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城上(きがみ)神社は1434年(永享6)、大内氏によって仁摩町馬路(にまちょうまじ)の高山から大森町愛宕山に遷座され、
1577年(天正5)に毛利氏によって現在位置に遷座、造営されましたが、寛政の大火により類焼し、1812年(文化9)4月に
現在の拝殿が再建されています。
御祭神は大物主大神(大国主命)です。
城上神社の入口の鳥居です。
拝殿です。

拝殿は、重層式の入母屋造で江戸本所の
亀井戸天満宮に倣ったもの。
1800年(寛政12)の大火で類焼したが、
1812年(文化9)に再建されています。

拝殿内の天井には、再建当時に円隣斉守休
によって描かれた鳴き龍があります。
拝殿の内部です。

拝殿の構造は寺院の形態ですが、
祭壇は神社で、天井には鳴き龍の絵が
描かれています。

天井の下で柏手を打ちましたが、
龍の泣き声は残念ながら聞こえませんでした。
柏手の打ち方が悪かった??


拝殿の奥にある、本殿です。
本殿は春日造りになっています。
境内にある「亀石」です。

この石の謂われが説明板に記されて
いました。

「当初の社殿に貝の化石と、海亀の形を
した石が奉納され、天正年間に当地へ遷座の
さいに、この亀石を移すのを忘れてしまった。
亀石は甲羅の柄が城上神社の紋所なので、
何とか遷座の場所へ行かねばと、自力で山を
おりたが、自分の重さで川に沈んでしまった。
その後、その河を通ると小豆を研ぐような音が
聞こえるので、物好きがその石を引き上げ、
小豆石と名付けた。小豆石は大正年間まで
川の傍に置かれていたが、ある日、田中某の
夢枕にこの石が現れ、事の次第を伝えたので、
この神社の境内に落ち着くことになった」との
事なのだそうです。
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