林泉寺
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林泉寺は1497年(明応6)に越後の国守護代長尾能景が亡父重景の17回忌煮あたり、長尾家の菩提所として
創建されました。能景は上杉謙信の祖父にあたります。謙信は7歳から14歳まで、名僧天室光育の下で文武の
修業を積みました。戦国の武将としては教養が高く、信仰心の深いのはこの時期に培われたものです。
上杉家の移封後も堀家、高田城主松平越後守家、榊原家の菩提所となりました。
墓地には上杉謙信のほか、堀家三代の墓、川中島合戦の死者供養塔などもあります。

林泉寺の惣門です。
上杉謙信により春日山城より移築され
往時を今に伝える唯一の門です。
春日山城内を含め彼の時代のもので
残っているのはこの門だけだそうです。
山門です。
謙信の建てた山門は江戸時代の地震で
焼失し、大正時代に再建されています。
ちょっと見難いですが、楼門の掛かっている
大額「春日山」は下記の「第一義」と共に
焼け残り、宝物館に保存されています。
本堂側から見た山門です。
こちらには「第一義」の額が架けられて
います。
「春日山」、「第一義」ともに謙信の自筆に
よるものを複製したものです。

山門の天井に描かれている龍です。
これも大正時代に描かれています。
「薫筆」と銘が有りますが、誰の作か
聞いてくるのを忘れました。
本堂です。
画面にポインターを置くと
本堂の内部をご覧いただけます。
本堂の左手に墓地が有ります。

「謙信公御墓所入口」の碑が有ります。
上杉謙信公の墓です。
周囲には歴代住職の墓が震源の墓を
取り巻いています。

この墓の手前には堀家三代の墓が
並んでいます。

画面にポインターを置くと
横からの眺めもご覧いただけます。
川中島合戦で戦死した死者の供養塔です。

この奥にも榊原家、松平家の墓などが
並んでいます。、
宝物館です。
内部を見ることが出来ましたが、撮影が
禁止されています。

鎧兜や、毘沙門天像、謙信直筆の
焼け残った額、謙信の肖像画などが
展示されています。

頼めば担当の方が細かく説明してくれます。
宝物館の傍に有る焼け残った柱の残骸です。
江戸時代の地震による火災で焼けた際に
残されたものだそうです。
これ以外にも廊下の下に残されていました。
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