島根県松江
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津和野 安来 岩見
松江市は島根県の県庁所在地で、特例市に指定されています。
北は日本海に接する島根半島と宍道湖と中海に挟まれた地域に広がる都市です。
人口は約21万人で山陰地区では最大の都市です。

古代から奈良時代の多くの遺跡が松江市南部の意宇川下流域、中海周辺で発見
されています。縄文時代からの遺跡も中海、宍道湖周辺には多く存在します。
本格的に開発が進んだのは、堀尾吉晴が1607年〜11年の足かけ5年をかけて
松江城及びその城下町の建設を行って以降のこととなります。

今回は出雲空港から出雲大社を経て玉造温泉に3泊して、松江・安来を回りました。
石見へ足を延ばしたため、松江市内は松江城周辺部のみの中途半端な廻り方に
なりました。松江城の堀を周る遊覧船や宍道湖を巡る遊覧船などもありますが、
乗るつもりが、まったく時間取れずじまいでした。

玉造温泉 玉造温泉は平安時代から日本三名泉の一つとして有名です。開湯は奈良時代で、少彦名命が発見したと
伝えられる古い温泉です。玉造という名の由来は、この地にある花仙山で良質の青瑪瑙が採掘できたために、
この地の人々が玉造を生業としていたことに由来していると考えられています。
玉造温泉は玉湯川に沿って温泉街が
形成されています。
玉湯川は温泉の流れ込む川ですが、
綺麗な水で鳥たちも生息しています。

温泉街の一番奥には「玉作湯神社」が
あります。

松江駅や空港からの直通バスも運行
されていて、比較的便利な温泉です。

玉湯川の両岸は桜の木が植わっていて、
季節には花祭りも行われています。

今回は温泉入口に近い「紺屋」と言う宿に
泊りました。元は藍染を家業としていた
古い家だそうです。
国道9号線から玉造温泉方面へ
向かう案内板です。

丸い球と勾玉をデザインした塀に
玉造温泉と書かれています。

国道から南へ下る途中に
温泉方面と資料館方面への
分岐があり、そこにもこの看板が
立っています。
赤い勾玉をデザインしたものでしょうか。
玉湯川です。
温泉街の南端になります。

玉造温泉のバス停があります。

左に有る灯籠は「一畠薬師」です。
左手の山は「湯山」です。

今回三連泊した宿です。

宿の内容と食事の内容は
下記ボタンからお入り頂けます。

宿と食事
宿(左手)を出て眺める玉湯川の
北方面です。
正面に有る白い橋は「山陰自動車道」です。
玉湯川の両岸には桜の古木が
並んでいます。
まだ、蕾がほころぶ程度で開花は
僅かでした。

以前は温泉街より北寄りが花見場所
だったそうですが、最近は温泉街が
花見の場所になったようです。
花見の時期は人出が大変だそうです。

画面にポインターを置くと
一部咲いている桜をご覧いただけます。

川に架かる「まがたま橋」と左下
川の中に見える「まがたまの小島」です。
勾玉の小島の中央に有るのは
「青瑪瑙の原石」です。
これに触ると幸せになるそうですが、
真偽のほどは判りません。

川岸に2か所の足湯が有ります。
とても熱い足湯です。

画面にポインターを置くと「まがたま橋」を
ご覧頂けます。

川には色々な鳥たちが行き来しています。
一部は下記ボタンからご覧いただけます。

鳥たち
温泉街南の端の玉湯川にある
「湯閼伽の井戸」です。

湯閼伽の井戸は古くから「ゆあかの井戸」と
呼ばれ湯薬師堂に供える水を汲み上げる
神聖な井戸でした。湯薬師堂は1309年
(延慶2)に創建されたことから、当時から
井戸があったと思われています。
湯閼伽の井戸の南寄りに架かる
「宮橋」(恋叶い橋)です。

こちらから写真を撮って鳥居が入ると
恋の願いがかなうのだそうです。
橋のたもとに、カメラを置く台があり、
そこから撮れば必ず鳥居が入る様に
なっていました。

玉作湯神社です。
境内は国指定の史跡となっています。

この神社は奈良時代の「出雲風土記」
(733年)にも記されている古い神社で
祭神は「櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)」
と「大国主命」および「少彦名命」の三神です。

江戸時代には「姫神大明神」とも呼ばれ、
藩主が来ると、必ず参拝したそうです。

神社の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

玉作湯神社
神社のわきにある
「玉作湯薬師如来」です。

玉湯を治めていた佐々木判官義綱が、
病にかかった際、家臣が夢のお告げで、
玉湯川を掘ると、薬師如来像が見つかって
湯が噴き出し、義綱が湯治をすると病が
治ったため、この薬師堂を建てたと伝わって
います。
薬師堂の前の通りに有る
元湯跡の標識版です。

