玉若酢命神社と社家
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社伝によりますと、景行天皇が皇子を各国に分置し、隠岐の国に遣わされた大酢別命の御子が玉若酢命であると伝えられています。
玉若酢命は、この島の開拓にかかわる神と考えられ、神社の宮司を代々勤める神主家の億岐(隠岐)家が古代の国造を称し、
玉若酢命の末裔とされています。
創建は不明ですが、1667年(寛文7)に編纂された古書によれば、天武天皇の勅命ありてこれを奉ず、と書かれているそうです。
境内の随身門、本殿、社家億岐家住宅が国の重要文化財に指定されており、この3件の付属として旧拝殿が重要文化財に指定されています。

境内には八百杉と呼ばれる大杉があります。

神社の隣には社家である億岐家(おきけ)があります。現在も当社の神主がお住みになっており、住宅の一部は展示館になっています。
社家に伝わる駅鈴と印鑑が国の重要文化財に指定されています。
神社の参道と正面に「随身門」です。

随身門の後ろに八百杉があります。

随身門は国の重要文化財に指定
されています。

画面にポインターを置くと
随身門の拡大画像をご覧頂けます。
手水舎です。
正面に拝殿です。

右手に見えるのが八百杉です。
拝殿です。

画面にポインターを置くと
しめ縄の様子をご覧いただけます。
本殿です。
「隠岐造り」の建て方で
隠岐三社共通の建て方です。

1973年(寛政5)の建造です。
国の重要文化財に指定されていいます。

屋根は「出雲大社」、向拝から庇は
一体化しておらず、奈良「春日大社」の
造とは異なります。

堂内は伊勢神宮の様式を採っている
との事です。
旧拝殿です。
1866年(慶応2)の建造で現在の
拝殿が出来るまで使用されていました。

玉若酢命神社と社家の3件の重文の
附(つけたり)として重文に指定
されています。
境内の八百杉です。
左画面は随身門から眺める杉です。
右画面は拝殿入口から眺める
八百杉です。

八百杉のいわれは本ページで
説明していますが、樹齢2千年とも
言われています。
幹の部分は殆ど空洞のため、支柱が
必要なのだそうです。
また、枯枝が落ちるため、ワイヤーで
サポートされています。
杉の根本は20mあります。
国の天然記念物になっています。

白っぽくなっている枝は枯れています。
これらの枝の重量も相当なものなので、
落下すると危険なため、支えられて
います。

画面にポインターを置くと
杉の幹の上部もご覧いただけます。
神社の門前には水木しげるの
キャラクターが置かれています。

キャラクターの傍にある石は
トカゲ岩(今回見られませんでしたが、
日本三奇岩と言われる岩です)の
一部だそうです。26mのトカゲ石の
しっぽ部分が折れて落ちたそうです。
恐らくその一部ではないでしょうか。


トカゲ岩です(資料からの拝借です)
神社の社家・億岐家(おきけ)の
住宅です。
1801年(享和元)に建てられた
隠岐民家形式の住宅です。

内部も見られるようですが、今回
残念ながら内部を見ることが
出来ませんでした。

佐々木家同様玄関は三つあり、
夫々の位に合わせて出入りします。

茅葺きの屋根の厚さは画面に
ポインターを置くとご覧いただけます。
住宅の奥に門があります。

宝物館への入口です。
門の傍に竹林があります。
「佛面竹」と書かれています。
孟宗竹の突然変異によってできた
ものだそうで、根元から 2mくらい
までは節だけがあり、そこから先は
枝が出てまっすぐ上に伸びています。
隠岐の島では、この一角だけにしか
育たないそうです。
宝物館の前の庭園です。
宝物館です。

残念ながら内部の写真撮影は
禁止されています。

玉若酢命神社に関わる品々が
展示されています。

中でも下記三品が国の重要文化財に
指定されています。

「駅鈴」は日本の律令時代には、官吏の
公務出張の際に、朝廷より支給された
鈴だそうです。 現在はこの億岐家の
2個のみが遺されているそうです。
宝物館に展示されている品々です。

唐櫃は1790年(寛政2)に京都御所
新営時、鈴櫃として使用されたものです。

入場券面に印刷されているものです。
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