弥彦神社 
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弥彦神社は弥彦山(634m)の山麓に鎮座し、弥彦山を
神体山として祀る神社です。創建は不明ですが、古事記にも
その存在が記載されている神社で万葉集にも詠まれているくらい
古いと言えます。
弥彦神社の裏手からロープウェイで弥彦山山頂まで登れるように
なっています。残念ながら今まで登ったことが有りません。
今回も時間なく、山頂への登頂は実現しませんでした。

新潟ー2−掲載の写真と重複する場所もありますが、
今回は冬枯れの弥彦神社です。

バスはP1に駐車し、一の鳥居から参道に入り、駆け足ながら
ほぼ全体を回ってきました。
以下の写真は
@一の鳥居、A参道から眺める玉の橋、B重軽石、C手水舎、
D二の鳥居、E参道からの随神門、F随神門、G拝殿正面、
H斜めからの拝殿、本殿、I拝殿側から見る随身門、
J拝殿本殿と弥彦山、K鼓楼、L摂社、末社の入口鳥居、
M摂社・末社と十柱神社、N舞殿・楽舎、O参集殿、P宝物殿、
Q土俵、R玉の橋とお祓い橋、S車お祓い所
です。
@一の鳥居です。

両部鳥居と称します。彌彦神社はかつて
社殿が朱塗であったと伝えられており、
その名残りから朱塗となっているそうです。
高さ約6メートルあり、鳥居の柱は宙に
浮いています。両側の支柱で支えられて
います。
柱間約6m,高さ約8.4mあります。
鳥居は登録有形文化財です。。

B玉の橋です。

明治末の社殿焼失以前には拝殿前に
あったそうです。
神様だけが御渡りになる橋です。
B重軽石です。

この重軽石は伝説から火の玉石とも
呼ばれており、「津軽の火の玉石」・
「重い軽いの石」と称し、心の中で
願い事を思いつつ持ち上げて、軽いと
感じれば祈願は成就し、重いと感じた
ならば叶わないと言われています。

この石の謂れは
「慶長年間、津軽国弘前藩二代藩主
津軽信枚(のぶひら)侯は、日本海を
海路にて領国へ帰国の途上、佐渡沖にて
暴風雨に遭い御座船は難破寸前となった。
そこで信枚公は弥彦神社に鳥居を奉納
することを約し、そのおかげ無事帰国
出来た。しかし、その後、鳥居の奉納を忘れて
いたため、毎夜天守閣を飛び回る火の玉に
悩まされました。この火の玉は2個の石でした。
公は鳥居を奉納することを忘れていたことに
気づき、この火の玉であった石ともども鳥居を
奉納しました」
この時の石が、重軽石だそうです。
C 手水舎(てみずしゃ)です。

銅板葺き反り付き切妻屋根の前後に
唐破風を付けてあり、天井は格天井,
軒は二軒繁乗木で,三斗組を備えるなど
舞殿とほぼ同様の仕様になっています

有形文化財です。。
D二の鳥居です。

稲田石による石造鳥居で,明神鳥居の
形式をとっています。
柱間4.5m,高さ6.4m,
笠木石の長さ8.4mの規模です。
登録有形文化財です。
E参道から眺める「随神門」です。
F随神門です。
一般には随身門と表記されますが、
弥彦神社では「随神門」と表記されます。

1940年(昭和15)、紀元二千六百年を
奉祝して建立されました。門内の左右には
紀伊国熊野から伊夜日子大神様に随行し、
大神様の宮居を警護する長気
(おさげ・向かって右側)、
長邊(おさべ・向かって左側)の兄弟神を
奉祀しています。

登録有形文化財です。


G拝殿とその奥のご本殿です。

現在の御本殿以下の諸殿舎は明治末の
焼失後、近代神社建築の泰斗・伊東忠太氏の
設計にて、五年の歳月をかけて1915年
(大正5)に再建されたものです。
御本殿は三間社流造向拝付。
幣殿・祝詞舎に入母屋造向拝付の拝殿が
続きます。拝殿の南に神饌所、北には
祗候所・祈祷殿が連なります。

拝殿周辺の建物はほぼすべて
登録有形文化財です。

H拝殿と神饌所です。

拝殿の奥にはご本殿の屋根が見えています。
左の建物は神饌所です。

後ろの山は左が彌彦山、右は多宝山で
何れも標高はスカイツリーと同じ
634mです。

彌彦山にはロープウェイがあります。
I拝殿側から見た随神門と右側には
お札所があります。
J拝殿右手から眺める「祈祷殿」です。

拝殿の壁には地酒の樽が並んでいます。
K鼓楼です。
登録有形文化財です。

一日三回(午前5時、正午、午後10時)に
時報として、また祭典30分前に奉仕者へ
参集時刻を知らせる報鼓として、大太鼓を
打ち鳴らすそうです。
L摂社・末社への入口にある鳥居です。

正面階段の奥には十柱神社があります。
M摂社・末社です。

伊夜日子大神様の御子神をはじめ
六代の御子孫神(六王子)を奉祀する摂社と、
所縁(ゆかり)深い神社である末社が
境内外に合せて十八社あります。

一番奥は十柱神社です。
画面にポインターを置くと神社の
正面がご覧頂けます。
N舞殿・楽舎です。
正面入り口からの眺めで、画面に
ポインターを置くと横からの
舞殿の様子をご覧いただけます。

伊夜日子大神様に奉納する神楽を
奏するための建物です。
ポインターを置くと出る画面の
右側の建物が舞殿で、左手の楽舎と
橋掛かりで連結され一体となっています。

右奥に見える建物は「参集殿」です。

登録有形文化財です。
O参集殿です。
有形文化財に指定されています。

舞殿での神楽を観覧するための施設です。
舞殿・楽舎と平行して建っており、
北側片廊下の細長い建物で,南面の
蔀戸を上げて神楽を拝観します。
東に玄関があります。
画面にポインターを置くと玄関も
ご覧頂けます。
P宝物殿です。

上杉謙信祈願文をはじめ刀剣・書画等
神社伝来の宝物にあわせ、新潟県出身の
芸術家・文化人の作品も展示されて
います。
入館には入場料が必要です。
Q相撲場です。

2015年(平成27)に御遷座から
百年の記念事業として建設されました。
日本相撲連盟の「土俵基準」に則した
本格的な相撲場だそうです。
土俵開きには日馬富士が土俵入り
したらしいです。
毎年8月27日に相撲節会という
特殊神事がおこなわれているそうです。。

R玉の橋です。

南方向から見ています。
境内の御手洗川(みたらしがわ)に架かる
半円形の橋で、別名「御神橋」と
呼ばれています。
“神様の渡る神聖な橋”として建造され、
人は決して渡ることはできません。

画面にポインターを置くと
「御祓橋」と御手洗川の様子も
ご覧頂けます。
S車のお祓い場所です。

彌彦神社交通安全講は、交通規則の
順守と交通道徳の尊重を以て、
交通災害のない世の実現を目指して
1966年(昭和41)に発足しました。

ここでお祓いを受け、お守りを受けます。
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