発掘の際に元湯跡がこの場所で
見つかったのだそうです。
薬師堂の北側にある
「湯薬師広場」です。

美肌を求める乙女たちが
ここの湯を肌に振り掛けて行きます。
松江市
松江と言えば宍道湖、その宍道湖から中海に流れる大橋川が松江市を南北に二分しています。
北を橋北、南を橋南と呼んでいます。水に囲まれた松江市は水の都と呼ばれています。
松江城や松江市役所は橋北に有ります。JR松江駅は橋南にあります。
松江市の南西方向を松江城から眺めた景観です。 右手に見える湖は宍道湖で、中央内堀の左手が島根県庁です。右手手前は松江神社と興雲閣です。
松江市の北西方向を松江城から眺めた景観です。 左手が宍道湖になります。
松江城の傍に有る「松江歴史館」です。

館内では松江の歴史を映像や模型で紹介
しています。
受付は観光案内も行っています。



松江城の北側にある塩見縄手と呼ばれる、
松江の侍町の一角です。
200石から600石の中級武士の屋敷が
並んでいます。

名前の由来は過ってここに塩見小兵衛の
屋敷が有ったことから名付けられたようです。

江戸時代からの建物群が800mほど
続いています。松江市の伝統美観保存地区に
指定されています。

塩見縄手の西寄りに武家屋敷が
一般開放されています。
この屋敷は600石程度の中級藩士が
屋敷替えで、入れ替わり住んだそうです。

屋敷の内部は下記ボタンからお入り
頂けます。

武家屋敷

武家屋敷の並びに小泉八雲の旧居が
あります。

この屋敷の向かいの公園に小泉八雲
(ラフカディオ・ハーン)の胸像が有ります。
画面にポインターを置くとご覧いただけます。

旧居の内部は下記ボタンからお入り
頂けます。

小泉八雲旧居
小泉八雲旧居の西隣にある
「古泉八雲記念館」です。

残念ながら2016年4月28日まで
再整備工事のため休館中で、
内部は見られませんでした。
松江城の内堀越に眺める
塩見縄手の景観です。
城の北西部に架かる「稲荷橋」です。

北側から入場できる唯一の橋です。
橋を渡ると城山稲荷神社が有るので
稲荷橋と呼ぶのでしょう。
城山稲荷神社の入口です。
神社の社は鎮守の森の上に有ります。

小泉八雲が良く立ち寄った神社で、
右手に見える耳のないキツネの像を
特に気に入っていたとの事です。
松江城の北側にある「護国神社」です。

画面にポインターを置くと拝殿がご覧
頂けます。

創建は招魂社として1938年(昭和13)で、
1939年(昭和14)に護国神社と改名されて
います。

出雲・隠岐出身の英霊2万3千柱を奉祀
しています。
護国神社境内に建つ「母の像」です。

銅板に「強く、きびしく やさしかった 母
おかげで私がある お母さんありがとう
私たちのかなしみが くりかえされることの
ないように」と刻まれています。
「馬洗池」です。
昔はここで馬を洗ったのでしょうか。

馬洗池から搦手道を通り過ぎ、
二の門跡へ出ました。
石段の左手は出雲神社です。
右に入ると天守閣への道となります。

搦手道から入ると裏門に出たので、
そちらの道を選ぶべきだったかも。
でも、ちょっと険しそうだったので…

松江城天守閣です。
堀尾吉晴により、1611年(慶長16)に
築城されています。
築城には種々の話があり、築城主が
孫の忠晴とも言われます。
昭和10年に国宝指定されましたが、
昭和25年の文化財保護法改定で重文と
なっていましたが、2015年7月に
再び国宝に再指定されています。

城の内部については下記ボタンからお入り
頂けます。

松江城
城の南側、二の門跡の傍に有る
「松江神社」です。

松江神社は、1877年(明治10)に、
旧松江藩有志により、松平直政を御祭神
とする楽山神社として創建されました。
1898年(明治31)に堀尾吉晴が創建した
東照宮の御神霊を合祀し、1899年(明治32)
に現在地の二之丸に遷座し、松江神社と
改称されています。

更に、1931年(昭和6)に松江開府の祖である
堀尾吉晴と松江藩7代目松平治郷をも配祀し
現在に至っています。

社殿の正面です。
この社殿は吉晴公が創建した
東照宮の社殿です。

上の写真は右手からになります。

こちら側にも鳥居が建っています。

松江神社の傍に有る「興雲閣」です。

1903年(明治36)に松江市が
松江市工芸品陳列所として建てた
建物です。

1973年(昭和48)からは郷土館として利用
され、2011年(平成23)に閉館。
そのご、改修の上一般公開されています。

内部の様子は下記ボタンからお入り
頂けます。

興雲閣
松江開府の祖、堀尾吉晴の像です。

吉晴は月山富田城から松江に城を移す際に
自分の意見とは異なる息子の忠氏の選んだ
場所に定め、亀田山に城を築きました。

忠氏は途中で逝去し、吉晴は孫の忠晴に
築城を続けさせ、1611年末に完成しました。

吉晴は城の完成直前の1611年6月に
逝去しています。
JR松江駅北口です。

バスターミナルは北口にあります。

1908年(明治41)に開業しています。
1977年(昭和52)に高架化され
現在の駅舎となっています。

県庁所在地としては山陰線しか
走っておらず、県庁所在地のJR駅では
珍しい方に属しています。
北口駅前の様子です。

県庁所在地の中心駅にしては
静かな駅前となっています。
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