非公開の旧家
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大森の町並み地区は政治経済の中心だったところです。従い、役人の屋敷と商家や民家が入り混じって
建っていたのが特徴となります。
役人や豪商の屋敷では河島家と熊谷家が一般公開されている以外、他の住宅は非公開になっています。
そのため、外からの眺めのみとなります。江戸時代の住宅が遺されています。
金森家住宅です。
「郷宿泉屋遺宅」と称されています。

大森地区には地方の村役人などの指定宿
としての郷宿(ごうやど)が六軒あり、
金森家はその内の一つです。

この敷地は1800年(寛政12)の
大火を逃れた位置にあり、町並みの
中では最も古い住宅となります。
阿部家(地役人遺宅)です。

阿部家は1601年(慶長6)初代
奉行に召し抱えられ、以降、地役人
として代々続いた家柄です。

長屋門は解体されていますが、
主屋は町並み地区では最も大きい
武家屋敷になっているそうです。

中まで入るのが慮れ、全体を見る
ことは出来ませんでした。
柳原家(代官所同心遺宅)です。

武家屋敷の形態を保ち、一部二階が
ありますが、外からは見えないように
なっています。これは当地の武家屋敷の
共通した造りだそうです。

1800年の大火の類焼痕が残されて
いるそうです。

画面にポインターを置くと主屋部分を
ご覧いただけます。
附同心として勤めていた山内家です。

門の上には「since 1613(慶長18)」の
張り紙があります。
建物は約150年前くらいのものだそうです。
現在は喫茶店になっていますが、土日以外は
開いていません。

画面にポインターを置くと張り紙を
ご覧いただけます。
三宅家(現在は歯科医)の建物ですが、
元は地役人田邊氏の居宅で、
五代目は福島の半田銀山、
六代目は足尾銅山に派遣されるなど、
広く鉱山に関わった家柄です。

大火(1800年)以降の建物と
思われますが、武家屋敷の形態を
保っていると記されています。
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