新潟県
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新潟県は上越市を中心とする上越地方、長岡市を中心とする中越地方、
新潟市を中心とする下越地方及び佐渡市が一島一市となる佐渡地方の
4つの地域から成り立っています。
新潟市は北陸地方唯一の政令指定都市となっています。

越後と言えば上杉謙信でしょう。彼は1530年越後守護代長尾家の
四男として、現在の上越市にある春日山城で出生しています。
1548年には兄、晴景に代わり守護代となっています。
その後、1551年には越後の国主となり、越後統一を成し遂げています。

その後の、武田信玄との抗争での川中島の戦いなど、有名な逸話を
数多く残しています。

昭和に入ってからは田中角栄の存在を忘れることはできないでしょう。
新潟県を地盤にして、小学卒の田中角栄が宰相として辣腕をふるったのは
吉田茂にも比肩されています。

新潟県にはたびたび訪れていますが、仕事絡みも含め現役の時代が多く、
フィルムカメラの時代で掲載できる写真がほとんど残っていません。
佐渡島を始め、温海温泉、弥彦神社や中里、湯沢のスキー場など行った場所も
色々です。

今回(2015年4月)、北陸新幹線が開通し知人の招きもあり上越市の
高田の桜見物を兼ね、春日山城跡などを廻ってきました。

上越市
新潟県で三番目の人口を有する特例市です。1971年に高田市と直江津市が合併して出来た市で、2005年にも
周辺の13町村を編入し、面積は4倍となり、佐渡市を超えました。
守護代上杉家の居城があり、上杉謙信も春日山城に居を定めましたが、1607年には春日山城は廃城とされ、
1614年に高田城が築城されました。1971年に高田市と直江津市が合併して上越市が生まれました。
上越市は前述の如く高田市と直江津市が合併して出来た市なので、
面積は広いです。
交通機関も北陸新幹線の開通により、上越妙高駅ができ、従来の信越本線は
一部が第三セクターであるえちごトキめき鉄道(糸魚川〜直江津:
日本海ひすいライン、直江津〜妙高高原:妙高はねうまライン)となり、
従来からの第三セクター鉄道である北越急行も越後湯沢から北陸への
足として利用されています。
関東地区との距離がうんと短くなりました。

高田には高田城跡が有り、高田公園の夜桜は日本三大夜桜として有名です。
(他二つは上野公園、弘前城址公園)
また、上杉謙信の居城であった春日山城跡や春日山神社、謙信の墓のある
林泉寺など色々と見どころのある街です。

直江津は親鸞が流された地であり、親鸞に関わる歴史的見どころもあります。
今回は親鸞の妻であった「恵信尼」の記念館である「ゑしんの里記念館」を
訪れてきました。

2015年3月14日に開通した北陸新幹線に
4月14日に乗車。東京駅から上越妙高まで
乗車しました。
上越妙高駅に停車するのは「はくたか」で
左手に停車中の車両は「かがやき」で大宮
から長野、富山、金沢のみに停車します。
東京〜金沢を2時間半で繋ぎます。

入線中の「はくたか」は上野、大宮、高崎、
佐久平、軽井沢、上田、長野、飯山、
上越妙高と結構停まりますが、それでも
東京〜上越間は2時間15分で結ばれます。

北陸新幹線の開通で、関東と北陸は
時間的には指呼の距離になりました。

2014年の4月に東京駅から上田駅まで
長野新幹線に乗車しましたが、1年で
鉄道の世界も変化しています。

高崎駅です。
上越新幹線と北陸新幹線の分岐点に
なっています。
北陸新幹線の起点にもなっています。
それ以外では上越線、高崎線、八高線、
信越線、両毛線、吾妻線の起点になって
います。

