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隠岐島と呼びますが、隠岐島と言う島はありません。 およそ180の島からなる隠岐諸島で、有人島は島後島、島前三島の 4島です。なぜ、北に有るのが島後かというと、都に近い方が前で、 遠い方が後ろになります。 隠岐諸島は島根県隠岐郡に所属しています。竹島も隠岐諸島に 含まれています。地元では竹島問題はさほどセンシティブではないと ガイドさんが言ってました。 1969年(昭和44)に、それまでの4郡1町11村が隠岐郡一郡となり、 現在の町村数は、隠岐の島町、海士町、西ノ島町、知夫村の 3町1村です。 隠岐郡の人口は2万人強で、その内半分以上の約1.4万人が 隠岐の島町に住んでおり、西之島町が約3千人、海士町が 約2.3千人、千夫村は700人足らずとなっています。 学校は隠岐郡全体で小学校11校、中学校7校、高校3校があります。 隠岐水産高校には相撲部があり、隠岐の島を始め多くの力士を輩出 しているそうです。 島前、島後と言ういい方は、もともとは海道の前後を差し、 道前、道後と称していたそうです。江戸時代の役人が「どう」を「島」と 勘違いして、書き間違えたため、島前島後になったとのことです。 2018年7月に3泊で4島を周ってきました。 |
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羽田空港からは隠岐空港への直行便はなく、伊丹空港での乗り継ぎとなります。伊丹からは 毎日1便(JAC)が運行されています。出雲空港からも1便(JAC)あります。航空機以外では 島根県境港と七類港からフェリーと高速船が島前、島後の各港経由で毎日数便が運行されています。 |
羽田空港10時30分発JL113便で 伊丹空港へ向かいます。 |
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珍しく、離陸方向が房総方面ではなく、 東京湾を南下して横浜方面から 太平洋へと向かいました、 中央の橋は横浜ベイブリッジです。 その奥に横浜ランドマークタワーが 見えています。 |
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その後、三浦半島を横切り、 相模湾へと入ります。 江の島が眼下に望めます。 |
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今回も「富士山」が綺麗に見え、 旅の安全を感じられました。 夏場の富士山はさすが冠雪はなく、 赤い山肌が赤富士を思わせます。 |
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大阪上空から淀川が見られます。 右下の公園は淀川河川公園です。 白い橋は水道橋、その奥はJR赤川鉄橋 です。 もう間もなく伊丹空港です。 |
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羽田から約1時間、伊丹の 大阪国際空港に到着です。 伊丹空港に降りるのは久し振りで、 空港の様子もすっかり変わっていました。 伊丹からは13:20発のJL2331便に 搭乗し、隠岐空港へと向かいます。 |
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伊丹空港を出発したフライトは 兵庫県の上空から日本海に出て、 北西に向かいます。 40分後には隠岐諸島の無人島である 「松島」上空を通過します。 松島周囲の海域はニホンアワサンゴや アミメサンゴなどの日本の生息域 北限であるため、環境庁により 海中公園に指定されています。 大山隠岐国立公園内です。 左手奥に見えるのは同じく無人島の 「大森島」です。 真鯛釣で有名なようです。 |
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隠岐の島町の西郷に有る 「隠岐世界ジオパーク空港」に到着です。 大阪からの所要時間は約45分です。 J−AIR(日本エアコミューター)の E−170型機でのフライトで、 エンブラエル170はヨーロッパのエアバス、 米国のボーイングに次ぐシェアーを持つ ブラジルの航空機製造会社 「エンブラエル社」が製造しています。 乗客定員は76名です。 ボーイング、エアバス機より足元が 広く使えるので楽です。 |
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「隠岐世界ジオパーク空港」の ターミナルビルです。 1965年(昭和40)に開港されています。 1999年(平成11)に新空港建設が 始まり、2006年(平成18)に2,000mの 滑走路が供用開始され、ジェット機の 着陸が可能となりました。 |
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島後は隠岐諸島の中心的な島で、人口の半分以上がここで生活しています。高校も2ヶ所あります。 後醍醐天皇が流刑に遭った島はこの島後説と島前西之島説があり、夫々の島の人達は自分の所だと信じておられるようです。 島後は5地区に分かれており、昔の町村がそのまま地区として残されています。 |
