ゑしんの里記念館
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恵信尼(えしんに)は1182年(寿永1)の生まれで、京都九条家との繋がりがあるとか、越後の豪族三善一族と縁が深いとか
諸説伝えられていますが、確たることは判らないようです。
1207年(承元1)法難により越後へ流罪となった親鸞と国府の草庵で結婚生活を営んでいました。二人の間には6人の
三男三女の子供が出来、1214年(建保2)には関東の稲田(茨城県)の草庵へ移り、布教生活をしたようです。
親鸞が稲田で「教行信証」を著し、その後京都へ戻っています。恵信尼も親鸞とともに京都に戻ったようですが、その後、
越後へ移り、1268年(文永5)に越後板倉で87歳の生涯を閉じたようです。
我家の宗教は浄土真宗であり、上越市に来た機会に親鸞に関わる場所である、恵信尼を記念する「ゑしんの里記念館」を
訪ねました。

ゑしんの里記念館は上越市の板倉に有ります。
ここは恵信尼の終焉の地であります。

正面の建物が記念館です。
右は親鸞聖人像です。

広い敷地にこぶしが咲いています。
恵心尼が建てたと言われる五輪塔の傍に
樹齢600年のコブシが植わっていたことから
ゑしんの里ではコブシの植樹を信徒に
求めています。 
記念館の近景です。
洒落た建物になっています。
館内の展示室に展示されている
恵信尼の肖像画(複製)です。
藤野正観筆の「恵信尼伝絵」です。
2005年(平成17}に画かれています。
この伝絵は「ゑしんの里記念館」開館にあたり、
恵信尼の生涯を分かりやすく綴った伝記絵を
新たに制作したものです。

左手には恵信尼文書の複製が展示され、
現代語訳も合わせて展示されています。
敷地内にあるコブシの里「恵信尼さま会館」
です。教区内の信徒の手により
2011年(平成23)に落成しています。
儀式に利用できるようです。

画面にポインターを置くと
内部をご覧いただけます。
両側の絵はコブシの絵になっています。
恵信尼公廟所です。
公廟所の奥に立つ「五輪塔」です。

恵信尼が建てたと伝えられ、樹齢600年の
こぶしの古株とともに見つかったそうです。
1957年(昭和32)にこの5尺7寸の石塔が
恵信尼が願った「寿塔」であると認定されました。
記念から眺める妙高山です。
お天気が悪くてガスっていますが、
恵信尼もこの風景を眺めていたのでしょう。
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