私鉄では上信鉄道がこの高崎駅から
群馬県下仁田駅まで走っています。
途中には世界遺産になった富岡製糸工場
があります。
信濃路の車窓からの風景です。
長野県飯山付近の千曲川の流れです。
上越妙高駅に近づくと妙高山が
綺麗に見えます。
2015年3月14日に開業した
北陸新幹線上越妙高駅です。
上越市の中心高田へ向かいます。
高田公園の南堀から眺める
青田難波山(949m)です。
雪と桜のコラボレーションが山国の春を
感じさせてくれます。
下図のAからの眺めです。
高田公園の南端にある
高田図書館です。
上図Bです。
忠霊塔と桜です。(C)
忠霊塔は1943年に落成しています。
戦没者が合祀されています。
慰霊塔の前にある樹齢100年の
調査木で、この桜が開花の基準に
なっているそうです。(D)
樹種はソメイヨシノです。
桜プロムナードと呼ばれる
桜通りです。満開の桜がトンネルを
作っています。(E)

画面にポインターを置くとプロムナードの
夜桜がご覧いただけます。
高田城三重櫓です。(F)
高田城は松平忠輝により1614年(慶長19)に
築城されています。
高田城には天守閣や石垣が有りません。
これは4か月と言う短期間に造られたためと
思われます。豊臣家との決戦を控えて完成を
急いだと言われています。

画面にポインターを置くと同じ場所の
夜景をご覧いただけます。

高田城の詳細は下記ボタンからお入り
頂けます。
高田城三重櫓
内堀に架かる極楽橋です。(G)

画面にポインターを置くと
橋の反対側から眺めた夜景を
ご覧いただけます。
高田城跡のある三重櫓と桜です。(H)
内堀に並ぶ桜の木です。(I)
堀には散った桜の花で花筏が
出来ています。

画面にポインターを置くと
同じ場所の夜景がご覧いただけます。
園内にある小林古径の旧居です。(J)
小林古径は高田市の出身ですが、
その活動は東京大田区の馬込でした。
この建物は馬込から移設されています。
国の有形文化財に指定されています。

小林古径旧居の詳細は下記のボタンから
お入り頂けます。

小林古径旧居
園内に設けられている
上越市立総合博物館と
小林古径記念美術館の入口です。(K)

館内の様子は下記ボタンからお入り
頂けます。

博物館・美術館
博物館の二階からの眺めです。(L)
赤い橋は西堀橋です。
右手は高田市街です。
正面の山は難波山です。
左は南葉山になります。
旧JR信越本線(現在はえちごトキめき鉄道)の
高田駅です。
独特の雰囲気を持った駅ですが、
雪の量を考えずに作った駅として地元では
不評だったそうです。

現在、駅周辺は高田の特徴である
雁木づくりを模したアーケード街と
なっています。

画面にポインターを置くと
アーケード街をご覧いただけます。
高田の古い町並に続く雁木です。
雪が積もっても往来できるように
考えられています。

家々の屋根に梯子が置いてあります。
これは雪下ろしのための梯子で年中
取り外すことなく、設置したままになって
います。

高田の街並みと古い家は下記のボタンから
お入り頂けます。

高田の街並み
高田の北、直江津寄りにある春日山城址です。
石垣の上では上杉謙信の像が立っています。
謙信は川中島の方向を見ているそうです。

傍には春日山神社があります。

春日山城址と春日山神社の詳細は
下記のボタンからお入り頂けます。

春日山城

春日山神社の入り口です。
神社の境内には武将の衣装を着けた
案内の人が待機しています。
彼は上杉おもてなし武将隊の一人で、
上杉謙信の役を担っています。
県外から来た人たちを主として遇する為
組織されたボランティアの人達です。
総勢5名いますが、何時でも遇えるわけでは
なさそうで、出陣の日時が決まっているようです。
時には立ち回りもやるようです。
此処だけではなく、あちこちで出演しているので、
彼に遇えたのは運が良かったのだそうです。
朝少し早めだったこともあり、他に観光客も
おらず、彼を独占状態でした。

我々が千葉県佐倉市の臼井から来たと
伝えると、
「おう、臼井城は我れが戦で負けた場所である」
と臼井城での謙信の敗北も知っており、
謙信に関わる歴史も十分勉強されていることが
よく判ります。
春日山神社の近くにある林泉寺です。
ここには謙信の墓もあります。