島後(どうご)は現在島全土が隠岐の島町に なっています。 一番大きな地区は西郷で元の西郷町です。 そのほか、布施、五箇、都万の3地区があり、 何れも過っては村でした。中村は元西郷町大字中村で 西郷の一部となっています。 西郷には空港とフェリー港があり、島への入口と 成っています。また、国分寺・モーモードーム、 若玉酢神社・八百杉、旧佐々木家住宅、岩倉乳房杉、 などの観光地があります。 布施は島の東北部にあり、浄土ヶ浜など布施海岸 景勝地があります。今回はバス車窓からの眺めです。 中村は西郷の一部ですが、かぶら杉などがあります。 五箇は島の北西部にあり、竹島も1939年(昭和14) 以来、現在に至るまで五箇の所属となっています。 五箇には水若酢神社やローソク島、土木の歴史を知る 福浦トンネルなどがあります。 都万は島の西部にあり、壇鏡の滝や那久岬などの 見どころがあります。 今回の訪問では到着日半日と出発日半日の時間で 島内をじっくり周る余裕がありませんでした。 主だったところを一回りしたと言う感じです。 |
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旅程最終日は再び島後に戻り、北東から東海岸経由で南方向へと進み、モーモードーム(国分寺跡)、かぶら杉、岩倉乳房杉、佐々木家住宅を経由して玉若酢神社を参拝後、空港へと向かいました。 |
西之島の別府港です。 この港にはフェリーとジェットフォイール の定期便が寄港します。 我々は境港行きのジェットフォイール 「レインボー」で西郷港に戻ります。 |
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別府港を出ると「松島」が綺麗に見えます。 人の立ち寄るのを拒絶するかのごとく、 周囲は切り立った崖で囲まれています。 無人島です。 |
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「大森島」が見えてきます。 釣人達のメッカではあるようですが、 無人島です。 |
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レインボーは島後の西郷港へ 入港します。本船はこの後境港迄 運行されます。 後方に見える船はフェリーです。 |
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西郷港に到着後はそのまま、 モーモードームへと移動です。 大型バスでの移動となります。 モーモードームは国分寺の敷地内に あります。 国分寺は旧国分寺の継承寺院として 隠岐国分寺と称する真言宗の寺院です。 国分寺の境内は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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「モーモードーム」です。 左へ行くと国分寺です。 モーモードームは隠岐国分寺外苑の 全天候木造ドーム型牛突き場です。 町が2億円かけて建てたそうです。 正式の牛突きはここでは年に2回だけ 開催され、それ以外は観光用の牛突き となります。従い、正式な牛突き以外は 勝敗はつけません。 隠岐の牛突きは790年前に中ノ島で 後鳥羽上皇が散歩中、牛が角を突き 合わせているのを、興味深くご覧に なっていたので、村人が上皇の無聊を 慰めるために牛突きを始めたと 伝えられています。 |
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隠岐の島町の隠岐国分寺外苑の 全天候木造ドーム型牛突き場です。 後鳥羽上皇を慰めたのが始まりという 伝統ある隠岐名物・牛突きを気軽に 楽しむことができます。 但し、毎日開催されているわけではなく、 観光協会が団体予約を中心に開催日を 設定しているようです。 正式の牛突きではなく、観光牛突きで、 1ゲームのみで精々数分の突きあいです。 勝敗は付けられないので、全て分れです。 |
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最初の雄牛が東から入場します。 入場前に子供が塩をまきます。 (左の写真にポインターを置くと ご覧いただけます) 幟と共に入場すると、対戦相手が 同じく東口から入場してきます。 2人の男性が両者を合わせます。 一定時間突きあわせると、分かれさせます。 ただ、興奮した牛は簡単には引かず、 数人の男性がひっぱります。 (右の画面にポインターを置くとご覧 頂けます) |
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モーモードームから国道486号を 北上し、中村地区にある「かぶら杉」を 車窓からちらりと眺めます。 同じ根から何本もの幹が出ており、 あたかもかぶらの葉の如き状態から かぶら杉と名付けられたようです。 樹齢は600年以上と言われます。 裏日本独特の樹形だそうです。 |
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中村地区から布施地区へと移動します。 島の外回りの荒々しい風景とは異なり、 島内は穏やかな風景が続きます。 田圃も多く米は自給できるようです。 |
