市駅の近くに有ります。

正岡子規が幼少のころに育った正岡家を移築したものです。
正宗寺境内にあり、お寺の社務所が受付になっています。

堂内は子規に関わる資料の展示が有ります。
また、中学時代に作ってもらった勉強部屋も復元されています。

子規堂です。

正岡家の菩提寺である正宗寺(しょうじゅうじ)
境内に建ち、子規が17歳まで暮らした家を
復元した記念堂です。
子規堂内には、子規の直筆原稿や遺墨・遺品
などを展示しており、筆まめで鋭敏な子規の
性格を感じとる事ができます。
復元された勉強部屋や愛用の机なども展示
されています。
子規堂の玄関にある子規の銅像
「旅だち」です。

子規旅立ちの像は,17歳で東京へ旅立つ
イメージを、若き日句作のため箱根を旅した
時の写真をもとに、1998年に阿部誠一氏に
より制作されました。


子規堂の内部です。
子規の資料を展示しています。
勉強部屋が出来るまで
子規が使っていた文机です。
子規が松山中学に入学した際に増築して
作ってもらった三畳の勉強部屋です。

当時のままに復元されています。
子規記念博物館で見た子規の描いた

左:野菜
左:草花

子規記念博物館内は撮影ができないので、
複製画を子規堂で撮ってきました。
余り写りが良くなくて残念。
夏目漱石の「坊ちゃん」の原稿です。
一枚だけ展示されています。
複製品だと思います。
病床の子規が自らの様子を描いた
絵が残されています。

「病床図画賛」で実物は子規記念博物館に
所蔵されています。

「湯たんぽに 足のとどかぬ ふとんかな」
(四方太)

「画箋紙に 鼻水にじむ 寒さかな」 
(鳴雪)

何れも子規の弟子の句です。
右の石碑は子規の埋髪塔、
左は内藤鳴雪の埋髭塔です。

下の石には与謝野晶子の詠んだ歌、
「子規居士と 鳴雪翁の 居たまへる 
   伊予の御寺の 秋の夕暮」が
彫られています。

この奥に正岡家の墓が有ったようですが、
知らずに見過ごしてきました。

埋髪塔の後ろの木に
「名月や 寺の二階の 瓦頭口」(子規)
の木札がぶら下がっていました。
高浜虚子の筆塚です。
子規堂の前に坊っちゃん列車の客車や
漱石の銅像などが有ります。

客車は実物のようです。

右下の石碑には
「子規が乗り、漱石が乗り、三津に行き、
道後に行きし、汽車がこの汽車」
と記されています。作者は越智水草です。
正宗寺境内に千代の富士の書が
石碑として建てられています。
石碑には子規の「秋晴れて 両国橋の
高さかな」の句が添えられています。
正宗寺の本堂には千代の富士の
優勝額が奉納されていました。
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