隠岐国分寺跡
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国分寺は741年(天平13)の聖武天皇の詔によって、奈良の東大寺を始め国ごとに68ヶ寺が建てられた寺です。
隠岐国分寺も出雲、石見と共に聖武天皇勅願所として建立され、島内第一の伽藍だったようです。
1331年(元弘元)の元弘の乱二より、後醍醐天皇が隠岐に流されました。この時に寄宿したのがこの国分寺と言われています。
ただ、西之島の黒木神社に残る行在所跡があり、西之島では後醍醐天皇が西之島に寄宿されていたと伝えられています。
そのご、明治維新による廃仏毀釈により、仏像・仏具のことごとくを焼かれ、寺としての命脈が絶たれました。
1879年(明治12)に寺院の再興が行われ、東山真言宗の寺となっています。
現在の本堂は2014年(平成26)に再建されたものです。境内は国の史跡に指定されています。
隠岐国分寺の山門です。
山門の手前に石碑があり、
「国指定史跡 後醍醐天皇 隠岐御遷幸
ゆかりの 寺」と記されています。
境内の手水場です。
境内は国の史跡に指定されています。
本堂です。

2014年に再建された建物です。

旧国分寺跡の発掘も進められています。
本堂右手奥に立つ
「後醍醐天皇行在所跡」の碑です。

画面にポインターを置くと
碑の拡大図がご覧いただけます。
行在所跡から鐘楼と山門を
眺めています。
山門から参道を眺めています。

門前には大杉が立っています。
門の前にある、水木しげるの
キャラクター像が立てられています。

水木しげるは鳥取県境の出身ですが、
何度も隠岐を訪れており、
台石にも「隠岐は 水木サンの 
ルーツ デス」と掘られています。

横の石は隠岐の特徴的な岩石を
併せて展示しています。
他のキャラクター像の傍にも
置かれています。

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