古代出雲歴史博物館
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007年に出雲大社の東隣に開館。主に出雲大社を中心とした、古代出雲に
ついての展示を行っています。

荒神谷遺跡より出土した国宝を含む銅剣358本・銅矛16本、銅鐸6個、
加茂岩倉遺跡より出土した国宝の銅鐸39個が公開されています。
古代出雲以外では石見銀山など旧石見国も含めた島根県全体の歴史に
ついての展示がされています。

特別展示は時期により、各種の特別展示が別料金で開催されます。
2016年3月26日からこの年に終わった「平成の大遷宮」を機に
出雲大社造営の歴史と今回の保存修理の実情を紹介しています。

中央ロビーには2000年に発見された宇豆柱が展示されています。

ロビー左手の@テーマ別展示室の「出雲大社と神々のまつり」コーナーでは、
巨大神殿であったとされる出雲大社のなぞを中心として、島根に生きる人々の
心の営みの歴史を様々な角度から紹介しています。

その奥の「出雲国風土記の世界」コーナーでは風土記の世界と青銅器等の
発掘品の展示が行われています。

その右のA総合展示室では「島根の人々の生活と交流」として、「出雲の玉作」
「石見銀山」「たたら製鉄」を重点として展示されています。
ロビー部分です。
中央に宇豆柱が展示されています。

出雲(杵築)大社の土台部分であった
柱の遺跡が2000年に発掘され、
その大きさから、元の神殿の復元が
為されています。
宇豆柱です。
2000年(平成12)から2001年(平成13)に
かけて、出雲大社境内遺跡からスギの大木
3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な
柱が3カ所で発見されました。
これは、そのうちの棟をささえる柱すなわち
棟持柱(むなもちばしら)で、古くから
宇豆柱(うづばしら)と呼ばれてきたものです。
境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで
当時の姿をとどめて出土したとの事です。
第一常設館に有る出雲大社の模型です。

なぜこの地に巨大な神殿が造営されなくては
ならなかったのか。なぜ後の時代においても
高大さが意識され続けたのか。出雲大社の
特質を、発掘された巨大神殿を中核に、
かつての建築と儀式を復元しつつ、出雲大社に
対する出雲びとの思いを展示しています。
元の大社の姿は多くの学者の推論から
形成されています。
今まで発表されている予想形を
夫々展示しています。
大社の境内遺跡模型です。

左寄りの発掘現場から種々の巨大な
柱が見つかったようです。

宇豆柱は穴の下段左の場所から
発見されました。
「出雲風土記」のコーナーの展示です。

三神猿坐像です。1823年(文政6)頃に
作られて出雲に奉納されてきたものです。
同じく、風土記の世界からもたらされた
木像です。
風土記の時代の船の渡し場と市の様子を
展示してます。
荒神谷遺跡から発掘された銅剣の数々です。
全てが国宝になっています。
加茂岩倉遺跡から発掘された銅鐸です。
これもすべて国宝になっています。

弥生時代の銅鐸で、弥生人の技術の高さを
知らしめるものです。
この二つは土性の鋳型から作られた
兄弟銅鐸です。
同じ鋳型から作られたものが有るのは
珍しいことだそうです。
別の場所で発掘された国宝の銅鐸です。
出雲で発掘された銅剣、銅矛と銅鐸です。
「景初3年」を含む41文字が鋳出されている
銅鏡です。


景初3年(239年)は邪馬台国の卑弥呼が
魏に使いを送り、銅鏡100枚を魏から
贈られたと言われる年です。

つまり、これは卑弥呼が魏より賜った銅鏡かも
しれません。
馬上の大首長と書かれています。
(上塩冶築山古墳・復元品)

首長の力量による集団化が進み、
その持ち物が象徴化された時代でしょう。
被り物や、手にしてる刀剣が地位の象徴と
なっています。
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