兼六園 
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日本三名園として有名な兼六園。国の特別名勝に指定されています。11.4ヘクタールの広大な園内には
築山、池、茶屋などが点在しており、それぞれの景観を楽しみながら廻遊する庭園となっています。
17世紀中ごろに加賀藩の藩庭を起源に、江戸時代には時代を代表する池泉回遊式庭園とされました。
兼六園はただ美しい庭園というだけではなく、江戸時代では、金沢城の防衛という戦略的観点も考慮しながら、
池や山を配していったそうです。
中国の宋の時代の書物『洛陽名園記(らくようめいえんき)』に記載のある、「 宏大(こうだい)」「幽邃(ゆうすい)」
「人力(じんりょく)」「蒼古(そうこ)」「水泉(すいせん)」「眺望(ちょうぼう)」 という相反するすぐれた景観の六勝を
兼ね備えていることから1822年に兼六園と名付けられました。
兼六園と言えば「徽軫灯籠(ことじとうろう)」
と手前に「虹橋」です。奥に広がる池は
「霞が池」で左手奥に見える島が「蓬莱島」です。
 
虹橋の向かいに「眺望台」があります。

ここからは兼六園の六勝の一つ「眺望」を
味わうことができます。

下は少しピントはずれですが、説明板です。
「左のはるかに横たわる稜線は内灘砂丘、
その向う側は日本海、砂丘が右に尽きるところ
から能登半島が北にのびている。正面の山は
卯辰山、右は遠く富山県境の医王山がのぞまれる。

「月見灯籠」です。

曲水が霞ヶ池に流れ落ちる少し手前にかかる
月見橋。そのたもとにある、園内唯一の
月見灯籠です。
高さは2m10cm、石材は御影石です。
満月をイメージして、笠や中台、火口も
円形となっています。
奥に見える橋は「雁行橋」です。

十一枚の赤戸室石出で雁が列をなして
飛んでいる姿に作られています。
「かりがね橋」とも呼ばれます。
なお、石一枚一枚が亀甲の形をしており、
別名「亀甲橋」とも言います。
右手「蓬莱島」の方向(南側)からの霞が池の
眺望です。
西側から眺める「霞が池」です。

左手の建物は「内橋亭」で、右の島は
蓬莱島です。蓬莱島は亀の甲の形を
していることから「亀甲島」とも言われます。
栄螺山は13代藩主・斉泰(なりやす)が霞ヶ池を
掘り広げたときの土を利用してつくった築山です。
高さ9m、周囲約90mで、山頂に「避雨亭」と
呼ばれる御亭(おちん)を配しています。
頂上へ登る道は、時計回りでぐるぐると渦を巻き、
まるで栄螺の殻を思わせることから
この名が付きました。

画面にポインターを置くと「避雨亭」をご覧頂けます。

下図はさざえ山にある「三重宝塔」で
1839年(天保10)に建立されました。
先代斉広公の正室真龍院と斉泰公の生母で
側室栄操院が斉広公の供養のために建立した
ものだそうです。
栄螺山を下りたところに「噴水」が
あります。

日本最古の噴水で、水源は霞が池で、
その水圧により自噴しているそうです。
噴水の高さは3.5mあります。
霞が池からの流水を利用した小さい滝も
造られています。
こちらは「水道の遺構」です。
園内を流れてきた辰巳用水が逆サイホンの
原理で金沢城二の丸へ導かれた
水道の遺構なのだそうです。

1632年(寛永9)に作られています。
「桂坂」です。桂坂口へ向かう道です。
桂坂の名前の基となった桂の木が
桂坂の途中にあります。
元の木は幹だけになり、新しい木が
成長しています。
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