隠岐諸島・島前三島
 島後  島根県の風景  日本の風景   トップページ
島前(どうぜん)三島は入組んだ海に囲まれた
中ノ島、西ノ島、知夫里島の三つの島で
形成されています。

この島は火山の活動によるカルデラ海に
なっています。陸上ではカルデラ湖になる
ところが、海の中ではこのような湾のような
形態になったものだそうです。

最初、630万年前に焼火山(たくひやま)を
火口とした火山体が形成され、マグマの
大量噴出で地面が陥没し、最初の凹地
(カルデラ)が出来ました。

その後、540万年前にカルデラの中央部で
爆発により中央火災丘が形成されました。
これが現在の焼火山です。

2018年7月に島後から菱浦港に入り、
海士町を巡り、西ノ島北岸を遊覧後、
知夫里島の赤壁を見て海士町に宿泊し、
翌日は西ノ島を周りました。

二日間では回りきれない歴史と海岸美を
持つ島々です。


西郷港から島前へ
島後隠岐の島町から島前に向かうにはフェリーかジェットフォイールのいずれかしかありません。
今回往路はフェリー、帰路はジェットフォイールになりました。フェリーで約1時間強の航海です。
「フェリーしらしま」は3隻あるフェリーの
内の1隻です。胴体に水木しげるの
ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターたちが
描かれています。
今回は8時30分発です。

中ノ島・菱浦港へは約1時間10分の
航海です。

しらしまは総排水量2,343トンで、
乗客定員856名です。
島後・西郷港の全景です。

右手の方にはジェットフェリーの
発着場もあります。
船内は6デッキまであります。

ここは2等室で4デッキです。

2デッキに車両が積まれます。

画面にポインターを置くと
特2等室をご覧いただけます。
2等とどう違うのかよく判りません。
4デッキにはフロントとショップが
あります。

航行中も船内での移動は自由です。
島後西郷地区の風景です。

正面の赤い橋は西郷大橋です。
西郷岬灯台と崖の突端・白崎です。

この奥の方に隠岐空港があります。
隠岐の島町津戸沖の風景です、

そろそろ島後ともお別れです。
隠岐の島に近づくと
「三郎岩」の傍を通ります。

既に観光船(手前)が出ています。

朝もやの中で並んで立っている岩です。
中ノ島・海士町の菱浦港が
見えてきました(左端)。

右寄りの大きな建物は今夜の宿、
「マリンポートホテル海士」です。
その上に見えるのは島根県立島前
高校です。
中ノ島・海士町
島前の有人島の一つである中ノ島は一島一町の島で、海士町となっています。
島は面積33.5㎢、周囲は89.1kmの小さな島です。隠岐カルデラの一翼を担っています。
奈良時代から遠流の島として遣唐副使の小野篁をはじめ、承久の乱(1221年)に敗れ、
配流の身となられた後鳥羽上皇は、在島17年余の後、この島で生涯を終えられています。
従い、後鳥羽天皇(後鳥羽上皇)の遺跡も残されています。

島の入口は北西にある菱浦港となります。この港にはフェリーやジェットフォイールも発着
しています。

観光要所は県道317号沿いに集中していますので、島内観光の時間はさ程掛りません。
主体は後鳥羽上皇関係の遺跡と自然の海岸風景です。

明治の文豪小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、隠岐旅行の際「菱浦港」を最も気に入り
8日間も滞在したそうです。港を出た所に八雲夫妻の銅像が建っています。

島の人口は約2,400人で隠岐郡では3番目の人口です。

学校は小学校2校、中学校1校、高等学校1校があります。高校は在籍数は本年度が
1~3年生179名で内半分は島外からの入学者です。

今回の訪問では午前中は島内を回り、午後からは観光船での遊覧で、西ノ島の北東海岸と
知夫里島の赤壁を巡ってきました。好天に恵まれ、綺麗な海を楽しめました。

菱浦港を出た所です。
県道317号線が通っています。
県道沿いに小泉八雲(ラフカディオ・
ハーン)夫妻の銅像が建っています。

ここは小泉八雲が宿泊した岡崎旅館の
跡地だそうです。
現在は「佐渡公園」になっています。
県道沿いに「村上家住宅」が
あります。

今回は車窓からその存在のみを
確認するにとどまりましたが、
内部には資料館があります。

村上家は後鳥羽上皇の公文として
奉公し、上皇亡きあとはその墓守を
務めています。
(公文とは文書などを扱う役職です)