この惣門は春日山城から移設されたもので
春日山城で残された唯一の建造物だそうです。
1497年に越後国守護代長尾能景(よしかげ)公
が亡父重景公の17回忌にあたり、長尾家の
菩提所として創建されています。

能景公の孫である上杉謙信は六世天室光育
大和尚に学問を学び、七世益翁宗謙大和尚に
禅の教えを学び、悟りを開いたと言われます。
それにより、謙信の肖像画は僧帽を冠って
描かれています。



林泉寺の境内に上杉謙信公のお墓が
あります。
墓の周囲を林泉寺由来の僧侶たちの墓が
取り巻いて謙信を守っています。


林泉寺の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

林泉寺
高田駅の近くに浄興寺があります。
この寺は親鸞が建立したと言われています。
越後直江津(国府)に流された親鸞は
その7年後に常陸の国稲田へ移り、
1224年に浄興寺を創設、そこで「教行信証」を
著しました。親鸞は1262年京都で没し、遺骨は
浄興寺に納められました。

浄興寺はその後、様々な変遷を経て、1567年に
謙信の招きもあり、春日山城下に移りましたが、
上杉家会津転封により、高田へと移り、
1665年の高田大地震による崩壊の後、
この場所に再建されました。

本堂は国の重要文化財に指定されています。
境内にある親鸞の像です。

反対側には聖徳太子堂があり、
聖徳太子の若いころの像が祀られて
います。

画面にポインターを置くと太子堂も
ご覧いただけます。

親鸞の妻となった恵信尼はその動向に諸説
あるようですが、親鸞との間に7人の子を
儲け親鸞に従って布教活動を行ったことは
事実のようです。

恵信尼は越後の豪族、三好為教の娘で、
知識レベルの高い女性だったようです。
西本願寺宝物庫で見つかった真筆の手紙
10通が有ります。この手紙の内容は格調が
高く、表現も豊かであるとの事で、彼女の
文化水準を示すものと言われています。

恵信尼は晩年を越後の板倉で過ごしたと
伝えられており、この地に記念館が設けられて
います。

記念館の詳細は下記のボタンから
お入り頂けます。


えしんの里記念館
妙高市
妙高市は元の新井市に2005年妙高高原町と妙高村が編入されて出来た市です。南は長野県に
接しています。市の中心は新井に集中していて、妙高山の麓を中心に温泉が多く、有名なスキー場も
数多くあります。
妙高市は国道18号線に沿って広がる街です。
新井地区に行政官公庁が集中しています。
市内に妙高高原を擁し、スキー場と温泉の街です。
妙高高原駅までは新潟県内で、トキめき鉄道妙高はねうまラインが
直江津から繋がっています(旧JR信越本線)。
妙高高原駅から長野駅まではしなの鉄道になります。

今回は妙高市に入ってから天候が悪くなり、ガスも発生し、
妙高高原近辺は走行取りやめ、早めのチェックインをしました。

宿泊は知人の勧めもあり、妙高温泉にしました。静かな町です。
スキー期間はお客も多いのでしょうが、桜の時期にはそれほど
混み合わず、お風呂もゆったりと入れます。
妙高市中郷区にある松が峰地区です。
お天気が悪く、良く見えませんが、
この地区も桜が多いそうです。

既に開花していますが、空の白、
雪の白、で花が良く見えません。

あちこちに桜並木が有ります。

この地区にはゴルフ場も多く、
写真のネットの向こうもゴルフ場です。
五月の連休のために開場を急いで
いるようです。
この雪で大丈夫なのかねぇ。
妙高温泉の香風館です。

4階建てですが、各階には3〜4部屋
しかないので、こじんまりしたホテルです。
従業員も家庭的で、翌朝、帰りの際に
女将さんが見送ってくれ、息子さんが
運転して駅まで送ってくれました。

