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広島県
広島県は旧国制の
安芸(西側)と備後(東側)の
二国から形成されています。
広島市は中国四国地域で
最大の都市です。ご存知のように
世界で初めて核爆弾の洗礼を
受けています。
宮島と原爆ドームは世界文化遺産に
登録されています。
最近はNHK大河ドラマ「平清盛」の
影響から宮島、呉(瀬戸の音戸)など
訪れる人も多いようです。
広島と言う名前は毛利輝元が広島城
築城に際し、命名したものです。

広島市 宮島
広島市
広島市は広島県の県庁所在地です。人口は118万人で政令指定都市です。
野球の広島東洋カープは市民球団として有名です(但し一般市民が株主と言うわけでは
ありません)。自動車のマツダが筆頭株主ですが、松田家が過半数の株を所持しています。
広島市内は今回約50年振りの訪問です。従い、市内の記憶はほとんどありません。
広島は福岡、札幌と同様、単身赴任のサラリーマンが多いそうです。支店経済と呼ぶようです。
時間の関係で広島市内は殆ど回れませんでした。広島城も周囲を走っただけで、駐車場もなく
外から眺めるのが精一杯でした。帰りの航空便が霧のためキャンセルとなり、何とか次の便に
乗れましたが、これなら最初から遅い便にして広島市内をゆっくり回ればよかったと、反省頻りです。
広島と言えばやはり
平和記念公園の
原爆死没者慰霊碑が
はずせないでしょう。
学生や観光客が大勢参拝に
来ていました。
その中で瞬間的な静寂が
有りました。
正面に原爆ドームが入りました。
手前に平和の灯、その向こうに
平和の池、慰霊碑そして
平和祈念資料館本館が
望めます。
外国人が広島の撮影に来て
いました。
彼らにとって、広島はどのように
受け止められたのでしょう?
資料館にも多くの外国人が
参観に来ていました。
k お馴染み原爆の子の像です。
全国からの千羽鶴が
ブースに飾られていました。
原爆ドームです。
世界文化遺産に登録されて
います。

画面にポインターを置くと
別の角度からの
原爆ドームがご覧頂けます。
鈴木三重吉文学碑です。
三重吉の肖像には
「赤い鳥」と記されていました。
原爆ドームの前にあります。
あちこちに生徒、学生の
グループが見学に来て
いました。

集合時間を決めてあとは
自由参観のようです。
資料館ではボランティアの
説明員が求めに応じて色々
説明はしてくれます。

若い人はどのような印象を
持つのでしょうか?
広島平和記念資料館本館です。
左手に東館が有ります。
入場は東館からとなります。
記念館の前にある
祈りの泉です。

記念館も広島城も
観光バス用の駐車場は
有りますが、自家用車の
駐車場が有りません。
市営の駐車場などを探すのに
時間がかかります。
日曜日などは河沿いの道路が
駐車場代わりになるそうです。
平和大通りに面した公園入口
に建っている
嵐の中の母子像です。
広島婦人連合会が
核廃絶への努力を呼びかける
ために1960年に建てた
そうです。





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宮島
宮島は広島県廿日市市にある島です。日本三景の一つです。
島内の厳島神社は世界文化遺産に登録されています。
厳島神社は京都六波羅、神戸福原とともに平家の栄耀栄華の舞台となりました。
この宮島は神の島として島民の弔いを島内ですることを許してきませんでした。服喪期間中は
島内に住むことも禁じられました。
弥山を中心とする島内は暖地標準林で、天然記念物など色々な指定を受けています。
水上から眺めた
厳島神社大鳥居と
本殿です。
大鳥居は修理中でした。
雨降りのため画面が鮮明で
ないのが残念です。
この画面ではまだ脚部は海水に
浸かっています。
上陸後は鳥居の下まで
行けるほどに潮が引きました。
海上からの厳島神社全景です。
左は五重塔と千畳閣、正面は
御笠浜、右手鳥居の先は大願寺
です。
弥山は雲の中でした。
厳島神社は奈良と同じく
野生の鹿がいます。
街中でもうろうろしていて
商店の中を覗き込んで
いました。
海岸沿いには「史跡及名勝厳島」
の石碑が立っていました。

この海岸は有の浦で尼の洲
とも呼ばれ壇ノ浦で安徳天皇と
入水した清盛の妻二位の尼の屍が
流れ着いたと言われる所です。

厳島を廻るのにガイドさんを
お願いしました。
ボランティアガイド(有料)でしたが、
土地の人で清盛のことを大変
評価していました。まあ、当然の
ことでしょうが・・・・
白壁にしゃもじの似合う街です。
このしゃもじは世界一の大杓子
とは違います。
宮島の住宅は間口が狭く、
奥に長い京都の家風が
多いです。瓦屋根が綺麗です。
五重塔と左は豊国神社(千畳閣)
です。いずれも重文です。
千畳閣は豊臣秀吉が1598年に
建設の指示をしましたが、その後
秀吉の死により未完成のまま
現在に至っています。

