小泉八雲旧居
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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は1850年(嘉永3)6月ギリシャのレフカダ島(リューカディア)でアイルランド人の父と、
ギリシャ人の母との間に生まれました。
1890年(明治23)39歳のとき記者として来日。その後まもなく、帝国大学(東大)のチェンバレン教授や文部省の紹介で、
島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師となりました。ここでは、籠手田知事、西田千太郎などの知己を得たこともあって、
松江の風物、人情が大変気にいり、そして、武家の娘小泉セツと結婚し武家屋敷に住みました。

しかし、冬の寒さと大雪に閉口し、1年3ヶ月で松江を去り熊本第五高等中学校へ移り、さらに神戸クロニクル社、
帝国大学文科大学(東大)、早稲田大学に勤務しました。
日本の伝統的精神や文化に興味をもった八雲は、多くの作品を著し、日本を広く世界に紹介しました。
松江には彼が住んだ武家屋敷が遺されており、その隣には「小泉八雲記念館」が設立されています。
塩見縄手の北寄りにある
「小泉八雲旧居」です。

来日後、小泉セツと結婚し、
この武家屋敷で暮らしました。

屋敷は旧松江藩士根岸家のもので、
家主の根岸干夫は郡長として任地に居り、
空き家だったのを八雲が賃借しています。

屋敷の庭は根岸家先代の小石の手による
もので、八雲は殊の外気に入り、
著書「知られざる日本の面影」の一節、
「日本の庭園」の中で、その魅力が
書かれています。

旧居は滝川家武家屋敷に比べると
見学出来た場所は少しです。
従い、屋敷の大きさは判りません。

国指定の史跡となっています。
門を入った玄関口です。
表玄関は閉じられており、脇の入口から
入ります。
前庭は小ざっぱりした雰囲気です。
八雲が大変好み、著書にも触れている
南の庭です。居間からの眺めです。
右手もガラスの引き戸になっており、
180度の眺望です。
西の庭の眺めです。
南の庭と繋がっています。
書斎です。書斎は北の庭が見えます。

画面にポインターを置くと
書斎の反対側をご覧いただけます。
北の庭です。

八雲は著書で「北側の第二の庭は
自分の好きな庭である。大きな草木は
一つもない。青い小石が敷いてあって、
小池が一つ・・・・・」と記しています。
居間からの庭の眺めです。

正面が南庭、右手が西庭です。
北庭の奥に蔵があります。

この右奥に稲荷が祀られており、
八雲が常々参っていた社だそうです。。
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