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関ヶ原の合戦後毛利輝元は元就の次男の吉川元春の三男である吉川広家に 岩国藩の統治を任せました。1608年には吉川広家により岩国城が築城されましたが、 8年後には一国一城の制度により岩国城は取り壊しとなりました。 現在は1962年に復元された岩国城が有ります。 |
岩国といえば「錦帯橋」 元は三代領主 吉川広嘉が1673年に 作らせた橋です。 完成直後に流失し、 1674年に作られた2代目 の橋はその後昭和初めまで 250年以上流失することなく 維持されてきました。その後、 1950年に台風のため流失、 1953年に再建されたのが 現在の橋です。 老朽化により2001年〜 2004年に掛け替え工事が 行われました。 正面奥の山は 横山で岩国城が 見えています。 |
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横山から眺めた錦川と 錦帯橋です。 橋の右手に消波のための 石積が続いているのが 良く判ります。 川は左手から右へと 流れています。 |
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横山頂上にある 岩国城天守閣です。 1608年に竣工した城は 1615年に廃城とされ、 1962年に図面をもとに 復元されています。 日本100名城の一つに 選ばれています。 城の後ろには旧天守閣 石組が発掘復元されて います。(ポインターを 画面に置くと石組が ご覧頂けます) |
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岩国城からの 岩国市街全景です。 逆光で少し見ずらいですが 瀬戸内に流れ込む 錦川をご覧頂けます。 |
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横山の麓にある褒忠社から 山を眺めました。 4月下旬なので、桜には 遅かったですが、八重桜が まだ咲いていました。 |
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吉川氏の歴代の神霊を 祀る吉香神社です。 1728年に創設され、 1886年に吉川氏の居館跡 である、この地に移設 されています。 国の重文に指定されています。 |
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1885年吉川氏居館跡が 公園として公開された際、 堀端に建てられた 錦雲閣です。 絵馬堂になっています。 |
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吉川資料館です。 元は1793年に建てられた 昌明館で七代吉川経倫の 隠居所でしたが、その後 解体され現在は長屋二棟と 門のみが残されています。 ポインターを画面に置くと 長屋をご覧頂けます。 |
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吉香公園の傍に建っていた 佐々木小次郎の銅像です。 吉川英治の「宮本武蔵」 では小次郎は岩国に生まれ 柳や燕相手に「燕返し」を 編み出したと言われて います。 ポインターを画面に置くと その「柳」をご覧 頂けます。 ページトップへ |
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萩は江戸時代に毛利氏の治める長州藩の本拠でした。阿武川の下流橋本川と松本川に挟まれ、 日本海に面した三角州に形成されている街です。 1608年に毛利輝元が萩城を築城。以降、長州藩36万石の城下町として栄えました。 幕末に吉田松陰、木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文などの人材を輩出したことで有名です 城下町の佇まいがそのまま残されていることから萩は街が博物館といわれています。。 |
萩市内は橋本川(下)と 松本川(上)の二つの川に 挟まれています。 今回、萩市のガイドさんにお願い して街を廻りましたが、半日では 旧城下町を廻るのが精一杯で 地図左寄りの緑の○印を一巡 しただけでした。 別途、右側の○印は自分で 前日夕方と翌日朝早くに 回ってきました。 ゆっくり時間を取ったつもり でしたがガイドさんの説明を 受けたこともあり、余り多くは 回れませんでした。 じっくり回るには二日ほど 必要でしょう。 |
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日本海に面した指月山の麓に 築城された萩城の跡です。 日本100名城の1つです。 内堀の左端にある石垣が 天守閣跡です。 後ろの指月山にも山城が 造られていましたが、現在は 何も残っていないそうです。 |
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犬走り(手前部分)と 天守閣跡です。 明治の廃城までは 下の写真のような天守閣が 存在していました。 明治初期の写真で、天守閣の 高さは14.4mあったそうです。 |
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指月山と城跡の一部です。 山頂までの道が有るそうですが、 登るのは諦めました。 桜の木も多く、花時は格別の 眺めだろうと思われます。 |
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日本海に面した城跡です。 干潟を埋め立てた後に築城 されたのが良く判ります。 |
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堀の内にある 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 です。武家屋敷の中では もっとも大きく全長51.5m あります。1856年の建造です。 国の重文に指定されています。 ポインターを画面に置くと 内側の様子がご覧頂けます。 |
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繁澤家長屋門です。 桁行35.5mあります。 この地区にはこうした 上級藩士の家屋が数多く 残されています。 |
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旧益田家(一万二千石の 永代家老の家筋)の 物見矢倉です。 |
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旧周布家長屋門です。 萩の堀の内、城下町には 江戸時代の建造物が多数 残っており建築家が沢山 訪れるとのことでした。 ポインターを置くと 建物の内側がご覧頂けます。 |
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萩城の北の総門です。 総門は北、中、平安古の 三つありました。 この門は2004年に復元再建 されたものです。 この門から内側が堀の内で 下級武士や一般人は簡単には 入れなかったそうです。 |
