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山口市は1360年に守護職大内家24代目の大内弘世が居館を 山口に移し、京都を模した街づくりを行い、西の京と言われる ほどに繁栄しました。30代義興、31代義隆の時が頂点と成りました。 義隆は陶晴賢の謀反で自刃。大内家は断絶し、山口は陶を滅ぼした 毛利氏の領地となります。その後山口が注目されるのは幕末に毛利敬親 が藩庁を山口に移し、その後、明治維新への拠点となった時でした。 |
山口市の中心街は 横に細長く、市街地と 湯田温泉街の二つに 分かれます。 県庁は山の手に、 市役所はザビエル記念堂 横にあります。 今回は時間の関係で 緑の○印の個所だけを 回ってきました。 他にも見るべきところは 色々ありましたが、 欲を言えばきりがない 所です。 |
山口県庁です。 環境に恵まれた立地です。 |
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山口県旧県庁舎です。 国の重文に指定されています。 1916年に完成しています。 後期ルネッサンスの様式が 取り入れらています。 下の旧県会議事堂とともに 県政資料館として一般公開 されています。 今回開館前に行ったため、 内部を見ることが 出来なかったのが残念でした。 |
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山口県県会議事堂です。 県庁舎と同時に建設されて います。 塔屋の部分が上部は半円球 下部が直方体になっている のが特徴です。 同じく国指定重文です。 |
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藩庁門です。 文久3年に藩庁が萩から 山口に移された際に 建造されています。 多くの藩の志士がこの門から 京へ旅立ったのだそうです。 県庁の敷地内に保存されて います。 |
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藩庁門の横にある 内堀です。 往時の藩庁舎が 城と同じ役割も持っていた 事が判ります。 |
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県庁の北寄りにある 瑠璃光寺の五重塔です。 国宝になっています。 足利幕府と戦い泉州で 倒れた大内義弘の菩提を 弔うため1442年に 建てられました。 日本で最も美しい五重塔 とも言われています。 ポインターを画面に置くと 別角度からの五重塔を ご覧頂けます。 |
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瑠璃光寺内門と本堂です。 ポインターを画面に置くと 鐘楼と回廊もご覧頂けます。 |
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五重塔の傍に 若山牧水の歌碑があります。 文字は夫人喜志子の書です。 牧水二十一歳の作です。 「はつ夏の 山の中なる ふる寺の 古塔の下に 立てる旅人」 裏画面は司馬遼太郎の 「街道をゆく」長州路から 引用の碑文です。 |
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雲谷庵跡です。 大内氏に招かれた雪舟が ここに居を構え、多くの作品を 生み出しました。 1508年87歳の時雲谷庵で 没しています。 庵は明治初期になくなりましたが、 明治17年(1884)に有志により 再建されました。 |
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常栄寺の雪舟の庭です。 中国留学から戻った雪舟が 大内正弘の母の別邸に築庭 したものです。 母の死後菩提を弔うため 妙喜寺と称しましたが、毛利の 時代に改称され常栄寺と称されて います。 右手の山林を背景にして、 中央が無染池、周囲に立石を配し、 建屋に近い部分に石組を作って います。 史跡、名勝に指定されています。 この石組(裏画面)は 中央に富士山を配し、周辺に 中国の山々をイメージした 石を据えています。 |
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常栄寺の鐘楼門と小書院です。 鐘楼門の向こうには円月庭が 有ったのですが、行った時には 丁度砂利敷きの庭に変えるため 作業中でした。 古木がばさばさと切られていました。 |
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本堂南面にある南溟庭です。 重森三玲の手になる庭で 昭和の石庭です。 石組は七五三で、杉苔で海岸線を あらわしています。 |
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現在は山口の玄関は新山口駅 この山口駅は新山口から 津和野にのびるJR線の駅です。 こじんまりした駅で県庁所在地の 駅とは思えない感じです。 新山口から津和野まではSLが 走っています。 |
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大内館跡に建てられた 龍福寺です。 毛利隆元が大内義隆の菩提寺 として建てたものです。 1881年に焼失しましたが、 1883年に大内村興隆寺の釈迦堂 を移設したものです。釈迦堂は 室町時代(1479年)に建てられた ものと思われます。 国指定の重文です。 |
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龍福寺の参道は綺麗な並木に 成っていました。 両側に色々な石や遺跡が 並んでいましたが、説明板を 撮り忘れて詳細は不明です。 |
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龍福寺を出てすぐのところに 西田幾多郎の居住住宅が 有りました。 明治30年9月に山口高等学校に 赴任、明治32年7月に金沢へ 転勤するまで住んでいました。 この頃の山口高には河上肇、 片山正雄、鮎川義介などが いたそうです。 昭和3年京都大を定年退職し 昭和15年に文化勲章を受章。 昭和20年6月に75歳で亡くなって います。 |
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ザビエル記念堂です。 1952年にザビエル来訪400年を 記念して献堂されましたが、 1991年焼失、1998年に再建 されたものです。 二つの塔は53mあり、右の塔には 九つの鐘が付けられています。 堂内は撮影が禁止でしたが、 光と水をテーマにした十字架と ステンドグラスが飾られています。 裏画面がご覧いただけます。 |
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ザビエル記念堂の前は 亀山公園になっています。 街中に小高い丘が有ります。 この丘が公園で、付近には 博物館、美術館もあります。 |
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山口で許可をもらい、 初めて宣教を行った ザビエルの像が 公園の入口にありました。 |
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公園から眺めた 左県庁です。 その前に旧県庁舎や 県議会議事堂も見えます。 中央山裾には瑠璃光寺五重塔 も見えています。 |
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更に東寄りの山口市内の 眺めです。 正面臙脂色の三角屋根は 龍福寺本堂です。 |
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南東の方角です。 これより南〜西は樹木のために 眺望が遮られていました。 京都同様に山に囲まれた盆地で 中央部には清流(一の坂川)が 有りました。 |
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中原中也記念館です。 記念館は中也の生家の跡地に 建てられています。 中也は明治40年(1907)に 湯田温泉で生まれています。 大きな医院であった生家は 1972年に焼失し、その跡地の 一部に記念館が1994年建設され ました。 内部の写真撮影は禁止です。 |
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記念館の前に立っている碑です。 ポインターを画面に置くと 記念館の北側からの部分が ご覧頂けます。 |
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今回の山口市内では最後の 訪問地は龍蔵寺です。 本尊の大日如来像は平安時代 中期の作とみられており、山口では 最古の仏像です。 698年役小角がここで熊野権現を 勧請し、741年行基が自ら 千手観音を彫りこれを奉安し、龍蔵寺 と名付けたのが最初と伝えられて いるそうです。 国の重文に指定されています。 境内には色々なものが有って 結構賑やかなお寺でした。 |
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山門です。 1818年の建造です。 |
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寺の本堂です。 山門と同様1818年の建立です。 |
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高さ10mの大聖青不動明王です。 平成元年に山口県の第十二番目の 不動明王として奉納されています。 |
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左は本堂の奥にある 鼓の滝です。 上段16m、中段3m、下段18m の三段滝です。 見えているのは中段と下段です。 中段が短く縊れていることから 鼓の滝と称されるようです。 別名吉敷の滝とも言うようです。 山口三名滝と言われています。 右は天然記念物の銀杏です。 樹高45m、樹齢550年。 日本で26本の天然記念物の銀杏 の中で2番目の高さ、古さとのこと。 |
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境内にある雪舟作と伝えられる 流水の庭です。 昭和32年に日本築庭師重森三玲 により復元されたものです。 裏画面は 下から見た庭です。 |
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