松江城
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松江城の概念図です。今回ピンク色のルートで廻りました。

図の番号場所は下記通です。
1.大手門駐車場、2:松江歴史館、3:塩見縄手、4:武家屋敷、5:小泉八雲旧居、
6.小泉八雲記念館、7.八雲胸像、8.内堀からの塩見縄手の眺望、9.城山稲荷神社
10.松江護国神社、11.馬洗い池、12.二之門跡、13.松江城天守閣、14.松江神社
15.興雲閣、16.南櫓跡、17.中櫓跡、18.太鼓楼跡、19.大手門跡、20.馬溜跡、
21.岸清一氏銅像、22.島根県庁(三の丸跡)

13および16〜20をこのページで紹介してます。

松江城は廃藩置県、廃城令の際に、天守閣以外の施設は全て売りに出され撤去されて
しまいました。天守閣も米100俵の価格で売りに出されましたが、藩士や豪農が同額を
国に納めることで、保存されることとなり、山陰地方では唯一残る天守閣となっています。

天守閣はご覧のように黒を基調とした城となっています。高さは30m、石垣は「牛蒡積み」と
云う方式が採られています。
二之門跡から登ると「一之門」にでます。
右手は続き門です。
1960年(昭和35)に復元されています。

この門を抜けると天守閣です。
天守閣は三層5階建で地階があります。

城全体の構えは東側を正面としていますが、
天守自体は南向きとなっています。

天守は、彦根城・犬山城と同じように附櫓を
設けた複合式望楼型で、一、二層目は
大入母屋屋根で全面下見板張り、望楼部と
附櫓も一部白漆喰ですが窓廻りの木部は
すべて黒塗りで、黒を基調とした天守です。
天守閣の地下部分です。
「穴蔵の間」とも呼ばれています。

慶長初の築城法で長期戦や籠城を
考えて、ここに塩や、食料を貯蔵した
そうです。

部屋の中央には深さ24mの井戸が
掘られています。


画面にポインターを置くと
壁の石組みの様子をご覧頂けます。
井戸です。

画面にポインターを置くと
井戸の中を覗いて頂けます。
一階は展示室になっています。

木組みの状態が良く見えます。


下の写真は展示品です。

二階の壁面です。
中央の少し窪んだ個所は
石落しで、手前は鉄砲狭間です。

二階の展示は江戸風俗の襖絵や
新旧松江の立体模型などが展示されて
います。
三階の木組みと壁、そして銃狭間です。
三月と云う季節的なのでしょう、
ひな人形が飾られていました。

松山城の仮屋崎某の生け花よりは
まだお城にマッチしています。
四階の眺めです。
四階は木組みのみで展示などは
有りません。 
五階の望楼です。
望楼から眺める松山市内です。
正面は宍道湖です。

画面にポインターを置くと湖に浮く
嫁が島を拡大してご覧いただけます。
城の南側の景観です。

手前正面にあるのは松江歴史館です。
CMの撮影で松江のお祭り衣装を着けた
人達がお城から出てくる所を撮影
していました。

二の丸跡に南櫓、中櫓、太鼓楼が
2012年(平成24)に再建されています。

これは南櫓です。
南櫓は幕末には御召櫓とも呼ばれて
いたようです。二階建ての櫓です。

画面にポインターを置くと
南楼から眺めた三の丸跡を
ご覧いただけます。
中櫓(なかやぐら)です。

平屋で、幕末には御具足蔵と
呼ばれていたようで、恐らく、
武具などを保管する倉庫だったと
思われます。
太鼓櫓です。
平屋建てですが、この櫓だけ入口に
庇が出ています。

太鼓櫓と呼ばれるように、城内に時刻や
号令を知らせる太鼓を打ったものと
思われます。

画面にポインターを置くと
屋内にある太鼓をご覧いただけます。
これも「鼕(どう)」なのでしょう。
太鼓櫓から眺める
大手門跡です。

右の広場は「馬溜」で入り口の形態は枡形と
呼ばれるもので、敵兵の直進を防ぎ、侵入の
勢いを弱める機能と、出陣の際にこの馬溜に
城兵を待機させ隊形を整える機能を果たして
いたようです。
太鼓櫓の石垣です。
右手と左手で積み方が少し異なるのは
櫓復元時の対応でしょうか。
大手前にある古木(くすのき)です。
樹齢350年、樹高14mです。
江戸時代の松江を見てきたのでしょう。
二之丸下の段跡です。
江戸時代にはここに米蔵や屋敷が
有ったようです。

長い石垣に囲まれています。

画面にポインターを置くと
全体がご覧いただけます。
二之丸にある太鼓櫓(右)、中櫓(左)の
様子と、大手門跡です。
二之丸の下にある「馬溜跡」です。

前述のとおり、桝形としての防御と
城兵を待機させる攻めの拠点と
なっていたようです。

画面にポインターを置くと
「馬溜跡」の標識がご覧いただけます。
松江城の入口です。
今回は後ろから回ったので、
入口が最後となりました。

史蹟松江城と国宝松江城天守の
石碑が立っています。







下の写真は三の丸跡から眺める
二の丸です。
三の丸跡に立つ「岸清一」氏の銅像です。

岸清一は松江で生まれ、明治、大正、昭和の
法曹界の一人者として活躍する傍ら、
日本体育協会会長、国際オリンピック委員会
委員として「近代スポーツの父」とも
称されています。

東京代々木の「岸記念体育館」は彼の
浄財を基金として建てられています。
1940年(昭和15)当初はお茶の水に
建てられましたが、1964年(昭和39)に
東京オリンピックを機会に代々木に
移されました。
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