「後鳥羽天皇御火葬塚」の入口です。

この一帯は宮内庁の管轄に
なっています。
道路には宮内庁管轄範囲の印も
入っています。

また、火葬塚の奥には「行在所跡」が
残っています。
「後醍醐天皇御火葬塚」です。

崩御されたのち、京都に遺骨を納める
ために火葬され、その遺骨の一部が
こちらに埋葬されています。

画面にポインターを置くと
塚の全体をご覧いただけます。


「後鳥羽天皇行在所(あんざいしょ)跡」
です。

かつては源福寺と言うお寺があり、
ここを後鳥羽天皇が仮御所として
崩御されるまでの19年間を過ごされた
場所です。

周辺部を含めゆかりの物などは
下記ボタンからお入り頂けます。

後鳥羽上皇行在所跡
「隠岐神社」です。

後鳥羽天皇を祭神として崩御700年
に合わせて建てられたそうです。

本殿は隠岐造りとなっています。

隠岐神社の本殿です。

隠岐神社の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。


隠岐神社
隠岐神社の門前にある
「海士町後鳥羽院資料館」です。

後鳥羽上皇に関する資料や、
隠岐神社に奉納された刀剣類などが
展示されています。

今回は時間の関係で内部の参観は
出来ませんでした。
資料館の前にある「流転の梵鐘」です。

手前の碑文には「1497年(明応6)に
寺院に寄贈されたものですが、
1566年(永禄9)丹波但馬地方の
海賊に略奪されたと伝えられ、その後、
1836年(天保7)に石見の国温泉津で
発見された」と記されており、最後に、
「故あっていまだ帰ってくることなく、
流転の梵鐘と言われております。
いつか帰ってくる日を念じ、この鐘の
レプリカを作りました」との事です。

実物は現在島根県太田市温泉津の
愛宕神社に現存します。
隠岐神社から明屋海岸へ向かう
途中の風景です。

島後同様に田圃の多い所です。
米は自給出来ているのではないで
しょうか。
明屋(あきや)海岸です。
赤崖とエメラルドグリーンの海の
コントラストが美しく映えます。
明屋海岸には、女神がお産をした
という神話が残されており、産屋の
「たらい岩」と「屏風岩」が、海面に
浮かんで見えます。

正面の岩が「屏風岩」です。
下の穴がハート型に見えることから
ハート岩とも呼ばれるそうです。

画面にポインターを置くと
ハート形の穴がご覧いただけます。

このハート形を見つけたのは
地元の人ではなく、朝日新聞の記者が
見つけて町に教えたのだそうです。

海岸の途中で火砕流堆積の
異なる部分があります。
地質的にも変化のある海岸です。

海岸の詳細は下記ボタンからお入り
頂けます。

明屋海岸
明屋海岸から一旦「菱浦港」へ
戻り、ここで昼食をとりました。
菱浦港の広場の前に立っている
「キンニャモニャ踊りの像」です。

キンニャモニャとは海士町発祥の
隠岐民謡で、歌詞には、海士町の
自然と文化・人情が歌い込まれています。

キンは金、ニャは女、モニャは文無し
と聞きましが、「金も女も大好きで、
文無しになっちゃった」という意味なので
しょうか。

踊りの実物にはお目に掛れません
でしたが、銅像の様にしゃもじを持って
大勢の人が踊りまくるのだそうです。
「菱浦港海士キンニャモニャセンター」
内にある食事場所です。
無料休憩所と言えるでしょうか。
お茶のサービスなどは一切ありません。