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途中から山へ上がるくねくね道を 走ると「岩倉乳房(ちち)杉」に 出会えます。 この杉は神格化されており、鳥居が 立てられています。 鳥居の横には小さな穴があり、 そこから冷気が出ています。 そのため、鳥居の前に来ると 「ひやり」とした感じがします。 画面にポインターを置くと 穴の様子をご覧いただけます。 |
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「岩倉乳房杉」です。 案内板には樹齢800年とありますが、 ガイドさんは1千年以上と言ってます。 24個の乳房状の下垂根を ぶら下げています。 一番大きいのは長さ2.2mあります。 高さは38m、幹回り11m、中段から 15本の幹に分かれています。 島根県の天然記念物に指定されています。 画面にポインターを置くと もう少し近くからの状態を ご覧いただけます。 |
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岩倉乳房杉への山道の途中にある 「大山神社」の鳥居です。 車窓からで一瞬ですが、鳥居の奥に 樹齢800年の御神木の杉が見られます。 根本にカズラを七回り半巻きつける お祭があり、日本最古の山祭と 言われているようです。 一瞬で杉の木までは写せませんでした。 |
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山を下りると布施地区の海岸線に出ます。 県道47号線を南下する際に、車窓から 海岸の風景を見ることが出来ます。 車窓からの風景は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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島の東側に「佐々木家住宅」が あります。 佐々木家は代々釜村の庄屋を務め、 住宅は隠岐独特の造りとなっています。 建造は1836年(天保7)で旧庄屋の 民家としては隠岐最古の建物です。 国の重要文化財に指定されています。 玄関は三か所あり、夫々の身分に合わせ 使われていたようです。 佐々木家は近江守護として勢力を 持っていた佐々木氏の一族だそうです。 |
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この玄関は中央の玄関で元は格式の 高い人の出入りする玄関でした。 現在も解放されておらず、参観者は 更に左手の大戸口から出入りします。 佐々木家の内部などは下記ボタンから お入り頂けます。 昼食はここで摂りましたので、併せ 掲載しています。 |
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佐々木家から西郷地区にでて、 玉若酢命神社へと向かいます。 その途中で、古典相撲(宮相撲)で 大関になった人に贈られる柱を軒に 掛けている家がありました。 この家では二代に渡り大関となり、 日本の柱が架かっています。 画面にポインターを置くと 柱の拡大図がご覧いただけます。 |
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「玉若酢命神社」です。 玉若酢命神社の創建は、第十五代 応神天皇の時代と伝えられ、現在の 本殿は1793年(寛政5)建造です。 神社建築としては、水若酢神社などと 同様に隠岐独特の建築様式で 「隠岐造り」と呼ばれています。 屋根の上部には、千木と堅魚木があり、 さらにその上に雀踊りと呼ばれる横木が 通されているなどの特徴を持っています。 その他、本殿とともに随神門、拝殿横 にある旧拝殿が国の重要文化財に 指定されています。 境内には、八百(やお)杉(すぎ)と いわれる樹齢約二千年の杉が そびえています。 昔、若狭の国から来た八百比丘尼が、 杉の苗を植えたという伝説からその名が ついたといわれる老巨木です。 |
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昔、若狭(福井県)の国から渡ってきた 八百比丘尼(やおびくに)は、この神社に お参りして、記念に杉を植え、八百年後に 再び訪れることを約束したので八百杉と 呼ばれるようになったそうです。 また、この杉の木に耳を当てて心を 静めると、寝ている間に閉じこめられた 大蛇のいびきが聞こえるとの伝えが あります。 |
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玉若酢命神社の神職で社家である 億岐(おき)家です。 この建物も国の重要文化財に指定 されています。 玉若酢命神社と億岐家の詳細は 下記ボタンからお入り頂けます。 |
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いよいよ隠岐空港に戻ってきました。 今回の旅もここまで。 好天に恵まれ、すこし暑かったけど、 充実した4日間でした。 島前三島へ |
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