画面にポインターを置くと
千畳閣の正面が
ご覧頂けます。
東門を入ってすぐの
所にある厳島八景の一つ
鏡の池です。
この池に映る秋の月を詠んだ
古歌が多く残されている
ようです。

画面にポインターを置くと
池の拡大写真が
ご覧頂けます。
厳島神社東門からの
眺めです。
右側(燈籠のある場所)が
平舞台で平安時代に造られ
国宝です。
正面が本殿で国宝です。
1571年に毛利元就により
改築されています。
左手は回廊です。
回廊は幅4m、全長が275m
あります。
本殿祭壇です。
宗像三女神(市杵島姫、
たぎ津姫、田心姫)が
祭られています。
左手は高舞台です。
黒漆塗りの基壇に
朱塗りの欄干です。
現在あるのは1546年に
造られており国宝に指定
されています。
日本で唯一の海上の能舞台
です。重文に指定されている
能舞台5か所のうちの一つです。
この日は干潮で水が無く
ちょっとイメージダウンです。

画面にポインターを置くと
正面がご覧いただけます。
反橋(そりばし)です。
昔は勅使が渡って本殿に
入ったことから勅使橋とも
呼ばれています。
1557年毛利元就・隆元親子が
再建したもで、重文です。
以前は一般に開放され
往来自由だったそうですが、
現在は通行禁止となっています。
平舞台から見た大鳥居です。
現在修理中で余り美しいとは
言えませんし、干潮でひとが
鳥居の前まで行けますので、
荘厳さにも欠けます。
最初の写真から相当潮が引いて
います。
鳥居の高さ16m、重さ16トンで
脚部が埋められることなく
その重さで立っているそうです。
鳥居上部の島木は空洞で
石が詰められておりその重さで
流されることなく直立しています。
主柱は500〜600年ものの
くすの木の自然木で現在の
鳥居は1874年に改築され
平安時代のものから
8代目になります。
西松原から眺めた厳島神社の
全景です。
干潮時の眺めはやはり
今一で、碧い海に浮かぶ朱色の
神社のイメージからは
ちょいと違って見えます。

厳島神社の西門を出たところに
大願寺が有ります。
大願寺は1200年代初めに再興
されたと言われています。
本堂と裏画面の山門は元禄時代
の遺構です。
本堂の前の九本松は伊藤博文が
植えたもので、一本の根から
九本の幹が出ていました。
本堂の中ほどには幕末に
勝海舟と木戸孝允が会談を
行った部屋が残されていました。


画面にポインターを置くと
山門がご覧いただけます。
本願寺から歴史資料館へ向かう
通りです。
古い町並みを感じさせます。

西の松原にある清盛神社です。
1954年に清盛没後770年を
記念して建てられた神社です。
暴れん坊も770年たてば
神様になりました。
大元(おおもと)神社です。
手前が拝殿、奥は本殿です。
神社は国指定の重文です。
厳島神社が出来る前からある
神社だそうです。
拝殿には奉納額が沢山
掲げられています。
毎年5月15日に船で島を一巡し
浦浦の神社9社を廻って
最後に此処に来るので、
「御島廻」達成の額が奉納される
ようです。
馬も奉納されていますが、
これを簡略化したのが絵馬と
なるのでしょう。

画面にポインターを置くと
拝殿内部がご覧いただけます。
僧周歓が1523年に建造したと
伝えられています。
現在は厳島神社に属しています。
桜の木が多いので
花の季節は眺めが素晴らしい
だろうと思いました。
厳島神社とその周辺部が
鳥瞰出来ます。
国指定の重文です。
多宝塔の南寄りに
大聖院があります。
弥山本坊大聖院と称するように
弥山の登り口でもあります。
境内には多種多様のお堂、
仏像が並んでいます。
チベット仏教の拝殿まであります。
拝観料は無料なのがいいです。
時間が有れば宗教的建造物、
仏像、眺望をゆっくり楽しめます。

開基は806年空海と言われて
いますが、定かではありません。
宮島で最古の寺院で厳島神社の
別当寺です。
写真は御成門です。
右手観音堂、中央に摩尼堂、
左手に勅願堂があります。
勅願堂から摩尼堂までの階段に
摩尼車が並んでいます。
チベット風です。

境内の建造物は1887年の
大火で焼失。現在のものは
その後に修復されたものです。
従い、重文等は梵鐘と不動明王像
の2件のみです。

裏画面は摩尼車です。
神仏混合の名残なのか、
大聖院の仁王門には鈴が
ついていました。
仁王さんはどんな気分で
鈴音を聞いているんでしょうねぇ。
初めての経験です。
この通りは滝小路と呼ばれて
います。
奥に見えるのは大聖院の摩尼堂。
左手の石垣は神官の居宅や
上卿(しょうけい)屋敷で
元禄時代の建物で国の重文に
指定されています。

画面にポインターを置くと
上卿屋敷(朝廷の奉幣使の
代参を務めた神官を上卿と
呼んだ)の門がご覧いただけます。
薬医門です。
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