ここで旅行者支給の弁当を食べました。

お弁当の中身は画面にポインターを
置くとご覧いただけます。

サザエなども入っています。
午後の海上遊覧の船です。

前の席は椅子ですが、後ろは
横長の腰掛けです。
菱浦港の全景です。

右手凸凹屋根が昼食の弁当を
食べた場所です。
三郎岩です。
菱浦港の北東部にある、大・中・小の
3つの奇岩です。
大きい方から「太郎・次郎・三郎」と
呼ばれています。
フェリーで入港する際にも目印に
なっています。
反対側から近づいて見るとこんな感じで、
並んだ岩には見えません。

右から太郎、二郎、三郎岩です。
西ノ島の南東端の風景です。

右の方は島の東北部になります。

西ノ島の東北部の海岸線です。

ここからは断崖と洞穴の連続です。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

西ノ島海岸
西ノ島と中ノ島の東側中間にある
「星神島」です。
オオミズナギ鳥の生息地で
史跡名勝天然記念物です。

地元では雨乞いの神様としても
信心されている島で、島の南東部に
鳥居もあります。
島の鳥居です。
火山岩の特徴的な岩です。
釣人のメッカでもあるそうです。
島の北東部の様相です。
此の辺りが釣り場になるようです。

右端に何やら形の変った岩が
見られます。
釣人が見つけたと言われる
水木しげるのゲゲゲの鬼太郎の
キャラクターに似た岩、右は「ネズミ男」と
左は「ぬり壁」です。
似てる~。
知夫里島です。
知夫里島は、日本の島根県・隠岐諸島に属する島の一つです。
面積は13.7㎢で東京都の墨田区とほぼ同じ面積です。

島根県内唯一の村である隠岐郡知夫村の主島で、村役場が置かれています。
西ノ島・中ノ島と共に隠岐諸島西部・島前三島を構成しています。
島後を含む隠岐諸島の有人島4島の中では最も人口が少なく、600人ほどですが、
タヌキは2,000匹ほどいるそうです。
因みに島前島後で最大の野生動物は隠岐うさきだそうです。勿論、飼育されている
牛馬はいます。

今回は来居(くりい)港に短時間上陸した以外は、海上からの観光のみで、
島内の散策は出来ませんでした。

赤壁の奥にある赤ハゲ山展望台から見ると、島前カルデラの様子が良く判るそうです。
中ノ島菱浦港から観光船で
知夫里島へ向かう途中の中ノ島の
西海岸です。

松ケ崎の灯台です。
中ノ島最南端にある木路ヶ埼灯台
です。
夕陽のスポットになっているようです。
知夫里島最西端の「ウグイガ崎」です。

島の西海岸には数多くの洞窟が
見られます。
船で近づけますが、明暗岩屋の様に
中にまでは入ることはできません。
この様な洞窟が幾つも見られます。

水の青と、岩の赤のコントラストが
感興を呼びます。

画面にポインターを置くと
海の綺麗さをご覧いただけます。
崖に赤みの掛かった岩肌が見えます。

火山により岩の質がいろいろ出ており、
多分鉄分を含んだ岩ではないでしょうか。
「隠岐知夫赤壁」です。
褶曲した赤い岩とあたかも滝のように
縦に流れる白い岩。
なかなかの見ものです。

夕陽が当たるとその赤さが浮き出るので
夕方が一番の見ごろだそうです。
知夫里島の南海岸の様子です。

この先に知夫村の中心街がありますが、
今回はここでUターンして来居港へ
戻りました。
西ノ島の南端黒島鼻と灯台です。
知夫里島を北西側から回り込み、
「来居港(くりいこう)」へと入ります。

この港もフェリーやジェットフォイルが
寄港します。
船着き場にはターミナルも設置されて
います。
知夫村の玄関口となっています。
ターミナルビルの入口です。
来居港を出て、菱浦港に戻ります。

来居港の港口にある島々です。
億に見えるのは西ノ島の南西部です。
西ノ島の最高峰焼火山(452m)です。

山の中腹には焼火神社があります。
西ノ島で説明しています。


海士町(中ノ島)での宿泊は
町の第三セクターである
「マリンポートホテル海士」です。

ホテルと食事の内容は下記ボタンから
お入り頂けます。
海士町ホテル
 島前・西ノ島へ