太閤の湯殿館
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太閤の湯殿館は、1995年の阪神淡路大震災で倒壊した極楽寺庫裏の下から発見された安土桃山時代の
遺跡である「湯山御殿(ゆのやまごてん)」の「湯ぶね庭園」の保存と公開を目的に1999年に神戸市により開設された
展示館です。館内には遺構の一部や出土品などが展示されています。
湯殿の存在は昔から言い伝えられていたそうですが、古文書や絵図面などの文献資料は無かったそうです。
極楽寺の庫裏修復の際に、その地下から400年の時を経て、数々の遺構や出土品が出てきたため、言い伝えの
正しかったことが確認されたと言うことです。

極楽寺の横に立っている
湯殿館です。
この建物の下に秀吉が造らせた
風呂の遺構があったわけです。
この庭は地下1mに埋没保存されている
湯山御殿庭園が復元されたものです。
この下に遺構が保存されています。

この手水鉢は鍋島藩菊池家に
伝わった「太閤秀吉ゆかりの品」
との事で、平成11年に神戸市に
寄贈されました。
湯殿山御殿庭園の全景です。

右手の屋根は温泉寺で、正面の階段は
湯泉神社への参道になっています。
湯泉神社は左手上になります。

館内の展示状況です。

正面にあるのは龍の飾り瓦です。
本物は破片の形で出土されており、
展示されているのは復元品です。

左手の小屋風の展示は蒸風呂の復元で
その下には当時のままの遺構が残されて
います。

右手には岩風呂の遺構があります。

蒸風呂跡です。
この場所に建物があったと思われます。

秀吉の時代のお風呂は、今で言うサウナで
蒸気を小屋の中に引いて温まっていたそうです。
蒸し風呂の南に隣接して岩風呂の
遺構があります。
これは秀吉が病に倒れて、遂に入れ
なかった岩風呂と言われています。

こちらは、現在のように、お湯に浸かる
タイプのもので、水風呂(すいぶろ)と
呼ばれていたそうです。

中央左寄りに岩の割れ目がありますが、
この割れ目に沿って温泉水が
流れ込んでいたようです。
有馬温泉と太閤秀吉の関係を説明した
展示です。

1579年(天正7)に織田信長出陣の為、
有馬郡山口荘の農民に道路の普請を命じて
以降、1598年秀吉逝去までの間の有馬との
関わりを年次ごとに説明しています。

大阪から有馬まで往時はそれ程楽な
行程ではなかったのに、秀吉は結構な
回数有馬温泉に来ているようです。
有馬温泉に入浴した人々を
列記しています。

何かの記録に残されていたのでしょうが、
舒明天皇や小野小町、モナコ王妃(グレース
ケリー)などが入浴したとは
思いがけないことでした。

へぇ〜、こんな人も来たんだと思う表示です。
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