良く似た親子でした。
午後4時過ぎで人通りはありません。
是と言ったお店もありません。
周辺を散歩して、大杉神社(天神社)へ
出ました。
積雪の後で、参道も落葉で見えません。
神殿の前に天然記念物の大杉が
有ります。
傍に立つ人物と比較してみてください。
正面の細い杉の向こうに大杉が
あります。
どの杉も立派で社殿が小さく見えます。
神社から宿へ向かう途中に
堀口大学の疎開した家跡が
有りました。
奥さんの実家だったようですが、
現在は建物はありません。
共同浴場がありました。
関川(大湯)共同浴場です。
入浴料は町内の人は60円、
一般は200円だそうです。
池之平温泉からの引き湯で
掛け流しになっているそうです。


宿舎の香風館の浴室です。
離れになっています。
内湯と内湯に繋がった露天風呂が
有ります。

冬季は露天風呂がクローズとの
事で、入浴はあきらめていたのですが、
入れるようになっていました。
離れの玄関です。
立派な休憩室が有ります。
内湯です。
単純泉で源泉は妙高山麓の
地獄谷となっています。
正面硝子戸の向こうが露天風呂です。
露天風呂には保温シートが敷かれて
湯の温度の下がるのを防いでいます。
入る時に隙間をあけて、上がる時には
シートを戻します。

初めての経験でした。
なかなか良い湯です。

画面にポインターを置くと別角度からの
露天風呂をご覧いただけます。
夜の食事はスキーヤーズセットと
言う事で豪華版ではありませんが、
十分な量です。湯上りのビールの
美味いこと。

左が天ぷらで、皿の左端から
こごみ、行者にんにく、エビ、タラの芽
です。

右はのっぺい煮で銀なん、レンコン、椎茸
人参、小芋などが煮染めてありました。
妙高高原駅です。
えちごトキめき鉄道の起点であり、
しなの鉄道の起点でもあります。
長野から直江津に向かうにはここで
乗り換えになります。
駅の周辺も閑散としています。
スキーシーズンは人で溢れている
のでしょうが、今は静かなものです。
駅前の観光案内所も訪れる人が
いないようです。
駅構内も人影無し。

この左手に待合室が有り、
地元のおばあさんとお嫁さんが
時間待ちしていました。
娘さんが美容師で長野市内の
お店まで行くのだそうです。
お嫁さんがいつも同行してくれると
嬉しそうでした。飴玉を頂きました。

長野までの切符は830円、Passmoは
利用できませんでした。


しなの鉄道の車両です。
長野行きになります。
反対車線には直江津行きの
えちごトキめき鉄道の車両が入ります。
概ね、ここで乗継が出来るような
時刻表になっているようです。

この車両は扉を開けるときは手で開けます。
閉まるときは自動です。

9時07分発長野行きですが、
長野までの間に結構な人数のお客が
乗降しました。
次の長野行きは11時までありません。
関川に架かる関川の関所跡への橋です。
電車から一瞬見えます。

手前のスペースは関川関所の駐車場で
この黒い橋を渡って関所跡へ行くようです。
青い橋は一般道路の橋です。
奥の橋梁は上信越自動車道です。

朝からのお天気に恵まれ妙高山も
ハッキリ見えています。
新潟県から眺める最後の妙高山。
電車は長野県信濃町に入ります。

この後、長野市に出てご本尊御開帳中
の善光寺へ向かいました。
善光寺の様子は中部東海の長野県から
お入り下さい。
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 高田公園の概念図です。
 外堀の内側が高田公園になっています。
 内堀の中は高田城跡となっています。

 Aは上の写真の撮影場所です。両岸が桜並木となっており、
 遠くの鉢巻山には雪が残っています。

 B以降は下の写真の撮影場所です。

 桜のシーズンは交通規制が敷かれるようです。
 茶色の道は4月3日から19日まで車両が通行止めになります。
 ピンクの道路は土日は通行制限が有ります。

 とにかく桜の木の多さに圧倒されます。
 物産販売所や屋台が数多く出店されています。

翌日は好天。
妙高温泉から
眺めた
妙高山です。

雲一つない
晴天で
しなの鉄道で
善光寺へ
向います。