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萩の城下町は江戸時代の 佇まいをそのまま残しており、 国指定の史跡となっています。 幕末の維新の志士達の生家や 住居跡が残されており、又、 豪商の家なども多々あります。 |
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石垣と塗り壁の塀の家も 結構有りました。 一般市民が土地を買って 中に家を建てて住んでいる そうです。 |
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萩の街を歩いていると なんかタイムスリップを したような感じを受けます。 京都、奈良とも少し違った 雰囲気が有ります。 |
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旧久保田家住宅は近江から 萩へ移転してきた初代が 呉服商を開き、二代目からは 造り酒屋として営業してきた そうです。 店舗は御成街道に面しており、 向いの菊屋同様に城主の客の 接待場所としても利用された そうです。 建物は幕末から明治にかけて 建築されたものです。 |
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久保田家の向かいにある 菊屋家住宅は国の重文に 指定されている町屋です。 菊屋家は1604年に毛利輝元と ともに山口から萩に移った 豪商で、この住居もしばしば 上使の接待場所になった そうです。 ポインターを画面に置くと 菊屋家のなまこ塀のある 屋敷側面がご覧頂けます。 |
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菊屋家の邸内には小さな 数多くの借家が有ったそうで、 その内の一軒に幕末の藩主の 籠かきであった田中家が住んで おりその三男として生まれた のが田中義一でした。 彼は13歳で小学校の代用 教員をやったそうです。 昭和2年には内閣総理大臣に なりました。 |
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その、田中義一の銅像が 御成り街道の突き当り、 萩博物館の前に建てられて います。 |
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萩市の東寄りにある黄檗宗 東光寺の三門です。 東光寺は毛利吉就が1691年に 建立したものです。 この三門は1812年に毛利斉煕が 寄進したものです。重文です。 三代藩主吉就及び5〜11代の 墓所があり、毛利家の菩提寺と なっています。 萩市の西寄りに初代秀就の墓の ある大照院があり、こちらには 2代〜12代までの偶数代の 墓が有ります。 |
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総門は元禄6年(1693年)に 建立されており、重文です。 前日夕方に訪れた際は既に 閉門となっており、翌日の朝 改めて訪れました。 丁度太陽に面する形で 逆光になっています。 三門に比べると簡素な造りで 京都黄檗山万福寺に範を 求めた造りだそうです。 |
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東光寺奥にある毛利家廟所です。 3〜11代とその夫人の墓10基が 並んでいます。 神格化されているのか墓標の前に 鳥居が建てられています。 前庭には家来から寄進された 燈籠500余基が綺麗に並べられて います。 この燈籠は家臣が君主に殉ずる 代わりに寄進したものだそうです。 ポインターを画面に置くと 元就と夫人の墓碑がご覧 頂けます。 |
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燈籠は同じものが幾何学的に 並んでいると一種異様な感じが しますが、往時の領主のパワー をも感じます。 |
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東光寺本堂大雄寶殿です。 正面の黒枠の垂れ幕は 現世と仏の世界を分かつ 仕切りなのだそうです。 1968年建立の重文です。 |
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東光寺の近くに 吉田松陰の生誕の地があります。 建物はなく、元の家の敷地あとに 間取りを復元しています。 手前は納屋(左)厩(右)です。 その奥に手前から台所、居間、 表座敷と続いていたようです。 実家の杉家は禄高26石で それほど広い家ではなかった ようです。 奥に見える石碑は山形有朋が 揮毫した 「吉田松陰先生誕生之地」碑で 1922年建立されたものです。 |
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同じ場所に吉田松陰(左)と 高杉晋作(右)の墓が ありました。 このクラスの人になるとあちこちに 墓が出来るのでしょう。 東京、京都にも墓が有ります。 |
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松陰神社の入口です。 境内に松下村塾や 松陰の幽閉されていた実家の 杉家遺構、歴史館、宝物館など が在ります。 |
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松陰神社です。 吉田松陰が祀られています。 長州の人には絶大な人気が あるようです。 1890年実兄の杉民治が松陰の 遺言により小さな祠を当地に 作ったのが最初で、その後 伊藤博文などの尽力で 松陰神社として明治40年に創建 されました。 東京の松陰神社(世田谷区)は 1863年に松陰の墓が移設され 1882年に門下生により 創建されており、萩より早く 出来ています。 ポインターを画面に置くと 本殿がご覧いただけます。 |
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松陰神社の境内にある 松陰の実家で 1885年にここで5年間 幽閉されています。 ポインターを画面に置くと 幽閉されていた部屋が ご覧頂けます。 |
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松下村塾の建物です。 松陰の叔父玉木文之進が 1842年に自宅で私塾を開き、 ここで松陰が講義を行った ところです。 松陰が投獄された1885年に 閉鎖されました。 ポインターを画面に置くと 家屋の全体がご覧いただけます。 |
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松下村塾の内部です。 ここで松陰が講義を行って いました。 |
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